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アルカディア学報

No.23

国公立大の"独法化"案をめぐって

慶応義塾大学教授  村井 実

 先ごろの新聞に、「小・中学校をコミュニティー・スクールに」といった表題の記事が目についた。
 とっさの印象は、「コミュニティー・スクール」とは面白い、ということであった。多分、現在の小・中学校を文部省の規制から解放して、村や町での自由な運営に委ねてはどうかという趣旨の記事であろうと思ったのである。だがすぐに、日本の村や町はおよそ自由に独立した市民がつくるコミュニティーなどではないのに、そこにコミュニティー・スクールをつくろうといっても、無理な話ではないか、という疑問が起こった。戦後の一時期、いわゆる新教育の学校がアメリカにならってコミュニティー・スクールと呼ばれたことがあったが、たちまち掛け声だけに終った。この空しさの経験は、いまはもう忘れられたのであろうか?結局、私たち日本人の間には、自立した子どもたちの教育を本気で工夫するという機運は、まだ熟してはいないわけだ――と感じたのであった。
 ところで、これは小・中学校のことであるが、私はいま、大学についても同じ問題が考えられることを痛感しているのである。
 明治以来130余年、小・中学校同様、もっぱら国家利益を目的に中央集権と政治主導で運営されてきた日本の大学であるが、その国公立大学について、運営上の目に余る行き詰まりからであろう、いっそ「独立行政法人」化してはどうかという案が政府で発想され、いま関係者の間に賛否の議論がさまざまに行われているということである。
 一方では大学の運営や財政に自由の度が増すことを期待して賛成するものがあり、他方では、大学の現状に異質の要件や干渉が入り込むことを恐れて反対するものもあるという。
 正直に言って私自身は、「独立行政法人」化ということが制度上何を意味するかには、ほとんど不案内である。だが、少なくとも明治以来の歴史と現状についての私の理解からすれば、上記の政府の発案やそれへの賛否の論議を聞いての印象は、なに、政府はいまなお日本の大学や学術を政治主導で動かそうと考えているのか、そして人々はいまなお、この事態を、単に国公立大学の行政改革の問題としてしか受けとめず、それ以上に、日本の教育と学問の自立と民主の理念に関わる根本問題として、徹底した体制変革を要するものとは考えないのか、ということである。
 日本の大学が明治の当初からいかに国家目的に応じて政治主導のもとに整えられてきたかは、逆説的ではあるが、その事実自体に人々が無関心のままで今日に至ったという歴史の経過によって、もっともよく知られる。
 最初は、ただ一つの大学が、東京大学として政府によって設けられたのである。そしてやがてそれを頂点として、全国に国公立諸大学がピラミッド型に新設されていき、後れてそれらの社会的役割の補いとして、いわゆる私立の諸学校もまた大学として認められるに至った。それが急速に膨大な数にまで拡大されて今日におよぶという経過が生じたのである。
 これがいかに国益を目的とする政治主導の成り行きであったかは、この経過自体がよく物語っているわけである。そしてその経過が、まずもって人々の自立の活動として生まれた欧米各国での大学と学問の成立事情に比していかに異様であったかも、ここに同時に現れている。釈明すれば、それは遅れて近代化することを迫られた日本にとっての運命的な選択であったということになろう。だがそこから、この経過の異様さを、日本人自身が、政治家はもちろん大学関係者たちでさえ、つい気付かないという結果が生じたと思われるのである。
 しかし私は、いまや私たち日本人は日本のこうして成立した大学体制、あるいは高等教育と学術体制の異様さを、国民をあげて認識しなければならないと思うのである。
 政治家たちは、大学の教育や研究のあり方を国益を目的に決定してきた過去の姿勢を反省して、真の国益というのは、国民が大学において極力自由にその教育と研究とに従事するところに生まれるはずのものであったことを知らなければならない。教育や研究については、そのあり方を考えるのも決定するのも、政府ではなくどこまでも大学自身でなければならないことを知らなければならない。大学の「独立行政法人」化という今回の発想にしても、政府にそういうわきまえがあってはじめて、発想が積極的な政治的意味をもつといえるのである。
 だがそうなれば、この「独立行政法人」化という発想については、過去の大学体制の克服という意味で、とくに重要な2つの要件が含まれていなければならないことになる。
 1つは、すでに上記の議論でも明らかなことであるが、教育と学術研究とを政治から独立する働きとして確実に保障するということである。
 振り返れば、明治以来の日本の教育と学術研究は、いわゆる殖産興業・富国(強兵)という国益を目指してまさに「政教一体」とも呼ぶべき建前で推進されてきたといってよい。だが、今後はその「政」と「教」とがすっきりと分離され、それぞれに独立して協調の働きを展開することにならなければならないのである。
 もう1つは、国公立大学と私立大学との区別は、もはや完全に取り払われなければならないということである。
 今にして思えば、明治の当初に官学というものを政府がわが物顔に設けたこと自体、まさに維新政府のエゴイズムの現れでもあったのである。私塾や私学はしばしば邪魔者として見られた。そこへ社会の進展とともに、次第に私学を補助として認めざるを得ない情勢が増大して、やがて国公立と私立という、いわば正副の2本立てをもって教育体制が整えられるという結果が生じたのである。
 歴史上この2本立ての体制に馴れきって育った私たちは、世界中多くの国に同じ2本立ての体制が見られるではないかという印象をもつかもしれない。だが、注意しなければならないのは、この「公」と「私」の発生の歴史的順序、あるいは序列の正副のありようである。「私」が先立ち、やがて「公」がそれを補うというのが欧米諸国の通例であった。日本の場合との大きな違いがそこにあるのである。そしてこの事実が、いまや画一性・硬直性を嘆かれる日本の教育と、創造性と多様性の貧困を指摘される学術とに共通する、ひそかな根本原因として真剣に反省されなければならないのである。
 また、これは無意味に醸された国民的怨恨ともいうべきものであるが、明治以来今日に至る間に、私学がどれだけ政府による差別に泣かされ、経営上の不当な労苦を強いられてきたか、また、そこに学んできた多くの学生たちが身分上・経済上の差別処遇にいかに苦しんできたかも、忘れられてはならない。
 この実情は、たまたま国公立の学校に学ぶことのできた一部の人々や、そこに育ってそのままそこに働くことになってきた大学教師たちの多くにとっては、ほとんど想像もおよばないことであったろう。あるいはこの意識されない事実が、現在の国公立大学の「独立行政法人」化問題をめぐる論議の奇妙な低調さに反映しているかもしれないのである。
 (本稿は、慶應義塾大学名誉教授の村井 実氏にご執筆いただいたものです)