アルカディア学報
高等教育のパラダイム転換(シフト) 「学士課程教育の構築に向けて」の背景
早ければこの6月末に中央教育審議会大学分科会から答申される予定の「学士課程教育の構築に向けて」(以降、学士課程答申(案)と呼ぶ)は、学士課程教育に限らず、今後の日本の高等教育の進むべき重要な方向を指し示している。
まず、学士課程答申(案)が、「学部・学科等の縦割りの教学経営が、ともすれば学生本意の教育活動の展開を妨げている」と強い論調で指摘しているように、学部や研究科といった「組織」を基盤とした教育体制から、学位授与に到るプロセスとしての体系的な「教育課程(プログラム)」としての教育体制への転換を求めていることである。この観点は、すでに2005年に相次いで答申された「我が国の高等教育の将来像」と「新時代の大学院教育―国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて―」の中でも指摘されているところである。とすれば、学部・学科、研究科・専攻といった単位に学生と教員が所属するという現今の教育研究組織の在り方が、新たに求められる教育プログラム中心の教育体制に相応しい形態であるかどうかが、今後国と各大学において真剣に検討されなければならない。
次に、「学士」などの学位を、国際的通用性を有する「知識・能力の証明」であると捉え、学士の水準の枠組作りを提言していることである。「知識・能力の証明」としての学位の理解は、先にも触れた将来像答申でも示されていたが、今回の学士課程答申(案)では、さらに一歩踏み込んで、我が国の学士学位が共通に証明すべき「知識・能力」として、参考指針ながらも具体的な「学習成果(ラーニング・アウトカムズ)」からなる「学士力」として提言している。この「学士力」の提言については、大学の自律性を損ねるものではないかとの懸念も出されているが、ボローニャ・プロセスと呼ばれる欧州高等教育圏の構築や、米国におけるアカウンタビリティの強化やアクレディテーション改革をめぐる動向など、国際的に見ても高等教育改革が、学習成果を軸として展開している状況を鑑みれば、我が国の学士の水準を国際的に知らしめ、質保証の参照点としても期待されることから、時宜を得た提言であると考える。
実は、このような学習成果を重視した高等教育改革が国際的にも顕著になった背景には、高等教育、とりわけ学士課程教育についての枠組の大変換、いわば「パラダイム転換」が生じていたことがあげられる。それは「教育パラダイム」から「学習パラダイム」へのシフトである。(Robert B. Barr & John Tagg,"From Teaching to Learning A New Paradigm for Undergraduate Education", Change, 1995)
我が国では過去20年近くにわたって大学の教育機能の重要性が繰り返し強調され、大学教員の意識改革が声高に叫ばれてきた。国際的に見てもドイツと並んで我が国の大学教員の研究志向の強さは特異であると様々な機会で指摘された。しかし、最近の調査によれば、属性により差はあるものの、研究よりも教育を重視していると答える教員が増えているという。また、筆者の個人的な体験からも、大学を研究機関ではなく、教育機関であると考える教員が確かに増えている。そして、FD、つまり授業改善に取組む大学、教員も増加している。
しかし、大学は教育機関であれば十分であろうか。教員が教育に熱心であれば、それで大学の使命は実現されたのであろうか。そして、つまるところ大学の最終成果物は何であろうか。
従来の「教育パラダイム」のもとでは、90分の授業をいかに提供するかに重点がおかれて来た。そして、FDを通じて授業内容や教育方法の改善に取組んできた。しかし、このパラダイムは、「目的」と「手段」を取り違えているのではないか。教育と呼ばれる手段・方法を、大学の使命・目的と誤っている。これがBarrとTaggが十数年前に指摘した点であった。彼らの比喩にならえば、大学の目的は教育することであるいうのは、自動車会社の仕事は、組み立てラインを動かすことであり、病院の目的はベッドを満たすことである、というのと同じことである。そうではなくて、自動車会社の仕事が優れた車を完成させることであり、病院の目的が病気を治すことであるように、大学の目的は学生の学習を生み出すことである。学生が四年の間の様々な経験を通じて、入学時よりより一層成長することこそ、大学の目的であり、学生の学習こそが大学の「成果outcomes」なのである。そして、大学が提供する教育と教員による授業は、学習を生産するための手段の一つに過ぎない。
下表は、教育パラダイムと学習パラダイムの主な違いを整理したものである。
そして、学習パラダイムの下では、昨年よりは今年、今年よりは来年の卒業生の学習の質が向上するように、大学自身が「学習者」にならなければならない。つまり、大学は、研究組織でもなく教育組織でもなく、「学習組織Learning Organization」でなければならない(P.センゲ『最強組織の法則』、徳間書店)。たとえば、スコットランドでは、大学評価の目的を「質の保証Quality Assurance」ではなく「質の向上Quality Enhancement」としていることも、高等教育における「学習パラダイム」へのシフトを反映したものである。
今回の学士課程答申(案)では、「学習成果」を重視し、その達成を全ての学生に保証するようなカリキュラム編成や教育方法の開発を奨励し、そのような取組を通じて我が国の大学が授与する学士学位の国際的通用性を高めることを提言している。しかし、我が国の大学教員の学習に関する理解は極めて乏しい状況にあると言わざるを得ない。またFDで強調されるのは教員の「教育力」の向上であり、主に教育方法の改善やカリキュラムの開発である。「学習」を生み出すことが大学の「目的」であり、学生の「学習」こそが大学の「成果」であるならば、我々はまず「学習」とは何か、「学習」を向上させるにはどうすればよいのかについての知識を広げ、理解を深めなければならない。これからのFDには、「学習についての学習」が望まれる。
そして、研究組織、教育組織から「学習組織」へと大学が変革を遂げ、学生だけでなく、大学自身も成長を実現するには、組織改革に関する知識も学ばなければならない。これまでの様々な高等教育改革に関する答申や提言は、この組織改革の観点が欠けていたために、実を結ばなかったのではないか(P.Ewell,"Organizing for Learning",AAHE Bulletin,50(4),1997)。
学士課程教育を構築するために必要な知識や技能は何か。関係者の学習と組織変革に関する「学習成果」を明確にすることから学士課程教育構築への第一歩は始まるのではないだろうか。