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アルカディア学報

No.247

健康・医療専門学位の変化
米国における職業参入資格の上昇

研究員 森 利枝 (大学評価・学位授与機構助教授)

 専門職、特に健康・医療系の専門職に就くにあたって求められる学位が上昇傾向にある。例えば、これまでは学士レベルの学位があれば十分であったのが、近頃では同じ職業に参入するために、修士レベルの学位が求められるようになってきている。この傾向を前に、実態を把握するための調査を高等教育関係の評議会が行った―というのはアメリカでの話である。
 調査は、ワシントンに本拠地を置く、高等教育アクレディテーション評議会(CHEA)によって2005年の春から夏にかけて行われた(2005 CHEA Survey)。CHEAは高等教育アクレディテーション団体の傘団体で、地域、専門を通じたアクレディテーション団体相互の連絡協議、研修の機会を提供するとともに、連邦とのパイプ役を果たしている団体である。
 今回の調査対象は、CHEAあるいは連邦教育省の認可を受けている62の専門アクレディテーション団体である。調査内容は、各専門アクレディテーション団体の関係する専門職において、過去五年間に、①当該職業への参入資格としての学位が上昇したか、という本稿冒頭に述べた傾向に関する設問と、②各レベルにおける学位の取得要件が厳しくなったか、という設問であった。
 対象となった62団体のうち41団体がこの調査に回答し、うち18団体が①ないし②の設問で述べた現象のどちらか、あるいは、その双方が起きていると回答した。そして、これら18団体のうち12団体までが、健康・医療に関連する分野の専門アクレディテーション団体だったのである。CHEAでは、今回の調査への回答状況を見る限り、専門職に関わる学位の問題の中心は健康・医療分野であると分析している。これら12の専門アクレディテーション団体の関わる分野とは、①家庭・消費者科学(栄養学を含む)、②鍼及び東洋医学、③薬学、④看護麻酔学、⑤助産学、⑥歯学、⑦栄養学、⑧理学療法学、⑨保健衛生経営管理学、⑩神経医学、⑪検査技術科学、⑫看護学の各分野である。なお、参考までに18団体のうち、健康・医療分野に関わらない6団体が関与している専門分野は、①航空学、②工学、③葬儀サービス学、④林学、⑤造園学、⑥教師教育であった。
 では、これらの職業に関連する、このような学位要件の上昇あるいは学位取得要件の底上げは、なぜ起きているのであろうか。今回の調査では、例えば、職業に要する技術が高度化していることや、免許取得の要件の変化などの要因が指摘されている。このように見ると、各々の職業に関わる技術の高度化や、免許取得のための要件は、必ずしも今回の調査の対象となった専門アクレディテーション団体がコントロールする事項ではなく、専門職業団体や州の政策が大きく影響する事項であると考えられる。実際に、今回の調査においても、職業と専門アクレディテーション団体の二者のうち、学位要件の上昇においては職業が大きな役割を果たしたと回答したアクレディテーション団体が九団体であったのに対し、専門アクレディテーション団体そのものが大きな役割を果たしたと回答したものは3団体にとどまった。この点に関してはCHEAによる分析も、「アクレディテーション団体は学位要件の上昇に相応の役割を果たしているが、必ずしも主たる役割を果たしているわけではない」としている。
 ここで、免許取得の要件となる学位の変化について具体的に見てみることにしよう。作業療法学は、先に挙げた、過去五年間に職業参入のための学位要件の変化があった分野ではないが、今後(2007年から)、職業参入の最初のハードルを学士レベルの学位から、修士レベルの学位へと引き上げることが決定している。アメリカ国内で業として作業療法を行うには州の免許が必要であるが、現在、免許を取得するには専門アクレディテーション団体である、作業療法教育アクレディテーション評議会(ACOTE)に適格認定された学士レベルのプログラムを修了し、その後に全国作業療法認定会議(NBCOT)が実施する全国試験に合格して作業療法士の資格を得ることが求められている。この資格を有する者が、州の免許を得ることができる(州によってはさらに課業が求められる場合もある)。この一連の手続きのうち、NBCOTが行う全国試験の受験資格について、ACOTE認定のプログラムで学士の学位を得ることから、修士の学位を得ることへと引き上げられることになったというわけである。
 また、理学療法学の分野では、職業団体と専門アクレディテーション団体が密接に連携して、職業参入資格の上昇を図っている。職業団体である、アメリカ理学療法協会(APTA)では、近年、理学療法士が大学院レベルの学位を有することを強く推奨している。これに呼応する形で、理学療法学の専門アクレディテーション団体である、理学療法教育アクレディテーション委員会(CAPTE)は、2002年に学士レベルの理学療法学のプログラムを適格認定することを停止した。したがって、CAPTEから適格認定を受けようとする大学はすべて、修士レベル以上のプログラムを提供しなければならないことになっている。現時点では、学士レベルの理学療法学のプログラムを修了した者も、州の理学療法士の免許の試験を受けることができるが、このように、学士レベルで適格認定を受けた理学療法学のプログラムのみを了えた学生が減少する構造ができあがっているなかで、今後、理学療法士という職業への参入資格は、学士から修士の学位へとシフトしていくことになるであろう。
 もう1つ、別の例を見てみたい。聴覚士の業に関しては、現在、49の州で免許制が布かれている。これらの州では免許取得の要件に、全国試験の合格、一定時間の医療実習などと並んで、聴覚学の分野で修士の学位を有していることが定められている。この修士の学位という要件が、現在、いくつかの州で見直されており、博士の学位を有することを必須とするよう変更する動きが出てきている。
 さらに、これまでの職業団体やアクレディテーション団体が牽引力となった例とは異なり、雇用者がより高い学位を求める傾向があるとされている職業として、放射線治療技師が挙げられる。放射線治療技師には徐々に準学士や学士の学位が求められるようになってきているというのは、連邦労働省の見解でもある。
 雇用者ばかりではない。高い学位を求めるというのは、それを授与する側にも見られる傾向のようで、先に紹介したCHEAの調査においては、各専門分野において授与される学位の変化の背景には、大学がより高い学位を授与したがるという事情があるとの指摘がなされている。また、同様に、学生の課業量を増やすのは大学の意向であるとの指摘も得られている。しかし、それと同時に問題も起きている。同じCHEAの調査では、職業参入のための学位要件は上昇しているものの、大学の側ではそれに見合った教員が不足する、あるいは最終学位を有しない教員にプレッシャーがかかったり、活動が制限されたりするようになってきているといった事情も報告されているのである。
 アメリカにおける職業参入資格としての学位の上昇と、学位取得要件の底上げを概観してきたが、この事態は、職業団体、専門アクレディテーション団体、政府、雇用者、そして大学といった複数のプレイヤーによる役割の調整を要する事態であるように思われる。そこで想起されるのは、わが国で設置が進められている専門職大学院である。専門職大学院の登場により、少なくとも職業参入資格としての学位の上昇の問題はわが国でも既に起きつつあることが明らかになり、今後、その学問領域の範囲も広がっていくことが予想される。専門職を目指す学生に学費や修業年数などの予想外の負担をかけず、同時に現実の社会の要請の変化に対応できるよう準備するために最も微妙な調整を求められるのは、これらプレイヤーのなかでは大学であるように思われるのだが、如何だろうか。