アルカディア学報
大学改革と規制改革
―規制改革答申への疑問―
《規制改革の衝撃》
臨時教育審議会以来の多様化・個性化を基本的な理念とする大学改革の流れは、大学審議会に引き継がれて、設置基準の大綱化をはじめ多くの制度改革を漸進的に実現し、大学の自主的な改革も逐次成果を積み重ねてきた。このような自主的、漸進的な改革の流れを一変させたのが、国の構造改革からの性急かつドラスチックな改革の要求であった。まず、平成10年前後から行政改革会議で国立大学民営化が議論されるようになると、その動静は大学審議会の審議にも大きな影響を与えた。同審議会の平成10年10月の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」は、大学改革に行政改革的な「効率性」の理念を導入したものであり、従来の路線である多様化・個性化に加えて、大学のガバナンスや教育の質の確保に重点が置かれた。しかし、行政改革としての国立大学の設置形態をめぐる議論はとどまることなく、国立大学の法人化という歴史的な改革が想像を超えたスピードで実現し、その後の大学改革は、私学も含め、構造改革の流れに全面的に巻き込まれることとなった。
平成13年4月、新たに総合規制改革会議が内閣府に設置され、経済的分野の規制改革がある程度進展したあとを受けて、更に広く労働、医療福祉、環境、教育などの分野に踏み込んだ審議が行われるようになり、関係省庁の政策との調整が大きな課題になってきた。高等教育についても、「官から民へ」「事前規制から事後チェックへ」等をキーワードとする改革理念に基づく提言が、文部科学省に投げかけられるようになった。その最初の現れが、平成14年8月の中央教育審議会答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」であり、この答申に沿って学部の設置を一定の条件の下に届出にするなどの改革が行われた。この中教審答申は、総合規制改革会議の第一次答申を受け、大筋においてこれを受け入れたものであった。
総合規制改革会議では、その後も学部・学科等の設置の自由化、株式会社等による大学設置の全国展開、株式会社等の設置する学校への私学助成・優遇税制の適用、教育バウチャー制度の導入などを答申し、文部科学省にその実施を求めている。これらの問題の帰趨は、今後の高等教育にどのような深刻な問題を投げかけるのか、その影響は計り知れない。多くの私学関係者は強い危機感を抱き、その成り行きを憂慮しており、私学団体もこぞってこれらの提言に反対の立場を表明している(平成15年5月、全私学連合「総合規制改革会議における論議に対する意見」)。
小さな政府を目指す規制改革の理念が、わが国の経済の再生、社会の活性化に欠かせないことは十分理解している。しかし、具体的な高等教育システムへの適用にあたっては、高等教育独自の政策理念との調整が必要である。近年、本来は経済活動に関する原理である、市場の原理を公共的な部門にも適用すべきだという理論が勢いを得ている。権威主義や独善に陥り易い公共部門の業務に消費者主権を取り戻すうえで、その理論は各国で、そしてわが国でも公共部門の運営にかなりの影響を与え、成果も上げてきた。しかし、公共部門の業務には本質において経済活動としての視点のみでは律しきれない使命をもったものも多く、これらに一律に市場原理を適用するのは誤りである。大学の教育サービスに経済分野の取引と同じ外形をとるものがあったとしても、それを律するものは経済の原則だけではない。知の創造と伝達という高度に文化的な使命を持つ大学と、単に消費者の需要に応えて教育サービスを提供する事業とを同視していれば、社会の維持・発展の基盤としての大学は衰退せざるを得ない。
規制改革の推進にあたって、各省庁の政策との調整に多大の努力が払われていることは理解するが、高等教育に限って言えば、高等教育の政策理念やこれまでの政策の流れとその評価などについて、実態に即した審議がどこまで行われたのか、答申を読む限りでは疑念を拭えないし、その提言の性急さと市場原理の優位性のみが際立った論理に強い懸念を覚えざるを得ない。紙面の制約もあるので、設置の自由化と株式会社等の参入の2点について、総合規制改革会議の答申を引いて、その論理を辿ってみたい。
《設置等の自由化》
