アルカディア学報
学生に"職業観"の育成を
今春卒業予定の大学生の就職内定率(昨年12月1日時点)は、文部科学省、厚生労働省の調査によれば、75・2%で、過去最低となった前年同期をやや上回って増加に転じたという(日本経済新聞、13年2月1日付)。これが両省が言うように「厳しいながらも、改善の兆し」と見てよいのかどうかはまだ不透明だが、大卒の就職状況は依然厳しく、就職実績が学校の評価や経営に直結する多くの私大にとっては、そのゆくえは切実な関心事の的であろう。
就職をめぐっては、就職前の学生、学卒者を雇用する企業に新しい変化が見られ、大卒者を送り出す大学もそれに応じた新しい対応が必要になっていると思われる。
まず就職を控えた現在の学生の間に、最近顕著な現象として、依然として厳しい採用状況にある今日にもかかわらず、企業が主催するセミナーへの出席率が前年より下回るとか、学内でも就職への意欲や関心を失っている学生が増えているということがみられるようである。むろんインターネットや就職情報誌等を活用して、積極的に就職運動に取り組んでいる学生も少なくない。ただ就職に関しては学生の間に活発な積極派と無関心な消極派とができて、その二極化傾向が目立ってきているとも指摘されている。
また、若者の就職、さらには大卒後のキャリアに対する意識や態度にも変化がみられる。たとえば卒業後、就職も進学もしない学生(無業者)が増えつつあり、無業者数は2000年3月の大卒者53万9000人のうちの実に22・5%にもあたる12万1000人に達したという。労働白書によると学校卒業後も定職に就かず、アルバイトなどを転々とするフリーターが5年間で50万人も増えたという。つまり大卒者の4人に1人が進学も就職もしないことになる。しかもその多くは親と同居で食住は丸抱えで、「親離れしない子が子離れできない親の宿り木となる」とも評されている(日経、1月31日)。
就職情報会社ディスコの「学生モニター調査」によると、学生の企業選択基準は多様化している。大手企業志望の学生は依然として多いものの年々減少し、反面中小企業やベンチャー企業志望の学生が増加しつつあり、会社よりは仕事の内容を選択の基準にする傾向も高まり、正社員にこだわらず契約社員や派遣社員を選択する傾向も顕著であるという。日経リサーチの調査でも一つの会社に一生勤めたいという学生が年々減少し、転職などでキャリアアップを図りたいという学生が増加傾向にあるという(日経、2月1日)。
さらに注目されるのは、大卒の離職者の増大である。平成12年度版の労働白書によれば、この就職難の時代にせっかく就職した大卒者の33・6%の若者が、3年以内に辞めていくという。これは大卒だけの現象ではなく、メディアは就職における「七五三」(中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割が会社を辞める)とか、「若者の大離職時代」などと呼んでいる(週刊東洋経済3月3日号、『なぜ僕らは会社を辞めるのか』)。
このような学生の側の変化に対して、雇用者の側からは企業側の採用のニーズと大学教育の現状との間に大きなミスマッチが増大していることが、これまでしばしば指摘されてきた。従来までの年功序列賃金と終身雇用制に基づく、学卒一斉採用と企業内教育訓練に長期的に投資するという、いわゆる日本的雇用慣行の前提は、若者の就職に対する意識・態度の変化や離職・転職の増加、さらには長期的な不況と競争の激化という条件のなかで、もはや維持しがたくなるのは当然のなりゆきであろう。大学に対しては、第一義的に勤勉従順で素質の高い人材選別と配給の機能を求め、人材の養成は企業内でひきうけるとしていた雇用者側は、いまや自前の企業内教育への投資を控えはじめ、かわって大学に生き残り競争にうち勝てるような「創造性のある」人材の教育機能の充実を強く求めだしてきているのである。
大学に求められている教育機能とは、識者の指摘するように、単に「即戦力」や「専門性」をもつ人材の育成のみならず、幅広い一般教養教育を受けた「総合力」をもつ人材の育成である(渡辺聡子「企業の人材と大学の役割」日経、1月29日)。
この要請は一見相矛盾しているようだが、実は教養と専門教育の統合を目指す新制大学の理念と一致するものでもある。
内には学生の側の就職意欲やキャリア意識の変化、外からは教育機能の充実強化を求められている大学は、大学教育の総決算とでもいうべき大学生活のプロセス全体の基本的な再検討を求められることになるのではないか。なぜならこうした変化は従来型の入学選抜を重視し、どこの学校に入学できたかという選抜ないし学校歴を中心とした就職の在り方から、在学中に学生にどのような就職への意欲・態度を身につけさせ、さらに専門教育とともに教養ある人間性を養い得たかという、新たな役割を大学に求めるからである。言い換えれば、大学は入学選抜(インプット)中心から在学中の教育過程(スループット)、卒業までに獲得された付加価値(アウトプット)の評価に至る全過程において、その教育機能のパラダイムの転換を求められているということでもある。
しかも大学が当面する課題は、単に専門学力や教養を身につけさせるという公的な教育機能の強化にとどまらず、就職への意欲を失っていたり、フリーターでもよいといった学生に対するキャリアーガイダンスや生活指導という、教科外の機能も補強せざるを得なくなるだろうということである。少なくとも大学は学生たちに、定職をもたず、フリーターで生きることの将来のリスクを教え、しっかりとした職業観をもってこれからの人生や社会に臨むことの意義は伝える義務があるだろう。
こうした複雑で重要な役割を大学はいかにして果たすことが出来るだろうか。少なくとも、単に3年次や4年次になってからの短期的な取り組みだけで達成することはまず不可能であろう。それには大学や企業との協力も含む、全学挙げてのもっと長期的な準備と入念なプログラムが必要となるだろう。すでに学生の1年次から進路・就職への意識付けやキャリア形成に取り組んでいる私学も少なくない。
イギリスのケンブリッジ大学の学長を務めた故エリック・アシュビー卿は、かつて大学はまずなによりも教職員のためではなく、学生のために存在する組織であるとし、その学生のうちで大事なのは大学院生よりは学部学生であり、学部学生のうちでも最も大事なのは1年生(フレッシュマン)だと言っている(邦訳『誰でも何でも学べる大学』玉川大学出版部)。人間はだれもが初めが最も肝心な時期であり、最初のつまずきが後々に大きな結果をおよぼすことが常である。その意味で大学はまさに学生の入学の時点から、卒業後、さらにはその後の人生のキャリアーの形成に責任をもつ体制を整備することが必要な時代になってきたのではないか。