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アルカディア学報

No.273

 教育費負担と学生支援 海外調査と国際会議から

私学高等教育研究所研究員 小林 雅之(東京大学大学総合教育研究センター助教授)

 文部科学省先導的大学改革推進委託事業「諸外国における奨学制度に関する調査研究及び奨学金の社会的効果に関する調査研究」を受け、その一環として昨年度に四か国の海外調査を実施した。このうち、イギリスの状況は、本紙第2237号(平成18年7月5日付)の「アルカディア学報」248において「英国の授業料・奨学金制度の動向―問われる改革の具体化」として報告させていただいた。今回は、今年度の事業の一環として行われた、スウェーデンと中国の海外調査と国際会議から、感じたことをいくつか挙げたい。
 10月に訪れたスウェーデンでは、高等教育を公財政で支えるという理念が貫徹している点に深い感銘を受けた。14の国立大学だけでなく、3つの私立大学も含めて、大学の授業料は無償であり、いかなる追加の学費も徴収されない。高等教育への公的負担はGDP比で1.7%と国際的にもきわめて高い。
 しかし、最も印象的だったのは、学費(授業料は無償だから、それ以外の書籍などの学費)や生活費を親が負担しないということだった。教育費は学生本人がアルバイトやローンで負担するという考えが徹底している。OECDの統計でも、スウェーデンの高等教育の家計負担率はゼロで、公的負担が88%、家計負担以外の私的負担が12%となっている(OECD 2004 Education at Glance)。奨学金やローンに関しても、受給基準に親や配偶者の所得などは関係しない。徹底した個人主義が貫かれている。
 おじいさんの代もお母さんの代も、学生の時にはローンで生活していた。だから、ローンを組んで将来支払うのは当然だと学生たちは考えている。将来支払えばいいのだから、ローンは多い方がいいという意見が多かった。これは、たまたま私たちが会った学生たちだけの意見ではなく、後述の国際会議に招聘したカナダの教育政策研究所のアレックス・アッシャー氏のランキングで、スウェーデンは、教育のGDPに対する私的負担率の低さでは16か国中1位だが、ローン金額はアメリカ、イギリスに次いで3位となっている。ちなみに、日本は私的負担率が最も高く、ローン金額は5位である。ただし、こうした国際比較の時に注意しなければならないことは、比較する条件の相違である。スウェーデンの学生の4割以上は25歳以上の成人学生である。だから、親から独立していることは、むしろ当然かもしれない。このことは十分に留意する必要がある。
 11月に訪れた中国では、スウェーデンとはまったく対照的に、子どもの教育費を親が負担しようという意識がきわめて強い。高等教育の急激なマス化と授業料の高騰により、地域間・所得階層間の高等教育機会に大きな格差が生じている現状に対して、中国政府は給付奨学金だけでなくローンで対応しようとしている。しかし、ローンの認知度やローンに対する負担感自体に大きな地域間・所得階層間格差があり、この是正が大きな政策課題となっている。私たちと同じように、政府の委託を受けた北京大学の研究者たちが、この問題に取り組んでいる。前途は多難だが、やりがいがあると言って、調査に行った私たちを、むしろ質問攻めにしたことが印象的だった。
 先日、教育費負担問題を韓国の高等教育研究者に話したら、親負担意識が一番強いのは韓国だと言われた。たしかに先のOECDの指標でも、家計負担は韓国が58%で最も高い(日本は57%で2位、中国は調査されていない)。日本も含め、こうした国では、子どものために親が教育費を負担するのが当然と考えているので、公的奨学金やローンはあまり発達しない。いかに教育費負担観が各国の文化・経済・政治に根ざしているのかがわかる。
 こうしたことは、各国の報告書や論文で、頭ではわかっていても、なかなか実感できない。スウェーデンでは、ちょうど政権交代の直後だったため、授業料徴収や学生支援のあり方が大きな政治的問題となっていた。しかし、教育庁では、授業料徴収について、これからの問題としながらも、授業料を徴収しなくても、現在の方式では学生数が増えれば自動的に公的補助も増えるため、大学に財政的な問題が生じることは考えられないとの明確な回答だった。日本と比べると、大学を取り巻く財政状況には雲泥の差がある。
