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アルカディア学報

No.226

私学高等教育の構造―「データブック」の刊行によせて ―

麗澤大学国際経済学部教授 浦田 広朗

 私学高等教育研究所では、そのプロジェクトの一つとして「私立大学の教育条件・財務データベースの整備」に取り組んできた。私立大学のみならず、我が国の高等教育についての議論が、必ずしも客観的なデータに基づかず、18歳人口の減少や文部科学省の施策といった、眼前の状況に左右される傾向にある現状を、少しでも改善したいという考えから実施されたプロジェクトである。このたび、その成果の一部を『私学高等教育データブック』(私学高等教育研究叢書3)として刊行したので、概要を紹介しておきたい。
 『私学高等教育データブック』を手にとられた方は、『データブック』と言いながら、統計表は最小限に抑えられ、いわば、論文集の体裁をとっていることに違和感を覚えられたかも知れない。これは、私たちが、データベース自体は必要に応じて容易に利用できるよう電子媒体で整備し、『データブック』には、データベースを分析することによって得られた知見を、いくらかでも報告するという方針で臨んだためである。『データブック』の「はしがき」で、丸山文裕国立大学財務・経営センター教授(当研究所研究員)も述べているように、統計データ自体は数字の羅列に過ぎない。それを再集計・加工したり、グラフ化したりすることによって、我が国の高等教育、特に、私立大学全体の構造を明らかにすることが重要と考えた。
 とは言え、データベース整備の作業も相当な労力を伴う。我が国の高等教育に関するデータ集として著名なものに、広島大学高等教育研究開発センター『高等教育統計データ集』がある。このデータ集は1989年と1995年に冊子体で刊行され、現在はインターネット上で利用できるようになっている。私たちは、このデータ集がマクロ・時系列データ中心であることを踏まえ、時系列データに加えて、ミクロ・機関別データを収集することにも努めた。ただし、収集したデータは、いずれも何らかの形で公表されているものばかりである。誰もが利用可能なデータを蓄積して再分析することによって、必ずしも誰もが気づいているわけではない事実を指摘することに力を注いだ。詳細については『データブック』をご覧いただきたい。ここでは、得られた知見のいくつかを紹介しておきたい。
 第1は、私立大学の教育条件は着実に改善されつつあることである。教育条件の重要な指標である、教員一人当り学生数(ST比)をみると、私立大学全体では1970年代前半がピークで、専任教員一人当りの学生数(学部学生+大学院学生)は31人を超えていた。それが、70年代後半から80年代後半にかけて、及び90年代後半以降に徐々に低下した。97年以降のST比低下は特に明確で、2005年には22.7となっている。これを、学生数の減少によるものと考える方もおられるかと思うが、この期間、学生数は減少していない。この期間のST比の低下は、私立大学教員数の増加によるものである。全体としての学生数は増加したものの、それが60年代から70年代にかけてみられたような教育条件の悪化、すなわち、マスプロ教育には結びついていない。
 もっとも、例えば、国立大学のST比は2005年時点で10程度であるから、私立大学の教育条件を更に向上させる努力が必要である。また、大学院に限定すると、教育条件が改善されているとは言い難い。大学院の教育条件の実態は掴みにくいが、仮に、大学院学生数を大学院担当本務教員数で除したものを大学院ST比とすると、90年代以降、国立大学も私立大学も、大学院ST比は上昇を続けている。大学院拡大政策の中で、担当教員の充実が追いついていない。
 第2に、私立大学の財務状態は安定性を増している。18歳人口の減少の中、実際に経営破綻した大学もみられるので、この指摘は意外と思われるかも知れない。しかし、私立大学全体としてみると、例えば、1970年代には60%前後に過ぎなかった自己資金比率は、着実に上昇し、97年以降80%を超えている。学校法人の短期的支払い能力を示す指標である流動比率(流動負債に対する流動資産の比率)をみても、70年代前半には100%前後であったが、98年以降250%を超えている。政府からの十分な補助が期待できない中で、このような財務基盤を確立した私立大学の努力は大いに認められるべきである。同時に、それを支えたのが、学生すなわち家計が支払う学校納付金であることを忘れてはならない。
 もちろん、個別にみると、消費支出が消費収入以上となっている大学法人の比率が1999年以降50%を超えるなど、経営が不安定な法人もある。全体でみても、年度ごとの消費収支差額が97年以降、マイナスの方向に大きくなっている。このように、注意すべき点はあるものの、全体としては、80年代半ばまで大きかった債務の償還は進んでおり、財務基盤は安定しているのである。
 第3に、特にこれからの入試シーズンにおいて、入学者確保を目指す私立大学関係者が注目する値である歩留率(入試合格者に占める入学者の比率)について、その構造をいくらかでも示した。すなわち、歩留率は必ずしも当該大学の魅力だけに左右されるのではなく、入学難易度や試験方式(推薦・AO入試を重視するか、センター試験を利用するかなど)に影響される。学部単位のデータを用いた回帰分析により、他の条件が一定であれば、入学難易度が低い大学の方が、推薦・AO入試の比率が高い大学の方が、また、センター試験を利用しない大学の方が、歩留率が高いことが明らかになった。
 更に、重要な関心事である定員充足率(入学者÷入学定員)は、各学部の志願倍率(志願者÷入学定員)と入試合格率(合格者÷志願者)、それに右記の歩留率によって決まるが、その構造を学部系統別に比較してみると、人文科学系の学部は、合格率は社会科学系より若干高いものの、志願倍率や歩留率が低いために定員充足率が低くなっている。これに対して、社会科学系の学部は、高い歩留率によって、工学系は高い志願倍率によって、約120%という高い定員充足率を達成していることも示した。
 このほか、『データブック』では、岩田弘三武蔵野大学助教授(当研究所研究員)と上智大学大学院博士課程の佐野秀行氏により、文部省「学生生活調査」の時系列データが設置者別に詳細に分析されている。その一部を述べると、学生生活費支出については、かつて国立大学学生と私立大学学生の間にみられた修学費(教科書、参考書、文具代など)と娯楽嗜好費の格差(国立大学学生と比較すると、私立大学学生は修学費が少なく、娯楽嗜好費が多い)が消滅しつつある。しかしながら、学校納付金や住居費では、私立大学学生の支出額が依然として大きい。収入面では、私立大学学生の場合、家庭からの給付を補う形でアルバイト収入と奨学金受給額が増加している。奨学金受給率における国私間格差は縮小しているが、近年、有利子貸与奨学金の割合が増加している点に注意が必要である。
 今回の『データブック』は初めての試みであったため、改善すべき点がいくつかある。特に心残りなのは、「私立大学の教育条件・財務データベースの整備」と銘打ったプロジェクトでありがら、個別私立大学の財務データを十分に収集することができなかった点である。各大学のホームページ、広報紙(誌)等で公表されたデータを収集したが、2002年度分について言えば、100校余りにとどまった。しかも、そのほとんどが学校法人単位のデータである。大学部門のみ、更には、学部別といったセグメント情報はほとんど収集できなかった。既に述べたように、学校法人の努力により、教育条件と財務状態は改善したし、それには、基本金制度をはじめとする学校法人会計基準が果たした役割が大きいと筆者は考えているが、私立大学の努力と会計基準の役割を広く認識してもらい、教育条件を更に改善するためには何が必要かを明確にするためにも、財務データの積極的な公開が望まれる。

 《訂正》前号のアルカディア学報で、島 一則研究員の所属機関が、国立学校財務センターとあるのは、国立大学財務・経営センターの誤りでした。