アルカディア学報
私立大学の研究と研究費―私学高等教育研究叢書の発刊によせて
私学高等教育研究所の研究成果は、公開研究会やこのアルカディア学報などにおいて従来から広く世に問われてきたが、このたび新しい企画として私学高等教育研究叢書が発刊された。筆者が代表をつとめた「研究と研究費」プロジェクトの成果が、はからずもその第1号として刊行されたので、この機会にその概要をご紹介するとともに、私立大学における研究活動及びこれに対する公的支援のあり方について若干の感想を述べたい。
《成果の概要》
本プロジェクトは、私学高等教育研究所において平成14年度から16年度まで行われた。5名の研究員が担当者となって、研究費の配分と研究成果における私立大学と国立大学の比較を中心に検討をすすめ、個人の立場から自由に分析と考察を行った。
その成果である本書は4つの章からなる。第1章は、研究協力者としてご参加ねがった宮田由紀夫教授(大阪府立大学)の「アメリカ連邦政府による大学研究支援」である。アメリカでは、全米科学財団、国防省、厚生省、エネルギー省など、連邦の複数の省庁が分権的に研究費を配分している。これらの研究費は、いわゆる研究大学に主として配分されているが、省庁によって配分のしかたがかなり異なる。その結果として、アメリカでは研究費の一極集中が回避され、州立大学だけでなく私立大学にも豊富な連邦資金が配分されている。
第2章「私立大学・私立中核大学に対する科学研究費補助金の配分実態」は、島 一則講師(国立大学財務・経営センター)が共同執筆者である大島真夫氏(東京大学大学院)とともにとりまとめた。科学研究費補助金の配分結果を1977年度から2002年度まで分析して、国立大学・銘柄大学とそれ以外の大学の格差が、ほぼ2000年度を境に拡大に転じたことを明らかにした。第3章は筆者による「大学と研究評価」である。大学における研究評価について概説を行ったあと、研究基盤整備に格差のある私学には、独自性のある研究活動が求められていることを指摘した。
第4章は竹内 淳教授(早稲田大学)が執筆した「研究費配分の現状と課題―世界一線級の研究レベルを実現するために」である。竹内教授は、理工系を念頭においた「研究室を単位とした研究論文数と科学研究費の相関関係のモデル」を提示し、3つの局面を区別した。第1の局面は研究費が少ない場合である。研究に着手するさい、まず研究装置の購入などに一定の研究費が必要であるため、この局面では研究費を投じても研究成果があまりあがらず、研究効率は低い。研究費が増加し、一定の閾値をこえて第2の局面に移行すると研究効率は高くなり、研究費の投入に応じて研究成果があがっていく。
しかし、研究費がさらに増加して、ある限度をこえた第3の局面(飽和領域)では、研究室の人的資源の限界が制約条件となって研究成果は頭打ちとなり、研究効率は低下する。最近のデータによれば、一部の大学では研究費が飽和領域に達している可能性があり、まだ飽和領域に達していない私立大学などに研究費を移転することで国全体の研究効率が高まるはずだというのである。
以上、特徴的な論点について内容の一部を紹介したが、もとより、これらの論考によって研究と研究費の問題を分析しつくしたと言うつもりはない。むしろ、この課題について、データにもとづいた実証的研究の重要性を喚起したことに本書の主な意義があるのではないかと考えている。
《競争の前提条件》
以上のような成果の集積を前にして、筆者は競争の前提条件ということに思い及んだ。大学における教育研究水準の向上は日本の国家的な重要課題であり、研究面では競争的研究費の拡充が進行していることはよく知られている。これらは、すぐれた大学や研究者に研究資源を集中的に投入するという意味で、妥当な政策であることは疑いない。しかし、競争をスポーツにたとえれば、競技場の整備やルールの確立、さらには各チームへの選手の配分にまで留意しなければ、見応えのある試合は実現しない。つまり、競争によって望ましい状態が自動的に達成されるのではなく、それを実現するためにはさまざまな前提条件が必要であるように思われる。
研究費に話をもどせば、第1に、人類の共有資産を生産する大学の研究活動は、公的支出によって負担されることが望ましい。しかし、日本では私立大学の比重が大きく、旧帝国大学に代表される大学群と、それ以外の諸大学との間には研究基盤整備に大きな格差がある。したがって、右のような競争がフェアであると言えるかどうかに議論の余地がある。
第2に、産業界では、企業間の自由な競争の結果として、競争メカニズムが機能しない集中状態が生じることがある。各国の経済当局は、必要があれば市場競争に介入してそうした独占や寡占を回避してきたから、研究活動においても、競争の結果としてもたらされる過度な集中の排除が考えられてよい。
第3に競争の内容が大切である。変化の激しい最近の情勢を考慮すれば、現時点で重要性が認識されている研究領域に重点投資するだけでなく、未来を見すえて、次の研究領域や、次の次の研究領域を準備しておくことが求められよう。
これらは、政府にとっては、競争をめぐる戦略的な枠組の構築を求めるものであり、私学を含めた個別の大学にとっては、しばしば短期的に行われる研究上の競争に、いかにして長期的な視点を導入するかという問題となろう。研究プロジェクトの性質上、今回は私立と国立の対比が主題となったが、この課題にはそれをこえた一般性があると個人的には考えている。
《私学への期待》
私学における教育研究水準の向上は、国家的にも期待されている。たとえば、第2期の科学技術基本計画(2001年)では、大学院の充実など教育研究機能の強化や、社会的要請の強い研究プロジェクトの推進が私学に期待されている。私立大学の学生数は日本の全学生の約8割をしめ、卒業生の多くは産業界等に就職する。したがって、社会的要請の強い研究課題を取り上げることは、教育機能の強化に結びつく研究活動となる可能性が高い。
研究基盤の整備において、私立大学と旧国立大学との間に大きな格差があることは事実であり、私学に対する「アファーマティブ・アクション」の要望(本紙1月19日号)が私学団体から提起されるのも理解できる。しかし、旧国立大学と類似の領域で研究基盤の整備をはかるのでは、社会的な支持は得られにくいのではないか。格差の存在を前提とするならば、研究領域を重点化するとか、他大学と競合しにくい領域をねらうなど、戦略的な研究活動を行わない限り、すぐれた研究成果を手にすることは難しい。
研究開発大国である日本には、研究開発の重層性や多様性が求められている。そのためには、幅広い大学において研究開発活動が展開される必要がある。その実現には、独自な建学の理念をもつ私立大学が、それぞれ独自な貢献をする余地は大きいのではないか。
《研究評価の工夫》
このような研究活動の成果は、従来のような同僚評価や、論文数や引用数を数え上げる科学計量学的な評価とは別の枠組で評価することが考えられる。昨年6月9日号の本欄に寄稿した畠中氏は、アメリカのマサチューセッツ工科大学が、イノベーションへの貢献を教員評価の軸のひとつにしていることを紹介されていた。私立大学における研究活動が前記のような方向に進展するのであれば、それに対応した研究評価の方式をあわせて用意する必要があろう。