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アルカディア学報

No.223

大学ベンチマークの必要性―『世界大学ランキングの比較』 刊行によせて ―

東京大学大学総合教育研究センター助教授 小林 雅之

 このほど、日本私立大学協会附置私学高等教育研究所より『世界大学ランキングの比較』と題して、ロンドン・タイムズ高等教育版の世界大学ランキングと上海交通大学のランキングを比較した報告書を刊行することができた。これは、先に「大学ランキングの功罪 ―リンゴとミカンはどちらがいいか」(「アルカディア学報」184、教育学術新聞第2170号、2004年12月1日)で予告した、客観的なデータの比較による、世界大学ランキングの検証である。
 タイムズ紙も上海交通大学も、自己のポリシーに基づき、評価基準を定め、それに従って客観的なデータを集めて、ランキングを作成している。タイムズ紙は、ピアレビューと国際化に重点を置き、上海交通大学では、科学に非常にウェイトをかけている。両者に共通する基準は引用論文数だけである。報告書では、このように、両者のランキングが全く異なる基準からなされているため、どちらのランキングが優れているかを競うのは意味がなく、多元的な大学評価のひとつとみなすべきであると結論づけた。
 しかし、同時に、ランキングに固有の問題点も多く検証されたことも確かである。特に、評価のための得点を順位にすることや、様々な指標に基づく得点にウェイトをかけた総合得点による順位づけには、大きな問題が含まれている。このように、ランキングは、わかりやすいけれども、重大な欠点を持っている。
 9月に東京大学大学経営・政策センターと(独)国立大学財務・経営センターが共催した国際セミナーで、複数の外国からの研究者も、市場化と国際化の潮流の中で、ランキングが拡大していることに懸念を表明していた。このため、上記の問題点をコメントして、おおむね合意を得ることができたように思う。
 先の記事でも指摘したように、大学ランキングの検証をきちんとしようとすると、多大な時間と労力を要する。自分で客観的なデータを集めて、ランキングの妥当性を問わなければならないからである。多くの大学を対象にデータを集めるのは困難であるし、有意義かどうか疑わしい。しかし、ここで強調したいのは、こうしたランキングの問題点ではない。
 提唱したいのは、大学ベンチマークの勧めである。ベンチマークは、ランキングとは「似て非なるもの」であり、ランキングの問題点である「リンゴとミカンはどちらがいいか」からの脱却でもある。ベンチマークは多数の大学ではなく、比較の対象となる大学と自己の大学を包括的かつ客観的に評価することで、自分の大学の強みと弱みを認識し、戦略を立てる基礎とすることである。
 このように言えば、ソクラテスの「汝自身を知れ」や孫子の「敵を知り、己れを知れば、百戦あやうからず」を思い浮かべた人も多いかもしれない。今さら言われるまでもなく、どこの大学でも多かれ少なかれ実施していると反論される向きもあろう。しかし、ベンチマークは単なる比較ではない。客観的なデータに基づくという点が重要である。大学関係者でも客観的なデータに基づき、包括的に自己の大学や比較対象となる大学を押さえている人は少ないのではないだろうか。学生数や教職員数はともかく、予算や将来計画の数値まで、すらすらと言える人は決して多いとは思えない。まして、比較の対象となる大学のデータに関しては、きちんと押さえている人はどれくらいいるだろうか。
 私たちが実施した日英の大学のベンチマークから例を挙げたい。このベンチマークは、文部科学省などとイギリスの教育スキル省などの日英共同プロジェクトの一環で、東京大学とオックスフォード大学とシェフィールド大学をベンチマークしたものである。報告書は、東京大学大学総合教育研究センター『日英大学のベンチマーキング』大総センターものぐらふ№3として刊行されている。
 その共同プロジェクトの作業の中で気がついたことは、報告書には載せなかったけれども、東京大学と比較対象となるような世界の主要な大学を比較すると、規模は意外に似かよっていることである。学生数は、だいたい一万人から3万人程度が多い。学部生と大学院生もほぼ同数の場合が多い。大学の適正規模については、経済学的な研究もあるけれども、比較によって明らかになることもある。
 また、流動化するスタッフ、例えば、パートタイムや非常勤、あるいは客員スタッフが増加していることも、三つの大学のベンチマークによって明らかにされた。これまでの大学スタッフという概念で捉えきれない変化が、国際的に起きているということである。同時に起きているからには、こうした大学に共通の要因が働いていることになる。明確な要因をつかむことは難しいけれども、こうした比較の結果は、人事経営戦略上、示唆に富んでいると言えないだろうか。
 先日、タイの代表的な研究大学である、チェラロンコン大学の研究者の訪問を受けた。彼らも多数の大学を対象としてベンチマークを実施しており、東京大学のベンチマークについて、かなり突っ込んだ質問をされた。ベンチマークが国際的に進展していることを痛感させられた。
 アメリカでは、ベンチマークの利用がきわめて一般化している。アメリカの教育統計局の高等教育機関データベース(IPEDS)は日本の「学校基本調査」と同じような調査であるけれども、個票が利用できる。つまり、各大学の客観的データが、財政を含めてすべて公開されている。さらに、このデータを利用するために、ピア分析システムという検索ソフトがある。文字どおりピア(仲間)の大学を探して比較するためのソフトで、ある大学を指定すると、それと同じような大学を検索し、その大学のデータを利用して容易にベンチマークができるようになっている。ここで、当然問題となるのは何が「同じか」である。ピア分析システムでは、専攻などのキーワードか直接大学名を指定することになっている。しかし、その他の特性でも指定できる。
 同じようなソフトで、アメリカの高等教育団体である、カレッジボードのLikeFinderという検索ソフトもある。これは、主として大学志願者のために、「同じような大学」を検索できるソフトである。LikeFinderでも、何が「同じか」という疑問が生じる。LikeFinderでは、規模と費用(授業料)が基準となっているけれども、設置者や地域や施設あるいは立地なども細かく指定できる。これを用いれば、一種のベンチマークができる。これらは、アメリカでいかにベンチマークが重視されているかの一つの証左であろう。
 ハーバード大学のホームページでも、ライバル大学の授業料との比較対象がなされている。これは学生や家計向けのものであるけれども、いかにハーバードの授業料がリーズナブルであるかが説かれている。これもベンチマークのひとつと言えないこともない。
 ただひとつ強調しておきたいことは、ベンチマークは横並びのためにあるのではないことである。日本の大学は、とかく横並びになること、ライバルと比べて「同じになること」、あるいは「同格」になることに熱心である。ライバル大学が短期留学プログラムを作ったから、うちも。FDセンターを作ったから、うちも。という調子である。しかし、こうした方向では、大学の個性化などとてもできない。中央教育審議会の1月28日の答申「我が国の高等教育の将来像」、いわゆる「グランドデザイン答申」は、大学の個性化を大学自身が目指すことを提唱している。ボールは大学に投げられているのである。
 他者が作ったランキングに一喜一憂しているより、自分の大学と比較対象となる大学について客観的に知ることが、大学の個性化のために不可欠であろう。ベンチマークはそのための有力な手段となるに違いない。