加盟大学専用サイト

アルカディア学報

No.202

高等教育の「私学化」とは何か―「公から私へ」の変化と政策への課題

帝京科学大学顧問 瀧澤 博三

 福祉国家の終焉とともに新自由主義経済思想が欧米からアジアへと拡がり、各国の行財政のあり方に強い影響を与えている。その基調は「官から民へ」である。この行財政改革の大きな潮流は高等教育も飲み込んで、各国の高等教育改革にも強い影響を与えた。このような新自由主義経済思想の影響とは別に、高等教育にはもう一つのグローバルな変化の潮流がある。高等教育の大衆化、ユニバーサル化に伴う大学観の変化であり、それは大学の「サービス化・市場化」という言葉で代表させてよいかもしれない。この二つの潮流は合流して、高等教育界に大きな混乱と不安を起こしながらも新しい変化の方向が模索されている。この新しい変化の方向を最近「私学化」と呼ぶことが多いが、その内容を整理してみると、それは「公的な要素が減少し、あるいは私的な要素が増大すること」という非常に広い概念になり、これに対して「私学化=私立学校化」という言葉を当てることは内容を狭く限定しすぎる。ここでは単純に「公から私へ」の変化と捉え、その内容として「私事化」と「私学化」の二つの概念を使いたいと思う。このようなグローバルな時代の流れとしての「公から私へ」という変化の意味内容を明確にし、その変化の方向と問題点を探ることは、高等教育論の深化のために欠かせないことだと思う。
 ここでは、わが国の大学について見たとき、一般に言われている「私学化」とは大学のどのような変化を指すと考えるべきかについて、できるだけの整理を試みたい。もとより試論に過ぎず、忌憚のないご批判を頂きたい。

