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アルカディア学報

No.232

学生の異議への対処-英国OIA創設の背景

研究員 沖 清豪(早稲田大学文学学術院助教授)

 高等教育機関とそこに在籍する学生との間に、どのようなトラブルが生じる可能性があり、それをどのように解決するのが望ましいのか。学生の大衆化が進行するにつれて、この課題もまた、無視できない論点となってきている。
 日本国内における学生の異議・苦情への対応は、どう変化してきているのであろうか。ハラスメントに関する苦情処理については、少なからぬ大学がその窓口・対応機関の制度化を進めてきているが、それ以外の問題については学生相談窓口を拡充するなど、カウンセリングによる対応が重視されている。問題は「相談」に収まらない「異議・苦情」の申し立てにどのように対処するかである。たとえば、成績評価、授業中の教師や他の受講生の言動ないしは学科・学部単位の教育課程への苦情は、どのような手続きで解決されるのか。
 イギリスの2004年高等教育法については、学費値上げや学費そのものの「条件付自由設定」など、主に財政面に注目が集まっているが、高等教育独立裁定局(OIA)と呼ばれる異議申し立ての全英最終処理機関の設置という改革も重要であろう。イギリスの大学では、学生からの異議に対応する学内制度を明文化するだけでなく、その結果に不服のある学生は、異議を学外の独立機関に提訴することが保障されることとなった。本稿では、この独立裁定局の創設をめぐる経緯と現状を紹介してみたい。
《1990年代の議論》
 イギリスにおいて学生が教育面に関する不満を抱いた場合に、その不満を調停する役割として、従来から異議申立制度が存在していなかったわけではない。従来の異議申立制度は、当該大学の創設時期と関連して、二つの類型を有している。
 伝統型大学の場合は、各大学の勅任状によってビジターと呼ばれる人物(国王・王室・国教会関係者など)の権限が規定されており、いずれの大学でも、学生・教職員の学内における異議申立処理の最終段階として調停を実施することになっていた。
 一方、現代型大学(主に旧ポリテクニク)の場合は、勅任状がなく、したがってビジター制度を持たないため、それ以前の調停が不調に終わった場合には、当該学生は直接裁判所へ提訴することが認められてきた。
 しかし、このビジター制度に基づく異議申立処理については批判が少なくなかった。たとえば、公共政策に関するノラン委員会は、すでに一九九六年にはビジター制度の複雑さと裁定までの長期化といった問題点を指摘し、独立機関による異議申立制度の確立を勧告している。
 デアリング報告書においても、1990年代を通じて学生からの異議申立の増加状況を指摘し、透明性や独立性の確保、責任の明確化、和解手続きの設定を含む異議申立処理制度の修正ないし創設を勧告している。また、異議申立制度自体への外部評価の必要性にも言及し、新たな外部評価システムの必要性を指摘していたのである。
 こうした議論を背景として、新たに創設された高等教育水準保障機構(QAA)では、高等教育経営をめぐる多様な論点についての実践コードの制定が急がれ、学内異議申立制度に関する指針は、実践コード第五章として2000年に公表されている。この実践コードでは、学内異議申立処理手続の理念・実践において考慮すべき論点として、次の7点が指摘されている。
 (1) 学内で承認された、非公式な解決法を含む公平かつ合理的な手続きの制度化・文書化の必要性
 (2) 手続き及び助言に関する情報の公開
 (3) 内部手続の明確化
 (4) 担当者・機関の明確化、調査担当者の公平な判断の義務、代理人選定の容認、結果に不満足な学生に対して更なる申立手続の文書化
 (5) 異議の正当性が確認された場合の(金銭的)補償
 (6) 制度全体のモニタリング、評価、検証
 (7) 異議とその処理の評価制度の必要性
 この実践コードでは、ビジター制度の運営の難しさも指摘されており、ビジター制度を管轄する枢密院との調整及び中央政府による法改正が必要であると述べられている。
 なお、この実践コードに従って、イギリスの大学では2000年以降、学内の異議申立の取り扱いについての制度化・文書化が進められ、その一部は各大学のウェブを通じて公開されている。その多くでは、当事者間のインフォーマルな解決を端緒とし、数段階の調停段階が設定されている。それらの調停が不調である場合には、ビジターないし学内に設置された委員会などで最終的な判断を下すものとなっている。
 しかし、問題は、こうした手続きでも学生が納得せず、問題が解決しない場合である。特に1990年代後半から、大学と学生との間の紛争の増加・激化が顕著となり、なかでも教育課程の水準をめぐる紛争が報道される事態が増加し、学生の権利保障という観点から、学外の独立した異議申立調停機関制度の創設が喫緊の課題となってきたのである。2003年以降の改革は、この問題に焦点が当てられることとなった。
《2003年高等教育白書と法制化》
 2003年高等教育白書『高等教育の将来』では、「学生にいっそうの発言権」を付与するために、「問題が生じた場合に、その是正のために、公平で、開かれた、かつ透明な手段」が必要であり、その具体化として「学生の異議申立のための法的に定められた適切な裁判官」制度の創設が高等教育改革の第一フェーズ短期課題(2003年~2005年)の一つと位置付けられた。
 高等教育白書の内容を踏まえ、2004年3月に独立裁定局が異議申立の受け付けを開始し、同年の高等教育法の規定に基づき、2005年1月から正式な調停者としての権能を付与されている。
 独立裁定局への提訴は、当該高等教育機関内での内部異議処理手続が終了してから3か月以内に提訴されなければならないが、提訴の費用負担については、異議を申し立てた側(学生)は無償とされ、大学が登録費とケース取扱料(必要に応じて)を支払うものとされており、2005年度については、学生数に応じて150ポンドから9790ポンドとされている。また、異議申立を受け付けられない事例として、入学に関する異議、学術的な判断に関する異議、学生の雇用に関する異議などが挙げられており、提訴が独立裁定局によって受け付けられた後は、担当者は原告・被告相互の意見を聴取し、必要な調査を実施して中間報告を作成し、調整を行った後、正式裁定文書を作成するといった手続きが定められている。
 2004年度の年次報告書によれば、年度内に受け付けられた異議申立は86件となっており、すでに学内での調停を経た件数としては少ないとは言えない数に上っている。申し立ての多くが教育課程や大学と学生間の契約に関するものとなっており、大学院生の申立数が3割に達している点も注目される。
 なお、独立裁定局の判断が注目された事例として、2005年6月に公表された事例が注目される。これは、当該大学の学士課程の一つであった整骨治療学(Osteopathy)が、その教育水準の低さや資格を有する教員不足により専門機関の認証を受けられず、結果的に資格を取得できなかった学生が、その補償を求めて集団で提訴した事例である。本件は独立裁定局に委ねられた結果、中間報告段階で学生の主張が認められ、全体で数10万ポンドという相当な額の賠償の可能性を含む和解が独立裁定局によって勧告されている。
 こうした学外の最終決定機関としての異議申立機関の創設や制度の明文化は、高等教育における量的拡大と質的改善の両立の指標としても留意すべきものである。学生消費者の権利保障として、また適切な教育水準の確保の一手段として、教育制度の多くの段階において意識しなければならない課題となることが想定される。それは、高等教育段階では、大学自身が教育評価だけではなく、認証評価などを通じて、評価する/される関係を日常化せざるを得なくなっているからでもある。特に、単位認定や教育水準などを通じて顕現化しやすいトラブルに対して、どのように対応するか。新たな大学と学生との関係構築が、アカウンタビリティの関係の中で問われていくことになると思われる。