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アルカディア学報

No.237

米国キャリア教育の現状と展望-ポール・ゴア博士から学んだこと

研究員 川嶋太津夫(神戸大学大学教育推進機構教授)

 ニート、フリーター問題や卒後3年離職問題の深刻化、さらには18歳人口の急減に端を発した学生獲得競争の激化の中で、キャリアデザイン等の名称を冠した学部・学科を創設する大学が相次いだり、従来あまり学生の就職問題に関心を持たなかったといわれる国立大学でも、就職室やキャリアセンターを設置したりするなど、最近、大学関係者の間で、にわかに大学生のキャリア教育に関心が高まってきている。そのような折、去る2月17日に、米国よりACTのキャリア開発研究部ディレクターを務めるポール・ゴアPaulGore博士をお招きして公開研究会を開催することができた。博士のご講演から伺える米国のキャリア教育の現状と、わが国高等教育への示唆を中心にして報告したい。
 今回の公開研究会では、まず高校から大学への接続の観点から、大学におけるキャリア教育の必要性が報告された。米国労働省の調査によれば、高校生の80%以上が高等教育への進学を希望しており、また、70%は将来のキャリアを決めていると回答している。しかし、希望するキャリアは、保健・医療、教育、コンピュータ、法律、科学、工学など、特定の分野に限られ、このような職業は、必ずしも将来の労働市場の需要が高まる職種ではない。さらに希望学歴と希望職業に必要な学歴との間にはギャップが見られる。したがって、高校生は授業の指導以上にキャリア決定について高校での支援を必要としているものの、現実には高校で十分なキャリア指導がなされないまま大学に進学してくる。加えて、周知のように、米国の大学は2年生以降になって専攻を決める制度のため、初年次にしっかりとしたキャリア教育を実施する必要性が高まっている。実際、2000年に実施されたフレッシュマン・セミナー担当者への全国調査によれば、キャリア開発はセミナーで取り上げるトピックのベストファイブに入っており、担当者は五段階尺度でキャリア教育の重要性に4.3点を与えている。この重要性を反映して、授業時間の約15%がキャリア教育に割かれている。
 キャリア教育には普通、次の3つの活動が含まれる。(1)自己の探求…自分の抱いている関心、価値観、スキルを見極め、自分を知ること。(2)仕事の探求…職業や教育について情報を集め、職業の世界について知識を得る。(3)キャリアの決定…構造化されたキャリアガイダンスとキャリア教育を通じて的確で効果的な進路決定を行う。
 自己の探求に関しては、米国では、さまざまなプログラムが開発されている。共通しているのは、どのプログラムも、興味・関心、価値観、自己効能感、現在の能力を自己評価し、自分はどのようなキャリアに適性があるかを分析・診断することができることである。具体的には、何を対象とした仕事に向いているのかを4つの領域(人間、データ、モノ、アイデア)の中から見つけ出し、次に、その結果をもとに、学生は自分に最も適した職業分野を六つのカテゴリー(テクニカル、科学技術、芸術、社会サービス、管理・販売、ビジネス)の中から選ぶことができる。ACTが開発したDISCOVERという大学生向けのキャリア決定支援プログラムでは、自己分析の結果、選択された職業分野について、具体的な職業の情報や、その職業に必要な教育の情報を引き出すことができる。つまり、キャリア教育の第一の活動である自己の探求と、第二の活動である仕事の探求が有機的に結合したプログラムとなっている。たとえば、アイデアと人間を対象とする職種に適性があると診断され、職業分野として社会科学分野の仕事に向いていると最終的に示されたとしよう。具体的な職業として社会学者に興味を持った場合、学生がDISCOVERの中の職業一覧から社会学者を選択すると、社会学者に必要な教育(専攻名と修士まで必要なのか、博士まで必要なのか)や具体的な職務内容、典型的な就職先(大学、研究所、政府機関など)が示されるだけでなく、社会学者の平均年収の情報まで得ることができる。