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アルカディア学報

No.257

私大の定員割れとファンディング 教育支援型財務の確立を

研究員 浦田 広朗(麗澤大学国際経済学部教授)

 日本私立学校振興・共済事業団の「学校法人基礎調査」にもとづく私立大学・短期大学等入学志願動向が今年も七月下旬に発表され、集計対象となった私立大学の40%に相当する222校で入学者数が入学定員を下回る定員割れ状態となっていることが明らかになった。2007年に到来すると言われる大学全入時代を前に定員割れ大学が急増した(2000~2005年度は30%前後で推移)ことから、私立大学の経営破綻も早い時期に多発するのではないかと推測されている。入学難易度の低い大学から破綻する、小規模大学は存続できない、といった推測である。同じく私学事業団の調査で、今年度の国立大学の入学定員充足率が初めて私立大学を上回ったことが九月上旬に発表され、私立大学に対する悲観的推測に拍車をかけている。
 しかし、私立大学の定員割れや経営破綻を考える場合、次のような点に留意する必要がある。まず、第一に、入学難易度の低い大学が必ずしも定員割れを起こしているわけではない点である。2005年度入学者数と入学難易度(偏差値)双方のデータが得られた894学部について、偏差値と定員割れとの関係をみると、確かに偏差値50以上の学部は安定的に入学者を確保しており、定員割れを起こしているのは8%に過ぎない。他方、偏差値50未満の学部においても、定員割れを起こしているのは28%に止まっており、残り72%は入学定員以上の入学者を確保しているのである。
 もちろん、入学者数や偏差値のデータが得られないような学部で定員割れが多く起こっていることが考えられるが、偏差値が下がったからといって直ちに定員割れとなるわけではない。大学の偏差値は、各大学合格者の入学試験前の学力にもとづいて算出されたものである。その時点での学力が低い者を多数入学させた大学であっても、入学後に有意義な学生生活を送ることができ、その後の人生の基盤になるような学習習慣が形成されるような大学であれば、十分に存在価値がある。
 第二に、小規模な大学が必ずしも定員割れを起こしているわけではない点にも留意しなければならない。2005年度入学者数データが得られた945学部について、入学定員の規模と定員割れとの関係をみると、入学定員1000未満の小規模学部では27%、入学定員200人未満の学部では33%が定員割れを起こしているが、残り7割前後の学部では入学定員以上の入学者を確保している。ここでも、データが得られない学部で定員割れが多く発生していることが考えられる。しかし、当然のこととは言え、小規模大学であっても、教育条件を整え、学生募集に工夫をこらしている大学は、十分な入学者を確保できるのである。
 第三に留意すべきは、私立大学の定員割れがそのまま経営破綻を意味するわけではない点である。大学の入学定員は、配置すべき教員数や校地・校舎面積等とは結びついているものの、損益分岐点と結びついているわけではない。私学事業団の『今日の私学財政』(平成17年度版、データは2004年度)によれば、収容定員を満たしていない私立大学は195校であるが、消費支出比率が100%を上回っている大学、すなわち消費支出を帰属収入で賄うことができない赤字の大学は、これより少ない152校である。定員を充足していても赤字の大学がみられることも合わせて考えると、定員を下回ったからといって直ちに赤字になるわけではなく、直ちに経営が破綻するわけでもない。勝ち組大学、負け組大学の二極化がすぐに起こるものでもない。
 なお、この「二極化」という言葉にも注意しなければならない。この言葉からは、社会は極めて良いグループと極めて悪いグループの二つで構成されるというイメージがもたらされる。しかし、正規分布のグラフを思い起せば分かるように、実際には「良い」と「悪い」の間に多数の「普通」がある。「良い」と「悪い」はどうしても目立つし、話題になりやすいが、中間の多数派を忘れてはならない。私立大学で言えば、入学定員充足率が100%前後の大学、消費支出比率が90%前後の大学が多数派である。極端な事例に左右されるのではなく、これら多数の大学を健全に維持することが大切だ。
