アルカディア学報
東アジアにおける私学高等教育研究のフロンティア 国際ワークショップ報告 -3-
今回は、昨年12月におこなわれたワークショップ「東アジアにおける私学高等教育研究のフロンティア」の報告の最終回として、中国・インドの私学高等教育とその発展を扱った鮑威氏(中国北京大学教育学院研究員)とアーシャ・グプタ氏(インドデリー大学附属カレッジ元校長)、そして、韓国を中心に東アジアの私学高等教育におけるアカデミック・プロフェッションについて取り上げたテリー・キム氏(英国ブリューネル大学比較高等教育学講師)の三氏の議論の概要を紹介する。
《鮑威氏「中国における民営高等教育の発展:変化と対応」》
中国の民営高等教育の復活と発展は、高等教育の大衆化と密接に関連している。歴史的にみると、中国の高等教育の拡大は、4つの時期に区分される。第1は、萌芽期(1977―78)である。文化大革命後、都市にもどってきた若者に対する補修教育や職業教育のニーズが発生し、これに対応した小規模の「教室」が、中国の民営高等教育の原型となった。
第2は、成長期(1979―85)である。この時期には、経済成長と第2次ベビーブーマーの進学により急拡大した高等教育ニーズを既存の高等教育システムが満たすことが出来なかった。放送大学が設立されたほか、政府文書により民営高等教育の存在が容認されるようになった。現在ある多くの有名民営高等教育機関がこの時期に設立されている。
第3は、安定成長期(1986―98)である。この時期、大学の管理・運営権などの規制緩和が行われ、民営高等教育機関の乱造や不正行為などが発生した。政府は、規制措置での対応に加え、学位授与権の拡大を制限し、また、学位授与権を持たない高等教育機関の卒業生を対象とした学位認定試験という二つの手段により、質のコントロールを行った。
第4は、再構築期(1999―2005)である。1999年以降、中国の高等教育は、公的雇用の縮小や第三次ベビーブーマーの進学などにより未曾有の大拡張期に入り、高等教育は公共・民営の両セクターとも大きく拡大した。この中で、政府は、民営高等教育の高等職業教育としての機能を強化すると共に、2002年の『民営教育促進法』により民営高等教育機関の営利性を実質的に承認し、賛否両論を引き起こした。同時に、政府は、国立大学附属でありながら学費によってまかなわれる独立学院を正当な存在として認めた。独立学院は、公共セクターの私事化を意味し、また、学士の学位を授与でき、急速な広がりを見せた。同時に、既存の民営高等教育機関の発展は止まり、学位認定試験が必要な民営高等教育機関については、役割を終えたものとして廃止されるなど、民営高等教育システムの再構築が進んだ。
民営高等教育の需給の対応構造については、独立学院が、基本的に公共セクターに入学できなかった層の代替としての機能を果たしているのに対し、職業教育を志向した民営高等教育機関は、独自の機能・市場を開拓したと指摘できる。
しかし、民営高等教育機関の歴史が浅く、資金や資源も不十分であるなど、今後の発展に向けての課題は多い。
《アーシャ・グプタ氏「インドの私学高等教育の新たな動向」》
インドの私学高等教育の歴史は、紀元前6―8世紀にさかのぼることが出来るが、これは、学費徴収ではなく、喜捨に基づくものであった。現在でも、営利の私学高等教育は理念的にはタブーであるが、実際には、新しい私学の多くは莫大な利益をあげている。植民地時代に建てられたキリスト教系のものも含め、1974年のインド独立時点で、20のユニバーシティと、496のカレッジが存在していた。そして、私学高等教育は、1990年代には高等教育セクターの75%を占めるなど、大きな役割を果たしている。なお、私立大学は協会や法人立となるが、現在でも、学位授与権がある私学のユニバーシティは350校にとどまり、残りは、ユニバーシティに附属する形で教育を行うインド型のカレッジとして活動している。
インドは、多民族・文化により構成される連邦国家であり、連邦と州それぞれが教育に対しての行政権を持ち、その間に矛盾がある場合には連邦の判断が優先される。
また、「私」は、キリスト教などの宗教系や、英語による教育などとしての意味合いで使われることが多く、財政的には州の財政に依存しているものが大部分である。なお、以前は入学時に高額の手数料を徴収する習慣があったが、1992年の最高裁判所の判決によりこれが禁止され、同時に上限を定めた授業料を徴収することが可能となり、独立採算への道が開かれた。
インドでは、連邦、州いずれのユニバーシティ及びカレッジも独立採算で専門職教育プログラムを運営することが許されている。また、インド工科大学など、特定の産業やビジネスのニーズに合わせて高額の特別プログラムを提供している例もある。さらに、ユニバーシティは、私学のカレッジや外国の大学のフランチャイズに参加することができる。また、少数民族に対しての教育機会を提供する私学も存在する。
高等教育機関の多くは財政を州政府および家計に頼っているため、連邦レベルの大学基金委員会(UGC)などによる規制は、公・私双方の高等教育機関から激しい挑戦を受けることになる。さらに、インドにおいて国家レベルでのビジョンや方向性、規制などが欠落しているため、私学高等教育の問題は、頻繁に司法による介入を受ける。また、インドは、被差別カーストの教育問題も抱えている。
《テリー・キム氏「東アジアの私学高等教育におけるアカデミック・プロフェッション」》
東アジアにおいて、私学高等教育は強力な伝統を持つと同時に、その在り方は量的にも質的にも多様である。そのため、そこでの私学高等教育におけるアカデミック・プロフェッションについても、このような国ごとの文脈や多様性のなかで理解されなければならない。
東アジアにおける私学高等教育の発展は、西洋のキリスト教の宣教団の活動と、国の近代化への挑戦と密接に関わっている。
東アジアでは19世紀後半から20世紀前半にかけてキリスト教の宣教団による高等教育機関の設立が盛んであり、これらの高等教育機関は、第2次世界大戦終結までに生じた列強支配の弱まりとアジア諸国の独立の中で、大学へと昇格を果たしていった。中国の場合も例外ではないが、内戦を経て1949年の人民共和国成立により、全ての私立大学は公共セクターに組み入れられ、80年代からの民営高等教育機関とは継続性を有しない。
日本は、中国や韓国と異なり、多くの高等教育機関は、主に西洋の高等教育を経験した国のリーダーたちにより、設立された。また、西洋のキリスト教宣教団による大学も数多く設立され、女子高等教育などに大きな役割を果たした。
日本統治下におかれた戦前の朝鮮半島では、この私学の伝統が生き残り、これが独立後研究機能を備えた韓国の私立大学群へと発展した。このため、韓国の私学高等教育は、低い私学助成(3%)、大衆高等教育の受け皿という性格をもちながら、高い地位を有し、研究資金でもトップランクに入るものがある。さらに、ソウル大学の設立にこれら私学出身者が採用されているほか、非常に高い割合で米国などの博士号取得教員を有している。現在、韓国は高等教育の国際化を推進しており、留学生の積極的獲得や、外国人教員のシェアの拡大などが進められている。
(おわり)