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アルカディア学報

No.203

グローバル化する高等教育―国際レベルでのガバナンスは可能か

大学評価・学位授与機構助教授 米澤 彰純

 私学高等教育研究所では、世界の「私学化」の動向と高等教育政策をテーマに、公開研究会を開催する。高等教育の「私学化」についての概念整理は、瀧澤主幹が本欄第202回(5月18日付)にすでに行っておられる。そこでは、「大学システムの外形的な変化」「維持・管理責任のあり方に関する変化」が「私学化」と定義され、国公立の公的な維持・管理責任の曖昧化が国公立か私立かの区別を曖昧にしていると述べられている。
 この高等教育の「私学化」を含むプライバタイゼーションの進行は、フィリップ・アルトバック・ボストンカレッジ教授やダニエル・レヴィ・ニューヨーク州立大学教授などが指摘しているところでもある。これは、単純に「私学」として明確に位置づけられた高等教育機関が拡大するだけではなく、国公立の大学が一部私的な性格が強い教育サービスを提供したり、国公立大学が自国の外で教育プログラムを運営する場合に「私学」としての地位を獲得するなど、実態は、公と私がとても入り組んだものとして展開している。
 特に、国境を越えた高等教育プログラムの提供は、しばしばその送り手の国の政策や規制の外に展開することになり、政策上大きな問題になりうる。もちろん、多くの国境を越える高等教育の多くは、実際の教育活動を伴っているが、中には質が極端に低かったり、教育を一切しないで、社会的通用性を持たない学位や資格を出す「ディグリー・ミル」とよばれるものも存在することが、一般にも知られるようになって来た。
 この問題は、日本でも大きく取り上げられ、「国際的な大学の質保証に関する調査研究協力者会議」などの議論を経て国境を越えた教育提供についての法制度の整備が進められた。2005年には現実にテンプル大学ジャパンが外国大学日本校として日本政府の正式な指定を受け、早稲田大学は現在シンガポールの国立大学であるナンヤン工科大学と共同で、MOT(Management of Technology:技術経営)のダブル・ディグリー・プログラムの実施準備を進めている。
 以上の動きは、現実に国境を越え、公私の区分を超えた高等教育の展開が進むなかで、何らかの国際的なレベルでの高等教育の政策調整が必要になってきていることを意味している。この機能要請を、高等教育機関、国それぞれのレベルを超えた、国際レベルの高等教育ガバナンスへの要請と、名付けることにしよう。ここでは、Harmanの定義に基づき、高等教育のガバナンスを、〈いかに権力が配分され,行使されているか、政府とシステム及び機関との関係がどうなっているのか〉に関する広い意味で用いることにする。
 日本で2004年度からの「認証評価」の導入が進められた背景のひとつとして、国際的な高等教育の質保証ネットワークの形成を国際社会で提唱する日本政府の立場から、自国の高等教育の質を対外的には「アクレディテーション(基準認定)」として整備する必要があったことをあげることができる。すなわち、一見国内問題として整備されているように思われる高等教育の質保証や評価の仕組みは、多くの場合、国際的な高等教育の動向をにらんだ国家戦略としての側面をもっているのである。
 筆者は、2005年5月に広島大学高等教育研究開発センターを中心とするメンバーでの高等教育の質保証についての日本高等教育学会での発表(代表:羽田貴史広島大学教授)に参加し、杉本和弘氏(鹿児島大学)と渡邊あや氏(日本学術振興会特別研究員)とともに、高等教育の国際化への国家政策に積極的に取り組んでいるオーストラリアとフィンランドの事例を参照しながら、高等教育の国際レベルのガバナンスの可能性についての発表を行った。意外なことに、オーストラリアでも、フィンランドでも、日本のような、全大学や高等教育機関を対象としたアクレディテーションに匹敵する制度は、まだ整えられていない。杉本氏によれば、オーストラリアでは、建国当初から、大学は自分で自分の学位の質を保証する「セルフ・アクレディテーション」という考え方が存在していたが、1990年代に入り、オーストラリアの高等教育の国際展開に向けた政策整備が進める中で、改めてこの「セルフ・アクレディテーション」の考え方が強調されるようになったという。また、渡邊氏によれば、ボローニャ宣言以降のヨーロッパ全体で比較可能な質保証のシステム作りへの国際協調が進む中で、フィンランド政府もまた、国際的な枠組みに適合した質保証システムの構築の必要性を認識しているが、現実には大学は機関レベルの質保証システムをもっていないし、アクレディテーションに至っては、議論すら行われていないという。
 すなわち、多くの国で、国レベルのガバナンスとして、大学・政府・市場の関係を左右するような質保証や評価の問題については、大学や学問の自律性や自治論に関わる慎重で複雑な議論の途上にある。このような国内的な議論は、現実に広がる無政府的な状態に歯止めをかけるために緊急に必要とされている国際的な質保証のための議論が示す理想とは一致しないことも多く、全ての国が日本のように一気に認証評価などのアクレディテーションの全面実施を進めているわけではないのである。
 では、国際レベルの高等教育のガバナンスは、実際に存在しうるものなのだろうか?そして、これを主に担うのは、国家や政府なのか、大学なのか、あるいは評価や質保証の専門機関なのだろうか?高等教育の国際市場に対して、適切な秩序や質保証の仕組みの必要性は、政府、大学、評価機関のいずれもが、基本的には賛意を表すことだろう。このため、国内問題としては相互の利害対立を抱えながらも、3者が共同戦線をはって国際問題に対処することがしばしば起こるが、ここでは多くの場合、質保証を進めることへの最も大きな動機付けを有する国家の考えが、大学や評価機関に対して影響力を増すことになりそうである。
 実際に、政府が代表権を持つ国際機関であるユネスコとOECDが現在共同で提案している「国境を越えた良質な高等教育の提供のためのガイドライン」では、最も弱い立場におかれた消費者としての学習者の保護を主目的とし、各ステークホルダー(政府、大学、学生組織、評価機関、国際評価組織・ネットワーク)に対して、良質な高等教育を提供するための協調が呼びかけられている。
 しかし、高等教育について現実味のある国際レベルの政策として、消費者保護を超えたコンセンサスが形成されているかといえば、そうとはいえない。むしろ、最終的な学位授与権の権力による保証という点で、高等教育の国際化が進めば進むほど、国家が高等教育機関・評価機関双方に対して影響力を増しているようにも思える。すなわち、グローバル、あるいはヨーロッパやアジア太平洋などの地域レベルでの高等教育に関する実際的な国際取り決めが、無政府的な国際市場からの最低限の消費者保護を超えて実効力をもって機能するめどは立っていない。おそらく、国際レベルのガバナンスは、機関や国家レベルとは異なる性格のものとして定義・理解されなければならないのだろう。そして、しばらくの間は少なくとも、このような国際レベルのガバナンスが機能不全である状態が続き、国際化する高等教育市場の力が、高等教育の国際展開に対して影響力を増すことになるのだろう。