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アルカディア学報

No.224

大学院教育の課題
―中教審答申を読んで―

筑波大学大学研究センター長 山本 眞一

 今年9月5日、中央教育審議会は「新時代の大学院教育―国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて」と題する答申を出した。答申は「はじめに」の部分で「大学院の基盤強化については、これまで制度の整備や量的な充実に重点が置かれてきたが、今後は国際的な水準での教育研究機能のさらなる強化を図っていく必要がある。このため、大学院における人材養成機能の強化と世界トップレベルの競争力を有する教育研究拠点の形成を進め、修士・博士課程における教育の課程の組織的展開の強化(大学院教育の実質化)を図っていくことが極めて重要である」と述べている。答申の問題意識はまさにここにあり、本文で述べられている改革方策も、この線に沿った具体論であると理解できよう。
 大学院教育の改善・改革は長らく大学改革の主要課題の一つであった。課程制大学院の導入は、一般教育制度と並んで、戦後、大学教育改革の大きな柱であったはずであるが、その趣旨が必ずしも十分に生かしきれないまま、つまり、定着をみないままに大学大衆化時代を迎えてしまった。私が1972年に文部省に入り、大学課大学院係というところで仕事を始めた頃、大学院は依然として大学の研究後継者養成が中心であった。しかも、大学設置基準のような文部省令が大学院については存在せず、大学基準協会の「大学院基準」が使われていた。そこには、修士課程ですら「精深な学識と研究能力とを養うことを目的とする」と書かれ、博士課程に至っては「独創的研究によって従来の学術水準に新しい知見を加え」とあって、まさに大研究者であることを要求するような表現であった。
 私の主観的判断を言わせてもらえれば、大学院に関する改革論議の基本的方向は、大学院教育の目的に「高度専門職業人養成」を加えることであり、その点で、改革の中心は修士課程に置かれていたと思う。既に工学関係では、修士課程が技術者養成に大きな役割を果たしつつあったため、その現状を制度的に追認することも必要であったのかも知れない。1974年に制定された文部省令「大学院設置基準」で、修士課程の目的に「高度の専門職業等に必要な高度な能力を養う」ことが加えられた。ちなみに、博士課程の目的も「研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識」と書き改められ、大研究者としての評価ではなく、研究者になるための免許証のようなものへと学位の授与要件が変わった。
 高度専門職業人教育という方向へ誘導する制度改革は、その後も続き、1989年の大学院設置基準の改正で、博士課程の目的に、社会の多様な方面で活躍し得る高度の研究能力が加わった。また、1999年には、修士課程の一形態としての「専門大学院」が制度化され、更に2002年には、大学院の新たな課程として「専門職大学院」が生まれ、翌年から施行されている。
 高度専門職業人教育への配慮の反面、研究者養成としての大学院の充実については、その見直しが遅れたように思う。しかし、冷戦構造の終結に伴う世界規模での政治・経済システムの変動があり、一国の経済発展にとって科学技術の振興は必要不可欠であり、そのための基礎研究を担う大学の役割も重要であるとの再認識が始まった。私は、1992年から約10年間、OECD科学技術政策委員会(CSTP)の小委員会の議論に加わり、大学と研究活動との関係について各国での議論を知る機会を得たが、多くの国において、大学が「科学システム」に組み入れられつつある状況を実感した。
 あいにく、我が国の大学の研究環境は、当時の行財政改革のあおりを受けて大いに劣化していた。若者の理科離れの深刻さが指摘され、また、米国から、日本の基礎研究は米国の大学を利用するなど、「ただ乗り」していると非難されたのもこの頃であった。このように、科学技術の振興という側面から、大学院での研究者養成機能に再び光が当たるようになったのが1990年代である。大学院重点化や博士課程学生及びポスト・ドクターへの経済的支援の充実など、さまざまな政策が出現し、大学院改革が修士課程だけではなく、博士課程の問題でもあることが強く認識され始めたのである。
 1996年から施行された科学技術基本計画がこの動きを加速させた。当然、大学院の実態も多様になってきた。その点、今回の答申が、従来の研究者養成と高度専門職業人養成という二つの大学院機能を、(1)創造性豊かな優れた研究・開発能力を持つ研究者等の養成、(2)高度な専門的知識・能力を持つ高度専門職業人の養成、(3)確かな教育能力と研究能力を兼ね備えた大学教員の養成、(4)知識基盤社会を多様に支える高度で知的な素養のある人材の養成、という四つに分類したのは卓見である。特に、研究者養成を(1)と(3)に分けたことは、関係者の理解を大いに深めることであろう。
 答申は、大学院教育の実質化について、その具体策を各所で展開している。つまりは、課程制大学院の目的に沿った大学院教育を行うべきとの提言であるが、このことは上記(1)~(4)の機能を適切に果たすためにも必要なことである。その点で印象的な部分は、答申で言う「円滑な博士の学位授与の促進」である。なぜなら、研究者でありながら博士号を持っていないという問題が、我が国の、特に文系大学院の教育システムが抱える共通の弱点であるからである。答申では「課程の修了に必要な単位は取得したが、標準修業年限内に博士論文を提出せずに退学したことを、「満期退学」又は「単位取得退学」などと呼称し、制度的な裏付けがあるかのような評価をしている例があるが、これは、課程制大学院制度の本来の趣旨にかんがみると適切ではない」としている。
 確かに、私の周りにも、このような経歴を辿って大学教員になっている者が多い。以前は、それでも、満期退学が文系博士課程の特性であると言い逃れができた。また、学位取得よりも大学等への就職を優先する学生や、それを支持する指導教授の方針にも関係していたと思われる。まさに、戦前の大学院が持っていた「研究者の卵の宿り場」的感覚であり、課程制大学院とは対極的な考えであった。しかし、今や文系大学教員の世界でも、博士号の有無は採用・昇進のために必須に近い要件になりつつある。研究者としての将来に禍根を残さないよう、博士号が取れる見込みのある学生については、充実した、かつ、厳格な指導の下に学位を取らせることを心掛けるべきであろう。それにしても、文部科学省の学校基本調査自体が、大学院博士課程修了者に、この満期退学者を含めているのは、いかにも皮肉としか言うほかはない。
 博士号は「足裏の飯粒」のようなものだということを、かつて聞かされた。「取(除)らねば気になる」という程度のものであったらしい。しかし、世界的に見れば、実務の世界にも博士号取得者が多くいて、彼らがそれぞれの分野でリーダー的役割を果たしていることがわかる。今秋、米国・ワシントン大学で博士課程教育の改革に関する国際会議があり、それに参加し、かつ、研究発表を行ったが、博士号保持者の役割の大きさを実感した。実務の世界における博士号取得者が少ないと、大学院には自然と研究者志望の学生だけが集まるようになり、また、大学教員の多くも研究者生活しか知らないので、研究後継者の養成を優先しがちになる。必然的に大学院改革は進まない。この悪循環を断ち切るためには、大学院が優秀な修了者を実務の世界にどんどん送り出し、また、受け取る実務社会の側も、大学院修了者を積極的に評価することが必要である。その好循環の数少ない例は工学修士であろうかと思うが、その成功要因をよく分析して、他分野でも見習うべきであろう。