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アルカディア学報

No.213

流れは教育の私事化―私学化はその一部にすぎない

国立大学財務・経営センター名誉教授・国立教育政策研究所名誉所員 市川 昭午

 最近私学関係者の間に「私学化」が世界的動向であり、我が国の教育政策も「公から私へ」という方向にあるとして歓迎する風潮が広がっているようである。確かに国公立学校が縮小する反面で、私立学校が増加したり、シェアを大きくしている傾向が見られるから、そうした見方が全く誤っているとはいえない。
 しかしより詳細に見ると、国立大学は減少しているといっても、その大学院は急速に増大している。また公立大学は規模こそ小さいが、私立大学を上回る勢いで増加している。公立学校の縮小も多分に学齢人口の減少によるところが大きい。それだけでも「私学化」がどこまで的確な認識かは多分に疑問とされなければならない。
 もっとも私がここでいいたいのは時代の流れは「私学化」ではなく、国公立学校を含めた「教育の私事化」だということである。これにはむろん「私学化」も含まれるから、一概に「私学化」を否定するわけではない。しかしそれは「私事化」の一部であるにすぎず、「教育の私事化」イコール「私学化」とはいえない。
 「私学化」の現象だけに注目するのと、それが「教育の私事化」の一環であるとして把握するのでは、意味するところが大きく違ってくる。私は「私学化」を「教育の私事化」の中に位置付けて理解することが肝心であるといいたい。以下にその理由を述べる。
 1980年代から世界的規模であらゆる分野において市場主義的な考え方が強まり、それとともにそれまで公事とみなされ、公共サービスとして行われてきた仕事の多くが私事とみなされるようになった。教育もその例外ではなく、学校教育を含めて「教育の私事化」が急速に進行した。
 我が国でも臨時教育審議会が教育の自由化路線を打ち出した80年代中頃から「教育の私事化」現象が目立ちはじめた。90年代に入ってからは市場主義的な教育政策が全面的に実施されるようになり、「教育の私事化」が急ピッチで推進されるようになった。次に述べるようにそれは極めて広範囲にわたっている。
 その第1は私学部門の拡大である。90年代を通じて家計収入の伸び悩みにもかかわらず、学力低下や教育荒廃への不安などから私立学校に対する選好が強まった。財政事情等を理由に国公立部門を縮小する政策がとられたのに対し、私立部門は規制緩和にも助けられて、学校数、在学者数のいずれにおいてもシェアが拡大した。
 それを促進するために私学行政とイデオロギーの両面にわたって援助する政策もとられてきた。行政的援助は設置基準など規制の緩和、財政的援助は私立学校及び私学在学者家計に対する直接間接の補助金交付や税の減免など、またイデオロギー的援助は国公立の学校及び教職員に対する批判と私学及び私学教育に関する賞賛である。
 第2は国公立部門の私事化である。その1つは学校教育の縮小である。学校週5日制は教育行政が責任をもつ教育時間を縮小するものであり、その分を家庭や地域社会がカバーすることになる。保護者や家族が子供の世話をする時間が増え、塾その他を利用することに伴って家計の支出も増大することになる。これは休業日になった一日の過ごし方とその成果を家庭の嗜好と教育力及び経済力に委ねるという意味で、教育の私事化である。
 他の1つは国公立学校内部における私事化である。これには授業料の値上げ、教材・教具など学習に必要な諸経費の徴収、保護者による学校奉仕活動、建築費・修繕費などへの寄付金募集、給食・清掃などの外部委託、学校の土地・建物の売却、企業ベースの教員研修などがある。これらは従来公費で負担してきた経費を私費負担とし、公的に運営してきた事業を民営化するという意味で、これまた教育の私事化である。
 もう1つは国公立学校の擬似市場化政策である。これは親の選択による学校間の競争を促進すると同時に、企業的手法の導入などにより国公立学校経営の効率化を図ろうとする。国公立大学の法人化や公立義務教育学校の選択制などがその代表的な例である。これらは大学の知的企業体化や供給者間の競争強化という意味で、やはり教育の私事化である。
 第3に国公私立を問わず公教育システムを解体する。学校経営を民間に委ねたり、経費の私費負担を増やしたりすることで、親の消費者意識を強化する。それによって学校に依存する依頼者から学校を選択する消費者、さらには教育サービスの内容と品質を選択できる顧客の立場に高める。さらに学校に生産者/消費者モデルを導入し、産業界の用語と様式を教育界に浸透させる。投入・産出、新しい市場の開発、消費者調査、カリキュラムの開発、学校のイメージ戦略と広報活動などがそれである。
 第4は教育事業民営化の推進である。それは財政負担の節減と教育の多様化を進めるのに役立てると同時に、企業に対して新しい産業分野を開放し、教育産業の振興を図ることを狙いとしている。教育民営化の手法としては株式会社など学校法人以外の法人が学校教育事業に参入することを容認、あるいは公立学校の管理運営の一部を外注したり、株式会社、予備校など民間法人に運営費を交付して委託する公設民営学校などがある。
 以上「教育の私事化」の概略を見てきたが、それは学校教育を含めて教育を個人的消費財とみなすことであり、「私学化」よりもはるかに広い概念である。単なる「私学化」とは異なり、「教育の私事化」は私学関係者も手放しに喜んでばかりいられないであろう。この点を見誤るのは教育政策としてもまた学校経営にとっても危険である。
 これまで学校法人が設置する私立学校、国や地方公共団体が設置する国公立学校、営利企業が経営するもろもろの教育事業は、それぞれ縄張りをもち棲み分けていた。ところが「私事化」の進行につれて三者の境界が曖昧になってきた。
 国立大学の法人化や公立学校の選択制、さらには国公立内部運営の私事化などは、これまで専ら“公”であり、“官”であった国立学校を半ば“民”の地位に移すものであり、学校教育の民間企業への開放はこれまで専ら“私”であり、“民”であった営利企業にも半ば“公”的地位を認めるものである。
 その結果、これまで公共性と自主性を謳い文句に半官半民に位置付けられてきた私学は腹背両面から攻められることになる。その場合、公共性という点では国公立に及ばず、自主性という点では教育産業に及ばない私学の立場は、決して楽観していられない。
 こうした状況に対して私立学校はどのようなスタンスをとるのか。それはそれぞれの学校法人が判断すべきことであるが、恐らく2つの方向に分極化していくのではないか。その一つは公的性格を強めて国公立学校に接近していく方向でありもう一つは私的性格を濃くして教育企業に近付いていく方向である。