 スウェーデンの教育費の公的負担は、福祉国家として望ましい姿には違いない。しかし、ビール一杯が1000円近くするという現実(為替レートの問題もあるが)を目の当たりにすると、「高い」ということと同時に、福祉国家で生活するには税金で国民全体を支えているという自覚が何より必要であり、税に対する考え方を変えないといけないということも実感した。インターネットの時代だから情報がすべて入手できるというのは間違いだ。その土地に行って、人と会うことでしか得られないことも多いということも、あらためて感じた。
 国際会議は、12月6日から8日まで、「高等教育の費用負担と学生支援の国際的動向―日本への示唆(Worldwide Perspectives of Student Financial Assistance Policies:Searching Relevance to Future Policy Reform for Japanese Higher Education)」をテーマに、東京大学大学総合教育研究センター10周年記念も兼ねて開催された。6日は、東京国際交流館国際交流会議場にて、国際シンポジウムを日本学生支援機構と日本高等教育学会の後援をいただいて開催した。ニューヨーク州立大学のブルース・ジョンストン元総長など、この問題の専門家9名による発表を行った。7日と8日は、舞台を東京大学に移して、専門家による討論を行った。これらの詳細は、文部科学省への報告書と同センターのレポートとして刊行する予定である。
 会議で感じたことは、論文などで、よく考え方がわかっていると思っている研究者でも、実際に会って話してみると、考え方の相違や、こちらが勘違いしていたことに気づかされるということだった。これも直接フェース・ツー・フェースで会うことの意義だろう。海外の研究者たちからは、日本の教育費負担や学生支援の問題点を指摘してもらいたかったのだが、日本学生支援機構の奨学金が無利子ないし低利子で、むしろ他の国より公的補助が充実していると指摘された。危惧されている未返還率の上昇にしても、各国に比べたら、状況は、はるかによいのではないかという声も聞かれた。しかし、私たち日本側では、これは現在のゼロ金利の下での特殊な状況で、将来はわからないということを主張した。この点について、説得的な証拠も出せず、明確な合意はできずに隔靴掻痒の気分に陥ったものの、各国とも同じような状況の下、ローン負担とローン回収など、同じように重要な課題を抱えていることは、ほぼ同意できたと思う。
 年金や保険、介護など、負担が大きくなる次の世代が、子どもの教育費の負担を現在と同じように続けるかどうかという危惧が生じている。とりわけ、低所得層では困難になってくるのではないか。もし奨学金を最も必要としている低所得層が、将来の負担を恐れてローンを回避したり、進学を断念したりするようになれば、教育機会を拡充するための奨学金という視点から見れば、本末転倒ではないか。歯がゆい思いをしながらも、こうした点を率直に討論することができたことは大きな収穫だった。
 教育費負担の問題は、このように、単に授業料や奨学金だけでなく、年金や介護を含めて、誰がどのように社会全体の費用を負担するかという、大きな問題の一つとして考える必要がある。また、現在の世代だけの問題ではなく、次の世代更に将来の世代にわたる問題である。時間的にも空間的にも、こうした広い視野から考えていかなければならないことを痛感した。これらの問題は、私学高等教育研究所のプロジェクトでも追求していきたいと考えている。
 そのためには、データの公開が何より重要であることも痛感させられた。実際に、低授業料や奨学金が、高等教育機会の拡大や学生生活に効果があることを示す必要がある。各国では、このため学生生活調査や大学財政に関する調査を積極的に実施し、そのデータを公開している。これに対して、日本では同じような調査を実施しながら、その公開は遅れている。証拠を示せないことが、国際会議などで日本の主張の説得力をきわめて弱いものにしている。データに基づいた証拠を示すことが何より必要だ。政府も大学も、公的補助に対するアカウンタビリティが問われている。これも古くて新しい問題かもしれないが、海外調査や国際会議を通じて、あらためて感じた次第である。