 では、どうすればよいか。第一に考えなければならないことは、大学の規模拡大ではなく、コスト削減による財務体質の強化である。将来の赤字が見込まれる時、入学定員の拡大や学部・学科の増設を考える大学が多い。しかし、例えば学生規模が5000人を超えないと大学経営は難しいとか、単一学部では立ち行かないというのは、規模の経済や範囲の経済という考え方を大学に単純に当てはめたものであって、実証的根拠はほとんどない。実際『今日の私学財政』に記載されている消費支出比率の大学規模別集計によれば、学生数2000~3000人という比較的小規模な大学グループの平均値は86%である。この値は、これより学生数が多い大学グループでもほとんど変わらない。学部構成によっては、この値が大規模大学グループで大きくなっている場合もある。つまり、規模拡大は財務状態の改善をもたらすとは限らないのである。規模拡大のためには、施設・設備のための投資や、教職員の増員が必要だ。1990年代から今日に至るまで続く規模拡大のために先行投資を実施した大規模大学の中には、投資のための借入金の返済に苦しみ、増大した人件費に圧迫されている大学もみられる。
 将来の出生数を正確に予測することは誰にもできないが、少なくとも18年後までの18歳人口は確定している。社会人の学習需要増が見込まれるとしても、基本としての18歳人口を前提とすると、大学の規模拡大は不適切であることは明らかである。少子化時代の大学経営は、収入拡大よりもコスト削減を重視する必要がある。乾いた雑巾をさらに絞ると言われる企業経営と比較すると、大学経営には、管理会計などの分野で開発されたコスト削減手法を導入する余地は大きい。
 第二に、コスト削減等により発生した余剰資金の活用を工夫することである。これまでの私立大学は、余剰資金が発生すると(発生しなくても)規模拡大に必要な施設・設備の取得に向けてきた。つまり、第1号基本金に組み入れてきた。教育・研究のための施設・設備の充実が重要であることは言うまでもない。しかし、過剰な施設・設備は、その維持費が将来のコストとなる。高等教育人口の劇的な拡大が望めないこれからの時代においては、将来に果実を生む基金の充実を考える必要がある。
 果実を生む基金である第3号基本金の2004年度末残高は、日本の大学法人全体で8168億円である。10年前の2倍近くになっているとは言え、米国ハーバード大学一校の基本財産(2004年6月末現在で226億ドル)の3分の1に過ぎない。余剰資金を第3号基本金に組み入れることは、大学経営においては強い誘因をもたないかも知れないが、そこから発生する果実を、例えば奨学金に充てることにより、特に低所得層の学生には大きな恩恵をもたらす。現状では十分な規模には至っていない第3号基本金であるが、この10年間の増加ペースが続けば、さらに、そこに企業や政府からの資金流入が起これば、それほど遠くない将来に、各私立大学に学ぶ低所得層の学生に対して十分な奨学金を給付できる基金に成長する可能性がある。
 第三に、そして何よりも重視しなければならないことは、教育の改善である。言うまでもなく私立大学の目的は、大学法人の財務状態を良くすることではなく、良い教育を施すことだ。多元的な収入確保を図ることは必要であるが、得られた収入を活用して教育・研究の充実を図ることがさらに大切である。闇雲な規模拡大による収入増や、必要とされる教育研究経費の削減によって財務状態を改善することは、本末転倒と言わざるを得ない。学校法人会計において、大幅な収入超過よりも、収支の均衡が重視されるのは、このためである。現行の学校法人会計基準は、いくつかの不備が指摘されてはいる。しかし、各大学が真実の内容を表示していること(真実性の原則)を前提とすれば、現行の三計算書は、収入が教育に活用されているか、すなわち教育条件を支える財務が確立しているか否かをチェックするツールとして、なお有用である。