アルカディア学報
規制改革化した高等教育政策
本筋の議論への回帰を
<規制改革の目標と教育改革の目標>
規制改革の教育分野への拡大を教育界は大きな戸惑いを持って迎えている。その原因は規制改革と教育改革の目標の違いにあると思われる。規制改革の目標は煎じ詰めれば民業の拡大による経済の活性化である。規制改革に中核的な役割を果たしてきた規制改革・民間開放推進会議の任務は「国及び地方公共団体の事務及び事業を民間に開放することによる規制の在り方の改革」であるとされている(内閣府本府組織令)。また、構造改革特別区域基本方針では、「経済の活性化のためには、規制改革を行うことによって、民間活力を最大限に引き出し、民業を拡大することが重要である」としている。教育分野で実施されてきた個々の規制改革政策では、その目標として「競争による教育の質の向上」を挙げていることが多いが、規制改革の全体を見れば、それは副次的な目標に過ぎず、根底にある目標は経済の活性化であり、そのための「官製市場」への民間参入の促進、民業の拡大である。教育改革の目標と根底のところで食い違っていることは明瞭である。
新自由主義的な思考の下では、市場原理の有効性は経済の分野に限らない普遍性があるとされるようだが、規制改革の流れの10年の中で具体事例に即して実感することは、規制改革政策と教育の論理との数々の不整合である。そのような不整合が生まれる根底の原因は、やはり規制改革が教育とは異質な目標を持つためではないかと考えざるを得ない。
高等教育の分野の規制改革について、教育との不整合な問題点を2点ほど具体的に論じてみたい。〈規制改革における「評価」の考え方〉
規制改革政策を進めるにあたっては、政策の評価ということが大事にされているように思う。「構造改革」という言葉どおりに、国の行政のあり方を根本から変えていこうという、かつてない大改革を進める以上、その政策についての評価と情報公開が徹底しなければ国民はついて行けない。規制改革を推進する当局がその点に努力していることは肯けることである。それにもかかわらず、教育関係者の間では、今の規制改革の進展に対しては疑念と不安の声が強い。その理由の一つには、「評価」ということについての考え方に、規制改革の側と教育界との間に大きなズレがあるためではないかと思う。
既に構造改革特区の事業として認められている「株式会社による学校設置事業」を全国展開することの可否を決めるための評価が年内にも実施されるようである。この評価がどのように行われるのかを見てみたい。
まず、評価を行うのは内閣府の構造改革特別区域推進本部に置かれている評価委員会(民間事業者、学識経験者等の委員10人)であり、特区において特例措置が講じられた後、毎年度その実施状況の評価を行うことになっている。評価委員会は所管省庁からの調査結果の報告を踏まえて評価し、特段の問題が生じていないと判断された場合は、速やかに特例の全国展開を推進することになる。この「速やかに」というのは原則1年以内とされている。このタイミングは経済分野の事業についてならともかく、教育の制度改革については常軌を逸した性急さである。教育制度の評価には、制度発足後5年、10年を要するのがあたりまえだし、それでもなお端的な結論を得ることは難しい。学校設置会社の特例が設けられたのは平成15年6月であるが、その後の評価では、文部科学省からの、適切な評価を実施するためには卒業生を出すまでの状況に関して実態把握が十分行われる必要がある、などの意見を踏まえて結論は先送りされており、再度の評価が行われることになっていた。
教育分野の評価では、長期の観察に加えて歴史的、国際的な比較の視点や周辺の学問分野を糾合した幅広く深い洞察を要するものが多い。Plan―Do―Seeのサイクルは長く重いものにならざるを得ず、短期的な軌道修正は難しい。短期的な修正が難しいとすれば、事後の評価より事前評価を重視する必要があるのは自明のことである。「事前チェックから事後評価へ」という規制改革のキャッチフレーズは教育の分野には馴染みにくいのである。
ところで、構造改革特区のシステムは徹底した「事前評価より事後評価」である。特区の考え方は「特定地域における構造改革の成功例を示す」ことによって、これを「全国的な構造改革へと波及させる」ことが目標であり、特区の設定にあたっては、地方公共団体や民間事業者等からの提案を受け付け、これについて「『実現するためにはどうすればいいか。』という方向で検討」を行うこととしている(前記基本方針)。特区の認定に際しては関係行政機関の長の同意が必要だが、この基本方針からして、明確な法令違反でもない限り原則的に同意しなければならない仕組みになっている。このようにほとんど実質的な事前評価なしに始まった株式会社立大学の実施後の実態に対する評価は、前記の評価委員会で行われることになるが、そのプロセスは次のようになる。
まず、所管省庁は特例措置の実施状況について毎年度調査を行うこととされており、評価委員会はこの調査を踏まえて全国展開の可否を判断する。所管省庁の調査にあたって、全国展開した場合の弊害については所管省庁が立証責任を持つものとされている。この立証責任を果たしたかどうかの判断は評価委員会が行い、果たしていないとされれば弊害はないことになり、全国展開を認めることになる。要するに、所管省庁は特区の特例措置及びその全国展開について適否を判断する立場になく、10人の委員による評価に基づいて、特区推進本部長たる総理大臣の名の下に規制改革は推進されるのである。この間の「評価」は、経済の活性化効果を基準とする明確な方向性を持った評価であり、われわれの理解する教育の視点からの評価とはおよそ異質である。
<高等教育政策の目標喪失と断片化>
これまで高等教育の分野で進められてきた主な規制改革を挙げてみると、設置認可の準則化、株式会社等の大学経営への参入、校地・校舎等の自己所有要件の緩和、学校法人の資産基準の緩和などがある。これらは、規制改革の立場から見れば学校経営への民間参入の促進という目標に沿った改革として一貫性・整合性のある政策である。しかし高等教育政策としての視点から見た場合はどうか。高等教育政策としては、これらの改革は教育の質保証システムの問題であり、高等教育のグランドデザインの問題であり、学校法人制度のあり方等の問題である。しかし、これらの高等教育政策の課題への対応としては、全体的な視野に欠け、断片的で整合性もない。
質の保証システムとしては、設置審査と事後評価との役割分担が明確でなく、事後評価の見通しもないままに設置審査の簡素化だけが先行してシステムは破綻をきたしている。高等教育の供給過剰がますます顕著になる中で新規参入を促進する施策を進めているのは経済政策なのか教育政策なのか。予想される過剰競争による弊害については学校の経営破綻の話ばかりで対策らしいものはなく、見通しもない。公教育の整備を、自由と自己責任を原則とする私人の経済活動と同視しているかのようである。株式会社等の大学参入、学校法人の資産基準の緩和、国の監督強化等の規制改革の断片が、結果的に学校法人制度を空洞化させようとしているが、それは学校法人制度のあり方を正面から審議した結果ではない。
いまの高等教育政策は、経済の活性化という規制改革の目標に従属して、民力の活用、民業の拡大を基本路線に据えてしまい、本来の高等教育政策は正面から議論されることなく、規制改革に付随して断片化している。規制改革の意義を理解しつつも、高等教育政策の本筋の議論をいま回復しなければならない時だと思う。