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アルカディア学報

No.245

大学改革と規制改革(その2)-第28回公開研究会の議論から

主幹 瀧澤 博三(帝京科学大学顧問)

◆規制改革はどこまでいくのか

 20世紀と21世紀とに跨ったこの10数年は、まさに時代の転換を思わせる大きな変革の一時期であった。長期低迷を続けるわが国経済の再生を目指して進められた改革は、第二次橋本内閣の行政改革に始まり、財政構造改革、金融改革、地方制度改革、規制改革と多くの領域に拡大していった。それらは新しい時代にマッチするよう国家機能のあり方を根本から変えようとするものであり、いわば「国のかたち」を変える巨大な改革の流れとなった。
 この巨大な改革の流れ―構造改革―の中で、規制改革はすでに四次にわたる三年計画の実施を経て、経済・産業の分野から、しだいに医療、福祉、環境、教育など社会的な分野へと波及し、これら「公共」の領域での既存の体系、秩序に大きな衝撃と不安を与えてきた。行動の原理が私的利益ではなく公益である公共の領域では、市場原理の働きは限定的である筈で、規制改革も経済の分野とは違った手順が必要だったと思うが、その点で教育の分野での規制改革の議論の進め方には疑問が多い(平成17年11月2日付第2209号「アルカディア学報」222参照)。
 資源配分への政府の関与を極力抑え、市場機能の活用を徹底しようとする改革の方向は、キャッチ・アップの時代を過ぎ、世界のフロントランナーに列することとなったわが国として、不可避のことであろう。「公共」の領域であっても、すべて官の統制下に置く必要はない。必要がないだけでなく、公共サービスから権威主義を排し、受益者・利用者である国民の視点を生かすためには、市場機能も大いに活用すべきである。
 しかし、公共の利益は単なる個々人の利益の集積ではない。教育のあり方を決めるには、国民の総意を形成する手続きも必要だし、専門的な知識・経験に基づく知恵も求めなければならない。消費者の選択が最良の教育を生むという保証はない。産業界の有識者を中心として進められてきた規制改革では、当然のことながら経済・財政の視点が根底にあり、教育、福祉などの領域で形成されてきた政策理念に、正面から慎重な検討を加えてきたとは思えない。「改革に聖域なし」と言うキャッチフレーズは「問答無用」とも聞こえる。
 高等教育について言えば、市場の縮小が続く中で設置の自由化を進め、さらに学校法人以外の多様な設置主体の参入を促して一層の競争化を促すという、無謀としか思えない政策が続けられている。規制改革の考え方は、競争によるサービスの質の向上というメリット面のみを見て、過度な競争による資源の浪費、教育の不安定と質の劣化、経営の逸脱行動などのデメリット面はあまり念頭にないように思われる。規制のデメリットを云々するなら、自由化についても、予想されるデメリットを十分に点検する必要があろう。
 最近に至って、経済・産業の分野でさえ、企業の不祥事の頻発などから、国民の間には規制改革の進め方に対する疑問の声が起きつつあるように見受けられ、規制改革を見る国民の目には変化の兆しも感じられる。構造改革の流れはあまりにも大きく強力であったため、これを前にして、これまでの高等教育政策の理念は独自の理論を有効に主張することもできず、規制改革の提言を極力受け入れることに精力を使い果たしているような感じがある。その結果が高等教育の将来にどのような禍根を残すか懸念せざるを得ない。

◆第28回公開研究会において

 今月5日に私学高等教育研究所の主催で第28回公開研究会を開催した。「大学改革と規制改革」をテーマに取り上げ、文部科学省大臣官房の高等教育局担当の審議官である德永保氏に講演をお願いした。昨年10月にも同じテーマで公開研究会を開催しており、今回はこのテーマの「その2」である。規制改革の提言には、高等教育政策の立場からは理解しがたいものが多い。そこで、これを推進している側の考え方を直接関係者から聴きたいというのが前回の趣旨であり、規制改革・民間開放推進会議の福井秀夫専門委員(政策研究大学院大学教授)に講演をお願いした。その結果はどうであったかと言えば、個人的には、疑問は依然として疑問であり、高等教育における規制改革の先行きへの不安は消えない。では、規制改革の提言を所管省である文部科学省は、どのように受け止めているのかを聴こうと言うのが今回の趣旨であった。
 德永審議官は、まず、大学を取り巻く環境変化として、大学が大衆化し日常化したことによって消費者としての学生の視点が重視されるようになったことと、アメリカン・スタイルをスタンダードとするグローバリゼーションを挙げ、これらの環境変化による大学への社会の期待の変化を背景としている点において、規制改革には極端な面があるにしても、大学改革の理念と全面的に対立するものではないとした。そして、大事な政策課題として「大学像の再確認」を挙げた。現在の大学をめぐる混乱の原因は、共通の大学像が失われたことにある。大学には歴史的、国際的に確立されてきた不易の理念があり、これは大学の国際的通用性の上でも不可欠であって、このような大学の本質、特性について社会の理解を確保することが大事であると指摘した。
 規制改革の強い圧力の下で、方向感覚を見失っているように見える大学にとって、この指摘は重要な意味を持つと思う。以下にこの指摘に対する私なりの受け止め方を述べてみたい。

◆政策と市場―二者択一でなくバランスの議論を

 大学の大衆化、ユニバーサル化に伴って、大学は市場化・サービス化と言われる変化にさらされている。学問的権威を背景にして学生に接するだけでは、大学教育は成り立たなくなってきた。この認識に立って大学審議会は、大学の「教育改革」を促してきた。これは、大学の質的変化という内在的な要因からの市場の重視である。これに加えて規制改革は、経済の活性化という目標をもって高等教育の外から市場化を求めてきた。大学教育の質的変化への適応と言う観点を離れて市場化自体が目的化し、そこに市場化の程度・範囲をめぐって高等教育政策の立場との齟齬が生まれる。今必要なことは政策か市場かの議論ではなく、どの部分に公的な関与が必要なのか、どこまで市場に委ねるのが効率的なのかという両者のバランス論である。
 最近は金融市場の混乱が目立つようになった。経済分野での自由化に行き過ぎがあるのかどうか門外漢にはわからないが、自由化に伴って、必要なルールと監視体制の整備に問題があることは否めないだろう。自由化のコストと、自由化の効用とのバランスも考えなければならない。高等教育への参入の自由化の効用と、過度な競争化が生むであろうさまざまな事態への対応に要するコストとのバランスはどうなのだろうか。
 規制改革の提言には、政策か市場かの二者択一の議論が多いように思う。また自由化のコストについても、セーフティネットを取り上げるぐらいで、懸念される多くの問題に触れることが少ない。そのことが規制改革の提言への疑念を強め、先行きへの不安を増幅させているのではないだろうか。高等教育に対する公的関与についても、必要なものは必要と認め、市場機能とのバランスのあり方を冷静に議論できる土壌が必要である。そのためには、まず、大学の理念の高度な公共性についての社会の理解を深めることが不可欠だが、その点について大学人自らは、これまで、どのような努力をしてきただろうか。公開研究会での德永審議官の指摘は、そのことを示唆していたのではないかと思う。