総合規制改革会議の第一次答申(平成13年12月)の「4 教育」の総論にあたる「問題意識」では、「大学においては教育機関や教員が互いに質の高い教育を提供するよう競い合うことが、(略)我が国の教育全体の質的向上に特に強く結び付く」とし、この問題意識から導かれる「改革の方向」は、「大学や学部の設置に係る事前規制を緩和するとともに事後的チェック体制を整備するなど、一層競争的な環境を整備することを通じて、教育研究活動を活性化し、その質の向上を図っていくことが必要」としている。競争原理が働けば万事OKと言うことであり、かつ論理はそれだけである。この論理によって「具体的施策」としては、「学科については、届出のみで設置又は廃止を可能とすべきである」としている。
これを受けて文部科学省では、学部等の設置であっても授与する学位の種類、分野を変更しない場合には届出でよいとする法改正をしたわけだが、総合規制改革会議では、更に平成15年7月の答申で、「既存の画一的な『学位・学問分野』を基準とすることの合理的理由は乏しい」とし、「少なくとも構造改革特区において、『学位・学問分野の変更を伴う学部・学科の設置等』についても、許可制から届出制へ移行すべきである」としている。学部・学科設置の全面的自由化である。
わが国では設置認可制度が、大学の質の保証システムとして決定的に重要な役割を果たしてきた。それは、大学は基本的にすべて国立であるヨーロッパとも、国家より先に私立大学があり、百年の歴史を持つアクレディテーションの制度が定着しているアメリカとも異なる背景の中で形成されたシステムである。実態に即した政策論議を尽くさず、しかも、第三者評価システムが質の保証にどのような役割を果たし得るかの見通しも不確かなままに、規制改革の理念論のみで設置の自由化を進めてきた結果は、わが国の質の保証システムを今や危機的な状況に置いている。
《株式会社等の大学参入》
総合規制改革会議の第二次答申(平成14年12月)は「問題意識」として、「これまでの事前規制による全国一律の画一的な教育システムを変換し、(略)事後チェック型のシステムの構築が急務」であり、そのために「外部からの新規参入者の拡大を通じて、主体の多様化を促進し、消費者の選択肢の拡大と主体間の競争的環境を通じた質的向上を図ることが必要」としている。そこで「具体的施策」としては、株式会社等の参入を「特に大学院レベルの社会人のための職業実務教育等の分野について」検討するよう求めている。ここに見られる論理も、「一律規制による画一教育」というステレオタイプの現状認識と、「競争による質の向上」という観念論のみの構造だと言わざるを得ない。その後、同会議の平成15年7月の答申では、義務教育以外の教育分野においては、株式会社等の参入を全国規模で解禁すべきだとしている。
《答申への疑問》
先月27日には、私学高等教育研究所主催により「大学改革と規制改革」をテーマとした公開研究会を開催し、規制改革・民間開放推進会議の専門委員としてご活躍中の政策研究大学院大学の福井秀夫教授からお話を伺った。福井教授の明晰なお話から、経済学の目からの教育への接近が教育に新しい視点を提供し、教育政策の議論を深めるであろうことは理解できるし、教育における競争原理の意義を否定するつもりはもともとない。しかし、大学教育への需要が急激に縮小する一方で、大学の新設が続くという理性に欠けた事態の中で、更に競争的環境を強めるべく、設置の自由化と設置主体の多様化を進めるということが、大学の将来にどのような混乱と不安定と教育の劣化をもたらすか。そうした当然の不安に答申はなぜ答えようとしないのか。規制改革の提言が理念過剰で大学の実態への理解を欠いているという懸念は拭えないのである。
規制改革・民間開放推進会議は、内閣府本府組織令によって設置され、その任務は「経済に関する基本的かつ重要な政策に関する施策を推進する観点から、(略)規制の在り方の改革に関する基本的事項」を総合的に調査審議することであり、一言で言えば「経済政策のための施策」としての規制改革の審議である。委員構成は産業界から八人、経済・法律の分野の学者から五人であり、高等教育をはじめ、教育分野を専門とする識者は皆無である。実態に即した高等教育の審議を期待すべき機関としては位置づけられていない。高等教育政策に経済政策の観点が過剰に取り入れられたとき、高等教育の将来にどのような歪みが生じるのか、そのことに大学関係者はもっと危機感を強くするべきではないだろうか。