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アルカディア学報

No.208

初年次教育とキャリア教育―その構造と俯瞰図の検討を

関西国際大学学長 濱名 篤

 初年次教育は、我が国でも多くの高等教育関係者や高等学校の進路指導関係者の一部でも知られるようになってきた。大学教育学会では、平成16年4月より「初年次教育・導入教育研究委員会」を設置し、学会の2つの研究課題の1つとして取り上げている。内容をみると、初年次教育自体の有効性を前提にした上で、具体的内容(教育内容、教育方法等)や、どのように導入し組織的に運営していくのかといった実践的な関心に移行しつつある。
 初年次教育の有効性は、高校から大学への円滑な“移行”を助け、大学生活での成功を実現する助けとなる点に求められるが、1980年代に米国で普及する際に有力な評価指標とされたのは「学業継続率(retention)」である。1年から2年にかけての中退率が高いアメリカでは、学校難易度別にみて「高選抜」型では8.4%だが、「選抜」型で18.3%、3番目の「伝統」型で27.1%、以下「リベラルアーツ」型35.2%、「開放」型では45.7%と全般に中退率は高い(ACT、1999)。この学費収入に直結する指標に基づいて、アメリカ等の国々で初年次教育の有効性が評価され発展してきたのである。アメリカの大学の(5年以内での)卒業率は、博士課程併設私立63.5%、同公立46.4%、学部のみ私立で53.9%、同公立では43.1%(出典前述)といった状況であり、学業継続率には敏感にならざるを得ない。中退率でみると65%以上のイタリアのような国があるのも事実である。
 翻って日本の場合、中退率が11%程度(OECDデータベース2000)との認識もあり、欧米とは状況が違うとか、中退率や学業継続率では初年次教育の有効性は測定できないというのが、現段階での一般的な反応であろう。しかし、“2006年問題”と呼ばれる、これから大学に進学してくる世代が、学力・学習意欲・モラルなどの側面での一層の多様化現象と、“大学全入”時代を迎えることから、どのようにして多様な新入生を受け入れ、大学生活に適応させていくかは、私学関係者の大きな不安となっている。
 他方、こうした状況を受けて、優秀な志願者を集め、生き残りを図るために、就職率を上げ、有名企業等に卒業生を就職させることによって、大学としての魅力を増していこうとキャリア教育に対する関心も高まってきている。単に就職活動のやり方やテクニックを教えるだけではなく、キャリア・デザインやキャリア・プランづくりから大学が支援していこうという変化も含まれている。なぜかといえば、就職率をあげるための就職指導を3年対象から、2年へ、さらには1年からという“就職指導の早期化”だけでは効果が上がらなくなっているためであろう。一説によると、就職関係のインターネット・サイトに登録する学生の内、最後までこの情報サイトを使いこなして就職する学生は2割程度であるという。8割は途中で情報サイトを使いこなせなくなるのか、途中挫折するのか、戦線離脱してしまうようである。それ以前に、こうした情報サイトにうまく登録できないまま離脱してしまう学生すら例外的な存在とはいえない。
 以下では3つの観点から、キャリア教育が視野に入れるべき新たな問題を整理してみたい。
 第1に、進路未決定者の問題である。平成16年3月の大卒者4万8897人の卒業後の進路をみると、就職30万6338人(55.8%)、進学(大学院、外国の学校、専修学校等を含む)8万7022人(15.9%)である。これ以外の部分が重要である。「一時的な仕事に就いた者」2万4754人(4.5%)と「進路未決定者」11万35人(20.0%)を合わせると4人に1人で、彼らの多くが、フリーターやニートと呼ばれる。フリーターやニートは大卒よりも中学卒、高卒、高校中退者の方が多いといわれるが、大学におけるキャリア教育の課題に、これら4分の1の大卒の進路未決定者の問題が含まれないとはいえまい。
