アルカディア学報
私学のファンディング・システム 基本論の整理を
平成17年1月の中教審答申「我が国の高等教育の将来像」が「多元的できめ細やかなファンディング・システム」という考え方を打ち出して以来、高等教育の議論の中でファンディング・システムという言葉が定着してきたようだ。近年、大学への公的支援の形が多様化してきたこともあって、これらをトータルに構造化し、システムとして整合性を持たせようとする視点が重視されてくるのは自然のことでもあろう。しかし、現状は、まだそのような構造化の議論が始まったところであり、高等教育のファンディング・システムと言えるものは、まだ存在しないと言っていいだろう。前記答申では、多元的できめ細やかなファンディングの構築のためには「機関補助と個人補助の適切なバランス」「基盤的経費助成と競争的資源配分の有効な組み合わせ」が必要だとしているが、どのようなバランスや組み合わせがよいのか、あまり議論は進んでいないように見受けられる。この小論でも、いきなりシステムのあり方を提案する気もないし、力もない。現在の多様化したファンディングの問題点をいくつか探り、システム研究の手がかりを得たいと思う。
■プロジェクト補助の重視とファンディングの多様化
答申の言うように、ファンディングの構造として「基盤的経費と競争的資源」という対比のさせ方が適切かどうか、いくつか疑問がある。私学助成が始まった当初の頃の高等教育への国費支出は、個人補助としての研究費助成と育英奨学金があるほか、機関補助としては国立学校特別会計と私学への経常費助成(一般助成)という設置者別の大きな枠組みを基本としていた。国立大学への特別会計の経費は、国の設置者としての義務に基づく支出であり、私学への助成とは、その目的、性格において全く異質であるから、この両者を一つのシステムとして一体的に捉えることに特別な意味はなく、そのような発想がなかったことも当然と言えよう。国立大学と私立大学の経費のバランスを問題とするのであれば、それは財政上の問題である前に、高等教育における国立大学の位置づけという基本的な政策課題に直結する問題である。
その後、私学助成は変遷を重ねることになる。一つは、使途を特定しないブロック予算としての一般助成から、特別な目的を持ったプロジェクトへの助成を重視する方向が続いてきたことである。1970年代には、私立学校振興助成法の成立もあり、経常費助成は2分の1補助を目標として順調に伸び、私学の経常費支出の3割にまで達した。ところが80年代に入り、にわかに様相が変化する。緊縮財政のもとで、補助金の抑制とともに、その効率性や国民への説明責任が強く問われるようになり、私学助成についても、臨時行政調査会の答申等を受けて総額の抑制とともに、プロジェクト補助化が求められることとなった。このため、大学院の教育研究装置等への補助金が新設されたほか、経常費補助の中では特別補助の割合が毎年漸増するようになり、現在では既に経常費補助の3分の1に達し、ファンディング・システムの一要素として重要な地位を占めるに至っている。
更に平成14年度からは特別な目的を持った機関補助としてCOE(教育研究拠点形成プログラム)やGP(大学教育改革支援プログラム)が新設され、これらが「国公私を通じた競争的資金」と呼ばれている。こうして設置者別の基盤的経費を主としてきた私学への公費支援の形は、非常に多様化してきた。
■「競争的経費」への疑問
前記答申では、これらの経費を「基盤的」と「競争的」に分類しており、前者には経常費助成である「特別補助」も含めて考えられているようである。しかし特別補助は特定の目的を持ったプロジェクト補助であり、同時に政策誘導的な補助であって、かつ、量的にも1000億円を超えるものとなった以上、ファンディング・システムとしては使途を特定せず、私学の自主性に委ねた一般補助とは別のカテゴリーに属するものとして、これと対比させるべきものであろう。
また、COEやGPを「競争的」と規定することは、これらの経費の本質を表していない。COEは国公私立の全大学を対象にした競争政策を意図したものとは考えにくい。これは拠点的な研究大学の形成を意図したものであり、端的に言えば、前記答申の言う「大学の機能別分化」が目標であろう。したがって「競争」というよりは「選択と集中」の政策であり、競争の圏内にあるのは限られたごく一部の大学(特に国立大学)であって、大多数の私立大学はその圏外にある。このようなCOEの性格は、新たな「グローバルCOE」になって、いっそうはっきりしてきたようだ。
更にGPについても「国公私を通じた競争的配分」という考え方には疑問がある。国立大学は法人化したとは言え、設置者としての維持管理責任は国が負っているのに対し、私学の維持は学校法人の自己責任である。国立大学と私立大学とでは、競争の土台となる条件が全く異なるにもかかわらず、資源の配分を競争の結果に委ねるのは合理性に欠ける。また、国は競争、レースの主催者、判定者であると同時に、国立大学の実質的な設置者として、レースへの参加者でもある。これはフェアなレースではない。そもそも、設置者としての維持管理責任に基づく経費支出と私学への補助は性格が全く異なるものであり、これを同種類の経費として扱うことに無理があると思われる。したがって機関補助は設置者別を原則にすべきであり、COEやGPの予算は、国立大学の予算と私学助成とに分けた上で、それぞれに目的をはっきりさせるのが筋ではないかと思う。
■私学への機関補助の構造
そこで、国立大学の予算は別として、機関補助である私学助成の構造を見てみると、まず経常費補助の中の一般補助がある。これは使途を特定しないブロック予算であって、私学の自主性の理念に適合した基盤的な補助金であり、私学助成の中核を占めるべきものである。次に特別補助がある。これは経常費補助の中に位置づけられてはいるが、特定のプロジェクトへの支援であり、性格的には政策誘導的なプロジェクト補助金である。COE、GP等もプロジェクト補助であり、政策誘導的である。プロジェクト補助は改革促進の有効なツールではあるが、反面、政府の私学に対する政策的影響力を過度に強め、その使い方によっては、マンネリ化の弊害や大学改革の自発性や個性を殺ぐ心配がある。したがって特別補助と私学向けのCOE、GP等のプロジェクト補助は、自主的財源である一般補助と対比させ、一定の限度内となるよう両者のバランスを考える必要があろう。
現在、特別補助が経常費助成の3分の1を占めており、これにCOE、GP等の私学分を加えれば、私学助成の中のプロジェクト補助の比率は、既に私学の自主性のための適切な限度を超えつつあると考えざるを得ない。
■私学助成の基本は一般助成
補助金に効率性を求めるのは当然である。しかし大学に対する補助金は、効率性と同時に大学の生命である自主性、自律性との調和を保たなくてはならない。そのためには、自主財源である一般補助が、常に私学助成の中核である必要がある。今の政界、産業界からの大学改革への要求には、大学の中に手を突っ込んで役に立つ成果を求めるような性急さと、大学の自主性の理念に対する理解と共感の不在を思わせるものが多いのは残念である。今回の教育基本法の改正で、大学の自主性の理念が高く掲げられた。この機会に、私学助成の基本は一般補助であることを改めて強く主張しなければならない。同時に、80年代に始まった私学助成の後退は、単に緊縮財政のためだけではなく、私学助成に対する国民の支持にかげりが生じたことにも深い原因があったことを想起する必要がある。これに対処する道は、私学教育の質の維持、財務状況の開示等による経営の透明性の確保、公共性のためのガバナンスの確立等に私学自らが努力を続ける以外、手っ取り早い道はないのだと思う。