 1.「私学化」とは何か
 一般に「私学化」といわれている内容はおよそ次の3つ―(1)大学に関する観念の変化、(2)大学システムの外形的な変化、(3)高等教育全体の構造的な変化―に分けられると思う。この三つの変化は「公から私へ」の変化として共通性があるが、それぞれは異質の問題であり、「私学化」という言葉がなじむのは(2)だけである。
 (1)大学教育の目的、使命に対する観念の変化
 《大学教育の私事化》大学の目的・使命には公事性(公共善の実現)と私事性(私的善の実現)との両面が常にあるが、どちらがより重視されるか、そのバランスは時代によって変化する。近代国家形成期には大学は指導的人材養成をはじめ近代国家の基盤づくりの役割を担い、国民もそのような公的な役割を担うものとしての大学観を支持してきた。ところが大学の大衆化が進み、若者の大半が大学まで進むようになるにつれて、大学教育は個人的な利益のためという理解が強まり、「公事性」の観念が薄れ「私事性」の観念が強まる。このような変化を大学教育の「私事化」と呼んでおきたい。この「私事化」は大学教育の国家による独占の大義名分を崩し、教育経費の受益者負担の考えにも結びつくなど、「私学化」といわれる多くの変化と深くかかわっているが、大学観の変化自体は国立か私立かということとはかかわりの無いことであり、これを「私学化」と呼ぶことは不適当であろう。
 《「私事化」が招くもの―大学のサービス化と営利化》大学教育の大衆化は、伝統的な学問の共同体としての大学の性格を変えつつある。大学は知の創造と伝達の場というより、教育サービスの提供と消費の場となり、大学は学生を顧客と考え、学生は消費者意識を持つようになってくる。大学の私事化が先鋭的に進み、公事性が極端に薄れた状況では大学の営利事業化も容認されるようになるかもしれない。株式会社立大学はすでに突破口が開かれている。
 (2)維持・管理責任のあり方に関する変化
 学校の設置者はその設置する学校を管理し、原則として経費を負担する義務がある(学校教育法第五条)。したがって国・公立であれば公的な維持・管理責任が確立されているのが原則であるが、この原則は経費と管理の両面において曖昧化しつつあり、私的な方向に変化している。結果として国公立か私立かの区別自体が曖昧化しつつある。
 《公的経費から私的経費へ》昭和50年当時、国立大学の授業料は私大平均の5分の1程度であり、教育サービスの対価性は少なかったが、その後値上げが続き、今では私大平均の六割ほど、人文・社会系ではほぼ同じになっている。授業料・検定料収入は収入全体の15%になり、病院収入等を含めた自己収入は44%になる。国立大学の授業料アップについては、国・私の授業料格差の是正が理由とされてきたが、より根本的には大学教育の「私事化」によって、受益者負担の考え方が出てきているのではないかと推測する。法人化後は予算システムが改革され、自己収入の増加を図るよう経営努力が求められており、国立大学の私的な経費への依存度は今後徐々に高まっていくものと予想されている。
 以上は国立の問題であるが、私大についても公的な経費負担の充実は難しくなっている。
 私学振興助成法が私学助成の目標を経常経費の2分の1としたのは、私大教育の公的役割を認識してのことであった。この法律による思想的バックアップにより補助率は年々増加し、数年後には約3割に達したが、その後補助率は低下の一途を辿っており、今や2分の1目標は雲散霧消の呈である。これはもちろん国の財政事情によることでもあるが、根底には大衆化に伴う「大学教育の私事化」によって、大学教育に税金をもっと注ぎ込むことについて国民の理解が得にくくなっているという背景があるように思われる。私学もいっそう「私学化」しているのである。
 《公的管理から私的管理へ》国立大学は法人化によって、大幅な自律性を得ることとなった。従来の人事、予算等を通じての政府の直接的な管理は終焉し、目標による間接的な管理方式になった。これは新自由主義を背景とするNPM=ニュー・パブリック・マネジメントの思想を根底とした行革的な発想から実施された改革であり、これまでの官庁的なルール重視のプロセス管理を廃し、目標による管理と成果の評価によってより高い効率性を実現しようとするものである。独立の法人としての自律性の実態がどのように推移するか今後の問題であるが、少なくとも形としては、国立大学は大きく私学的な方向に変化したといえる。
 官庁方式による大学等の設置を非効率とする考えは、既設大学の法人化だけでなく大学の新設に当たって新しい形態を生むことになった。いわゆる公設民営あるいは公私協力方式などといわれる設置形態である。これらも公的な資源による大学の設置形態が「私学化」したものと見ることができよう。
 (3)私学セクターのシェア拡大
 もう一つの「公から私へ」の変化として、高等教育全体における私学セクターの比率の拡大を挙げるべきかもしれない。大衆化への国民のニーズに応えるのに国費を投ずるより民間資金による私大の設置を促進するという政策の結果であり、1960年代から70年代中頃までのわが国の政策がその好例である。しかし、これは大学の性格論とはかかわらない高等教育全体の規模、構造の問題であり、(1)、(2)とともに一つの変化の潮流として論ずることはそれほど意味のあることとは思われない。
 2.大学の「私事化・私学化」に高等教育政策はどう対応すべきか
 残された紙面も少ないので、2、3の問題点の指摘にとどめたい。「私事化・私学化」の動きには政策的な選択を超えた時代的な潮流を感じさせるものがある。しかし、仮にこの潮流自体は受け入れるとしても、それに伴う問題点は多く、それらを明確に指摘し対応策を検討することは高等教育政策の責任である。
 「私事化」は大学の「市場化・サービス化」を招くだろうし、更に「営利化」の動きを刺激するかもしれない。一方で大学という制度に期待されている多様な機能には、国際的な教育研究拠点の形成、学術水準の維持、留学生への対応その他強い「公事性」を要求する領域が依然として多い。どのような高等教育全体の構造をもって、このような要請の多様化に対応していくか。また、大学制度の本体は非営利であるべきであり、非営利と営利の境界をどのように設定するか。これらは高等教育政策の最大の課題である。
 (2)国公立大学の「私学化」に伴う一番の問題は、これまでの国公私による棲み分けと競争の秩序が破壊され、高等教育に不安定性をもたらすことである。国公私の存在理由と相互の関係についての的確な政策的判断の上に立って、高等教育の安定的な発展の基盤を再構築する必要がある。
 (3)「私事化」、「私学化」の動きは、市場原理の効果的活用により大学の活性化を促す面があるが、同時に大学の多様な機能にとって市場原理は常にプラスには働かない。市場原理の欠陥を補正する政策の出動は不可欠である。国際的な共通性の高い問題であるだけに、各国の「私事化・私学化」の動向とそれぞれの政策的対応とから学ぶべきものは多いはずである。