 ここで大卒の進路未決定者について、学部分野別卒業生数の上位3分野の「進路未決定者」数を比べてみよう。社会科学5万1053人(卒業者21万7276人の23.5%)と人文科学2万2534人(同9万1082人の24.7%)が、工学1万1433人(同9万8431人の11・6%)と比べ2倍以上の高率となっている(出典:平成16年度学校基本調査報告書)。これ以外に「一時的な仕事に就いた者」が、社会科学で4.2%、人文科学では7.4%で、合計すれば2分野卒業生の約3割に相当する。私立大学全体の2分野学生数が占める割合を考えると、私学にとってこれらの不安定な進路を減少させることが重要な課題であることは容易に理解できよう。
 第2に、短期離職者の問題である。大卒者の3年未満離職率は32.6%(1年目12.9%、2年目9.8%、3年目9.3%。厚生労働省2000)であることを考えれば、就職した卒業生55.8%の3分の1にあたる19%近くが離職する可能性がある。なお、過去5年の実績からいえば、いったん正規従業員をやめて正規従業員に就ける者は62.5%、逆にいったん非正規従業員になった者が正規従業員に就く比率は24.8%に過ぎないという(リクルート・ワークス研究所角方正幸氏調べ)。
 これら2つのデータをまとめると、社会科学分野で卒業生の5割近く、人文科学分野では5割以上がフリーターのような不安定雇用やニートを経験する可能性があると推計できる。キャリア教育が取り組むべき課題の裾野の広さ・難しさとその広がりの大きさが理解できる。
 第3に、最初に指摘した中退者の存在である。大学中退率は前述のように11%か、筆者が過去に推計したように20%近くである可能性もあるが、中退率自体、いつの段階でどのように測定するかによって数値が大きく違うし、今春入学した学生の中退率が確定するのはかなり先のことになる。少なくとも入学者の1割以上は中退しているのである。
 中退者を、卒業後の進路未決定者と短期離職者に加えると、人文・社会科学系の大学入学者の過半数が、大学入学から卒業後3年までの7年以内にキャリア選択で大幅な軌道修正や挫折を経験することになる。
 これらの問題を通底するのは、これまでの就職についての“常識”が通用しなくなっている点である。すなわち、一流企業に就職し、より豊かな生活や社会的成功を送るという“夢”が社会的に共有できなくなったということである。サントリー不易流行研究所の『ロスト・プロセス・ジェネレーション』には、自らの人生の中で達成への“プロセス”を楽しむ実感をもたず、何ごとにも燃えにくい現代の20代がリアルに描写されている。“就職に燃えない”学生たちは、就職を目標や動機づけとして必ずしも感じない。こうした学生たちに自らのキャリアを考えてもらうヒントが初年次教育にあるのではないかという動きがキャリア教育の専門家からも出始めている。
 学生を就職という“出口”から目標にむけてナビゲートしようとしていたキャリア教育と、“入口”からみて大学生活に円滑に学生を移行させようとしてきた初年次教育が、意外に近い位置関係になってきているのかもしれない。
 絹川正吉氏の整理によれば、キャリア教育の基礎は、自己理解と他者理解、自己同一性の確立、世界理解力・世界観の形成、スキルと経験を獲得する能力、課題発見・課題解決能力、自律・自立、自己実現をめざした個性的な生き方、意志と責任によって主体的に自己を形成することなどをあげ、「自己実現をめざした個性的な生き方」こそがキャリア設計だと指摘している。学生たちが自らの特性や持ち味を自己理解し、自分なりの世界観や人間観を構築し、将来の目標と生き方を考え、自らにあったナビゲーションを始めるようにすることであろう。絹川氏は、結論として教養教育こそがキャリア教育と結論づけている。改めて考えてみれば、一見別々の目的のもとに発達してきた初年次教育とキャリア教育を、4年間を通しての学士課程教育の目的や教養教育との位置関係で俯瞰してみる時期に来ているのではないだろうか。初年次教育は“大学生活への移行”のプログラムであり、2年生から4年生まで学生たちに様々な刺激を与えつつ、卒業後のキャリアに自らが納得できる生き方を投影して“職業生活に移行”させる学士課程教育とは、どのような構造と繋がりを持つのか。裾野を広げた視野とフリーターやニート問題まで通底した視野でこの問題を考え、実現化していくことが急務となっている。