アルカディア学報
国際機関での教育論議 高等教育版の学力比較は慎重に
今、教育改革は3度目の大議論の最中である。3度目といったのは、内閣直属の教育刷新委員会が中教審を作り、以後文相の諮問機関である中教審が主たる教育政策論議の場所とされながらも、中曽根内閣の臨教審、小渕―森内閣の教育改革国民会議に引き続き、今回教育再生会議が設置され、内閣をあげての教育改革論議が行われていることを指している。イジメなどの直面する深刻な問題への対処や長い目で見た改革の視点を同定することは、まさに省庁の壁を越え、あるいは社会をあげての論議を要する課題であり、このような取り組みをまずは歓迎したいと思う。
翻って、世界での教育議論はどうなっているのだろうか。それぞれの国において教育はその将来を左右する重要課題であり、当然ながら、真剣な検討が重ねられている。しかしここでは、各国ごとの状況ではなく、ユネスコやOECDといった国際機関での教育改革論議の概要について紹介することとしたい。
ユネスコは、教育、科学、文化、コミュニケーションを対象として活動する国際機関であり、ことに教育に最も力を入れている。ただ、ここでの主要課題は、義務教育すら完成がおぼつかない多くの途上国の援助を中心としたEFA(万人のための教育)の達成が最重要視されている。しかし、途上国と一口に言っても状況は多様であり、最近では高等教育まで含め、一貫した人材育成システムを希求する声は高く、教育プログラムも新しい視点が望まれ始めている。
そのような中で出てきた課題が、国境を越える高等教育活動の質の保証問題である。この問題はもともとOECDで検討されてきたが、OECD加盟の30か国に止まるものではなく、191の加盟国を数えるユネスコの課題として引き継がれたものである。
多くの人が意識していないが、自由貿易を標榜するWTO設立に際して、サービス貿易が貿易のカテゴリーとして組み込まれ、文化サービスや教育サービスが、当面各国が留保できるにしても、大きな方向としては障壁を取り除き自由に交易すべき活動と既にされてきた。なかでも「サービスが国境を越える」と定義されるモード1については、今日のITの発展をバックに、拡大の一途をたどっているところであり、アメリカを中心に、自由化を求める声が大きくなって、やっとヨーロッパ各国も真剣な対応を始めたのである。
この場合、自由貿易の原則は当然の前提だとしても、質の低いサービスが流入すれば、被害を受けるのは学習者であり、その保護が必要であるとの認識が広まり、質の保証についてのガイドラインを作ろうということになったのである。法的な拘束力を持つ基準設定に強く反対したアメリカなどへの配慮から、非拘束のガイドラインとなったが、2005年のユネスコ総会で採択されるに至り、各国の高等教育政策へ影響を与えるものと考えられ、今後一層の取り組み強化が望まれる。
その内容に立ち入る余裕はないが、6つの関係者、すなわち政府、高等教育機関、学生団体、認証団体、学術団体および専門職業団体へのガイドラインが定められ、このガイドラインに沿った各国での取り組みが期待されている。なお、我が国は当初からこのプランを推進してきたが、あわせて学生が正確な情報を得ることのできるクリアリングハウス(情報センター)の立ち上げを提案しており、各国間の情報のネットワークを整備し、各高等教育機関の正確な情報へのアクセスが確保されるようなシステム作りを求めている。
OECDは、経済協力開発機構と訳されるように、経済発展国間の協調を図り、経済発展のための諸施策を共同で実施しようとするものであるが、古くから経済発展のための大きな要因は教育にあるという認識の下、教育改革に多くの提言をしてきた。その全容をお伝えすることはできないが、ここでは、「明日の学校」プログラムからの提案をご紹介したいと思う。
このプログラムは、1990年代に始められたものであり、情報技術の発展などによる急速な社会の変化や、国際的なかかわりの変容などを考えつつ、将来の学校の在り方を提示し、議論を深める素材としようとしてきたものである。
ここでは、4つのカテゴリー、6つのシナリオを提示している。すなわち、伝統的な学校制度の充実、学校再編成(教育機能への特化、社会の中核センター機能への変貌)、脱学校(市場モデルの徹底、学習ネットワークの一要素化)および制度崩壊(メルトダウン)の6シナリオである。いささか抽象的・観念的で分かりづらいが、いずれにせよ学校のありようの変化をどう考えるかということについてのヒントを提示したものであり、現在はいくつかの国をモデルとして検証活動を行っており、この活動はさらに拡大される予定である。
実は高等教育機関についてもこのようなシナリオを考えるプロジェクトが2004年に発足している。こちらはまだ日が浅いので、上述のようなシナリオの提示には至っていないが、学校、教師、学生のネットワーク化(オープンネットワーク)、地域との関連の密接化ないし生涯学習への貢献、市場原理のさらなる導入と外部資金の投入、コマーシャルベース化などの要素が示されている。
以上のほか、OECDでは大成功を収めた一五歳の学力比較(PISA)をさらにすすめ、高等教育版PISAも作るべきだという声も高い。特にPISAでは、学力の考え方を、「どれだけ憶えたか」から、「いかにして学ぶか」へと転換し、現代社会を生きる能力の再定義と国際標準化へ成功したものであり、その成果は高く評価されるべきものであるが、高等教育版については多様な高等教育の実態を考えるとき、容易に比較可能なシステムを作ることはできまいと思われる。今後の慎重な取り組みが、望まれる所以である。
以上いくつかの例をみてきた。教育活動がそれぞれの国民の育成という理念に根ざしており、それぞれのシステムは独自性を持つものだとは言えるものの、すでに国際的なアリーナで競いあわざるを得ない状況下にあるということを紹介したかったところである。若年人口の減少により、困難な状況にさしかかりつつある時に、さらに国外へも目を向けることは容易ではないが、世界の標準を凌駕できる実質を備え、世界に売り出すほどの勢いを持たねばなるまいと思う次第である。