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アルカディア学報

No.29

躍進するソウルの大学 ユニバーサル高等教育の行方

主幹 喜多村和之

 3月末「近くて遠い隣国」といわれる韓国の大学評価の経験を学ぶため、ソウル市内数校の大学や高等教育関係団体を訪問してきた。1週間弱のごくかぎられた知見にしかすぎないが、韓国の高等教育関係者は日本人と比べてたいへん元気がよく、自信にあふれているという印象であった。アジア特有の高学歴化指向と首都圏の大学への一極集中傾向は日本以上に根強く、ソウルに関するかぎり過熱化した進学熱と受験競争の激しさは一向に衰えていないようだ。いずれのキャンパスも学生の表情には活気があふれ、産学連携やベンチャービジネスなどが盛んにみえた。
 韓国教育の第一人者であり、当研究所客員研究員で現在ソウル国立大学客員教授もつとめる馬越 徹氏(名古屋大学教授)によれば、2000年時に大学進学率(高卒者のうち現役進学者の比率)は、日本の45.1%に対して67.9%、浪人をふくむ進学率も49.1%に対して84.3%という、一見信じがたい程の高率を示しているという。韓国の大学進学率が、いわゆるマス型からユニバーサル型へのしきいとされている50%をこえたのは1995年だというから、数量的には韓国の高等教育システムは日本に先駆けてユニバーサル段階に突入したことになる。人口比からみると大学院生数は日本の3倍以上、社会人対象の夜間修士課程が全学生数の48.5%、昼間の一般大学院でも72%は修士課程で専門職業人をめざしているという。こうしてみると、今日の韓国高等教育は「問題は日本と同じ」だが「先を行く韓国の高等教育改革」という『カレッジマネジメント』(107号、2001年3-4月号)特集のコピーに如実にあらわされている。
 一般の日本でのイメージとは違って、韓国はもはや日本の後発国に甘んじているわけではなく、或る点ではまさに先を行っているのである。日本では議論は盛んでも実行は先送りという状態が多いのに対して、韓国では議論にはかならず実践が伴うといった点で、大きな相違がある。例えば大学評価の問題でも、韓国ではアメリカのアクレディテーション方式を採り入れた韓国大学教育協議会の評価を1982年より5年サイクルで実行してきており、全大学の評価が2巡し、今、新方法での評価を始めている、といった具合である。同協議会事務局長の李 鉱清博士は、われわれは韓国の大学に適合したベストの評価基準を開発した、と意気軒昂であった。その当否は別としても、いったん決めたら直ちに実行してしまうのが、韓国の強みであろう。
 大学評価の受け方やその活用についても韓国の大学は一般的に積極的であるようだ。例えば漢陽大学では、大学協議会の評価結果をすすんで公表し、大学の努力をPRに活用している。また米国のサムソン経済研究所に調査・分析を依頼して、提示された改善策をもとに大学経営の強化を図っている。この点は韓国で最高の威信と予算を享受しているソウル国立大学も例外ではなく、同じように米国のマッケンジー社に評価・分析を依頼し、提案された改善策のなかから大学が自主的に選択し、実施に移しているという。こうした外部者に評価分析を委ねて客観的な実態把握と勧告を実行するという方式は、いかにもアメリカ的マネジメントの発想で、日本ではあまり考えられないものと思える。おそらく韓国の大学関係者には圧倒的にアメリカでの留学者や学位取得者が多く、そのことがこうした手法を採りやすくさせているのかもしれない。
 梨花女子大学でも評価を積極的に受け入れるとともにその結果を活用している。大学紹介のビデオに、英国の女王や女性首相、米国大統領夫人をはじめとする超有名人のキャンパス訪問や、世界的に活躍している卒業生の層の厚さが宣伝されていたが、こうしたことも大学のもつ国際的実力の象徴であろう。日本では女子大の存在意義や共学化への脅威が語られる昨今だが、この名門女子大は依然として、女性の憧れの最難関校となっている。
 なお韓国の私学は政府から経常費助成のような機関補助金を受けておらず、教育人的資源部からはプロジェクトによって日本でいう特別助成のような資金を得るだけである。その比率は経常費の数パーセント台で、韓国では日本の私学助成制度をモデルとして政府に要求しているが、なかなか実現には結びつかないようである。
 梨花女子大学では、ユニバーサル高等教育に関する日韓共同セミナーが、李 大淳韓国高等教育学会会長によって企画・開催され、筆者はユニバーサル化に向かう高等教育の当面する未知の挑戦や問題を、日韓米比較の観点から問題提起した。同行の羽田積男研究員(日本大学教授)はアメリカの現状をふまえ、馬越客員研究員は日韓比較の立場からそれぞれ発言し、30人余の韓国大学関係者との間で活発な議論がたたかわされた。
 あえて単純化すれば、韓国の高等教育はますます大学中心の学歴主義化を強め、マス型からユニバーサル型への発展形態は、同年齢層の全員がストレートに進学を強制されるユニバーサル・アテンダンス型(青年層の全員大学進学志向型)へとまっしぐらに進行しているように見える。他方アメリカはいかなる年齢の世代も人生のいずれかの時点で高等教育の機会に自由に出入りできるユニバーサル・アクセス型の高等教育機会へと発展しつつある。日本がそのいずれの方向を強めるのかはまだ明らかではないが、韓国よりは米国型に近い生涯学習社会への展開の可能性も出てきているのではないかというのが筆者の感想である。
 高等教育の学歴信仰と大学がこのままの勢いで進んでいくとしたら、どうなるのであろうか。その果てには少なくとも2つの挑戦が待ち構えていると予想される。ひとつは高騰する教育費の負担に家計の支払い能力がどこまで耐えられるかということである。韓国ではすでに数十万に達する学生が外国の大学をめざして、いわゆる「教育移民」が発生しているという。いまひとつは、今後10年間近く続くと予測されている18歳人口の減少である。これによって数年後には大学入学定員の方が志願者数を上回る大学過剰時代が迫ってきていて、すでに地方大学の一部では定員割れが出始めているという。
 いずれの現象もすでに日本でも出てきている。日本も韓国もその意味では、共通の未知の問題に迫られているわけである。ただいずれの国の大学関係者もこの問題に対する危機意識は必ずしも強くはなく、これといった戦略も持ち合わせていないように感じられたのは筆者ひとりであろうか。