また、逆に大学の専攻一覧から社会学を選択すると、社会学専攻者が就職可能な職種一覧が現れ、その中から今述べたような、その職業の包括的な情報を得ることもできる。このように、米国の大学生は、キャリア決定支援プログラムの助けを借りて、自己と職業について客観的で正確な情報を得ることが可能になっている。そして、学生が自己の職業適性と職業についての正確な情報を得た後、情報をもとに行動、すなわち最終的なキャリアの決定が行われることになる。
 ただし、自己と職業に関する必要な情報収集、そして最終的なキャリア決定は学生1人で可能になるわけではない。そこで「介入」、つまりキャリアガイダンス、キャリア教育が必要となる。多様な介入の仕方があるが、これまでに報告されたキャリア介入の有効性に関する100件あまりの研究結果をメタ分析した結果、最も有効な介入方法として次の五つが抽出された。(1)ワークブックや日誌を使って、学生に将来の目標、計画、職業の研究結果を逐次記録させる。(2)個人的な指導やフィードバックを行う。(3)定期的に労働の世界や具体的な職業について情報を収集する。(4)成功した人物(先輩、同級生)から学ばせる(モデリング)。(5)学生のキャリア選択に、積極的にサポートを提供する。これら5つの介入は個別で実施された場合も有効であるが、複数の介入が組み合わされた場合のほうが、より一層有効であることがメタ分析で明らかになった。以上が、ゴア博士の報告の概要である。
 最後に、日本の大学におけるキャリア教育への示唆を3つ指摘しよう。まず、学生の進路志望と現実の選択肢との間のギャップをいかに埋めるかに関する示唆である。講演でも指摘されたが、米国の高校生、大学生の教育・職業アスピレーションは、現実と比べて極めて楽観的である。また、将来の労働市場に関する情報も不確かなものしか持ち合わせていない。そこにキャリア教育の必要性があるのだが、米国では自己と職業に関する正確な情報をできる限り提供して、現実的なキャリア選択をさせている。そして、その過程で学生の「自主的選択」と「満足感」が常に配慮されている。たとえば、学生が看護師を希望しているが、GPAが看護学部に進学するには低い場合、先ほど紹介したDISCOVERなどの助けを借りながら、看護師と同じ人間を対象とした職業カテゴリーの中から看護師以外の複数の選択肢を示し、その中から学生に最終的な選択をさせている。大学の就職率を上げるために、学生にとっては不本意な(無理やりの、したがって、いったん就職しても長続きしないで離職することになる)職業選択をわれわれは強要していないか反省すべきであろう。
 したがって、学生にとって納得のいくキャリア選択を可能とするためには、正確な自己分析のツールの開発・利用と、職業に関する総合的な情報提供のシステムの整備が必要となる。先にも紹介したように、DISCOVERを利用すると、それぞれの職業の平均年収までわかるのである。個別の大学で職業に関するデータベースを構築することは非現実的な話なので、何らかの国の支援あるいは大学同士の共同作業が望まれる。とくに日本の場合、入学時に既に専攻が決まっているため、それだけでもキャリア選択の可能性が狭まっている。そのため、米国以上に正しい自己認識と正確な情報提供が、学生本人の納得のいくキャリア選択には欠かせない条件である。
 最後に、キャリア教育における教員の役割を考えてみよう。われわれのような教員は、自分の専門分野の教育・研究が本務であり、キャリア教育は他人事のごとく、とかくキャリアセンターや就職部の仕事とみなしがちである。しかし、ゴア博士が紹介されたように、キャリア教育の介入方法としての「モデリング」は極めて有効な方法である。自分の授業の中で、なぜ自分はこの学問分野を選んだのか、どのようにして大学に職を得たのか、失敗談と成功談を織り交ぜて学生に語ることも極めて有効なキャリア教育なのである。