アルカディア学報
学内のデータ収集急げ IRの重要性と専門職の養成
国立大学の法人化がスタートして2年が過ぎた。法人化した大学には課題が山積していると思われるが、その課題のひとつに部局によって散在している財政、学生、教学などに関するデータをどのように集積して、管理するかということがある。とりわけ、法人化にあたって中期目標をたて、見直しが求められる国立大学にとってはデータの一元化は重要な戦略となるだろう。大学内部の様々なデータの管理や戦略計画の策定、アクレディテーション機関への報告書や自己評価書の作成を主な仕事としているアメリカの大学の部門は、学生の成長と教育効果を測定する学生調査の開発にも深くかかわっており、実際にそうした学生調査の結果を大学の教育改善に向けて分析し、様々な関連部署にその結果を伝えるような役割も担っている。
アメリカの大学にあるこうした部門は、大多数の機関ではInstitutional Research Officeとして設置しているが、なかにはOffice of Institutional Planningという名称で設置しているところもある。一般的にIRと呼ばれるこの部門は、各大学内の教育研究活動に関する調査研究活動を行う管理部門であり、かつ経営そのものに関わるさまざまな情報の入手とその分析を行い、組織管理の改革を支援している部門である。ほとんどの4年制大学や短期大学に設置されている。
1924年にミネソタ大学で、カリキュラム、学生の在籍率、試験の達成度を研究する調査研究部門として設置されたのが現在のIRのモデルであるといわれ、管理運営および組織の効率性改善を目指す部門として1960年代に急速に拡大した。IRに携わる専門家集団の専門職協会である学会(Association of Institutional Research通称AIR)も1965年に設立され、現在活発に活動しており、現在1500以上もの機関から3100人以上がAIRの会員として登録しているぐらいである。とりわけ学生の多様化が顕著化するようになった1980年代以降、学生のデータを集積し、教育に活かそうという趣旨のもとで、IR部門が多くの大学に常設されるようになってきた。そして、アメリカの大学は高等教育への財政配分の縮小とアカウンタビリティという問題に直面するなかで、州や連邦関係者による「(品)質保証」への要求が高まった90年代以降、IR部門は大学の意思決定にとっての必要な情報と分析をする部門として不可欠な存在となっている。
IRは経営や教育にかかわるさまざまな情報の入手とその分析を行い、組織管理の改革支援を行っている部門である。IR部門の学内での仕事はおおよそ次のようにまとめられる。①地域、連邦基準認定(アクレディテーション)に関連した業務とプログラムの検討、②運営管理上の情報の提供と計画、学内政策策定とプログラムの評価のための分析、③学生、大学教員、職員のデータ収集と分析、④予算および財政計画策定、⑤学生の学習成果の評価のためのデータ収集および評価(アセスメント)実施と分析、⑥学生による授業評価事業の実施、⑦学生の履修登録管理と募集管理、⑧年次報告書の作成、⑨州の財政補助金獲得のために必要とされる書類の作成などの州高等教育部局との連絡調整、⑩米国教育省の調査事業に提出するデータの作成、⑪大学関係出版物への情報提供。こうした日常的な業務に加えて、IR部門の所長は学長あるいは学務担当副学長直属の部門として学内の戦略的計画策定のコーディネーターとして計画策定過程に密接にかかわっている場合も多い。
たとえば、2006年に訪問したインディアナにあるインディアナ大学パデュー大学(IUPUI)のIR部門は、The Office of Information Management and Institutional Researchと命名され、学生アシスタント3人を含む12人のスタッフが常駐しているなどかなり大規模なIR部門であった。IRオフィスでは、①キャンパス全体と各部門の年次計画策定、②説明責任、③改善、④評価、⑤情報支援、⑥一般市民部門への関わり、⑦コンサルティングと訓練、⑧出版、⑨技術開発といったような多岐に渡る分野での活動を実践している。
説明責任への対応として、IUPUIのIR部門は独自のパフォーマンス・インディケーターを作成して、キャンパス内での①教育と学習、②一般市民部門への関わり、③研究と創造的活動、④多様性、⑤ベストプラクティスの各部門の一年間の業績を評価し、その結果についての業績報告書をそれぞれ作成し、公開している。また、アクレディテーションについてもアクレディテーションを受けた機関からの報告にもとづいた結果を公開している。
学生へのIRオフィスのかかわりを検討してみると、学生に関する基本的なデータはすべてIRオフィスでまとめ、その情報と分析結果はサイトを通じて公開されている。それらの情報は、学生の登録状況、学生数、学位授与数、リテンション率、卒業率などの数値から、学生が学習を通じての獲得した知識や技能に関する報告書や調査結果などもまとめられている。
このように見てみると、IR部門の担当者はかなりの統計的技能を持って、高等教育のデータを分析し、かつ政策策定への重要なデータの提示や支援を行う専門職であることが理解できる。こうした専門職がどのように養成されるかを見てみると、職能団体や高等教育機関が大きな役割を担っていることが浮かびあがってくる。たとえば、現在AIRが力を注いでいるのが大学院におけるIR関連の修了証プログラムである。AIRはNational Center for Education Statistics(以下NCES)の協力を得て、2001年からフロリダ州立大学、インディアナ大学、ペンシルベニア州立大学、ミズーリ大学システムの4校の大学院において、IRの大学院レベルの修了証プログラムの開発を手がけてきた。IRの専門職を育成するための教育は不可欠であるとされながら、その背景として幅の広い知識と学際的な要素を持つことから、なかなか効果的なプログラムを開発することができなかった。しかし、最近では、具体的な目標を掲げた実践的な授業内容を開発し、また学習経験や仕事の経験に応じて、それらの経験が単位として読み替えを可能にするなど、生涯・継続学習型のプログラムとしても工夫がされている。すなわち、IR部門の発展を担う専門職の養成を学会と高等教育機関との連携によって可能にしていることが最近の動向といえる。
IRの学会に関しては、ヨーロッパやアジアにおいても設立され活発化しているのも最近の動向である。ヨーロッパで開催される学会には多くのアメリカの大学のIR部門の専門職も参加し、ヨーロッパIR学会とAIRとの緊密な連携も進んでいる。アジアでは、オーストラリアの大学が一歩先んじている。ここで注目すべき点として中国の大学の動向を忘れてはならない。実は、アメリカの大学のIR部門で働く専門職には中国からアメリカに留学し、その後アメリカに残っている中国系の人々が多い。アメリカの高等教育機関で学位を取得後、統計分析やデータに強いというバックグラウンドを活かして、そのままアメリカの大学のIR部門に職を見つけることが多い。そこで、こうした人材が中国の大学と連携しながら、中国の大学にIR部門を設置しようとする動きがみられるようになっている。
本稿では、アメリカの大学に常設され、その機関調査を専門的に担っているIR部門と現在の動向を紹介してきた。その業務内容は多岐にわたっているが、情報の一元管理と組織化および戦略計画の策定など効率的な組織運営には欠かせない部門として機能している。とりわけ、アカウンタビリティが求められる昨今においてはこうした部門の存在価値の高いことには疑問の余地はない。ますますアカウンタビリティが求められる日本の高等教育機関においても、このような部門の設置と拡充を視野に入れる時期にきているのではないだろうか。