アルカディア学報
大学評価の歴史性・地域性―アメリカ地域別大学基準協会東西比較
《アメリカの大学の歴史性》
北アメリカに最初の植民地を切り開いたのは、1607年、今日のヴァージニア州ジェイムスタウンを建設したイギリス国教会派の人々だが、アメリカの学校教科書的に言えば1620年ボストン郊外のプリムスに到着したピリグリム・ファーザーと呼ばれるイギリス国教会からの分離派である、ピユリタン一行による入植をもってアメリカ史の始まりとする。以来、ボストンはアメリカ史における建国神話の中心地となり、特に独立以前の遥か140年前の1636年に、アメリカ最初にして今日まで世界最高の地位を保つ、ハーバード大学がこの地に建設されたが故に、ボストン地区、マサチューセッツ州、広くはニューイングランド地域が高等教育の世界でも特別な意味を有するようになっている。
その後アパラチア山脈を越え西へ西へと開拓が進み、ついにルイス・クラーク探検隊がロッキー山脈を越えて太平洋岸へ至る道を開拓し、現在のアメリカ合衆国領土の原型が出来上がったのは1806年の事である。西進する領土拡張の途上、町に教会や酒場と同時に大学もまた建設されたのである。
これらの大学の多くは、キリスト教各宗派が設立したものであったが、各州も大学設立に動き出し、1791年の教育権は州の権限という教育の地方分権化が確立し、さらに1862年に連邦議会は、各州が大学を設立するために必要とされる財源として土地を提供するという、かの有名なモリル法を承認、高等教育の普及と発展を州政府が担うという今日まで続く制度が確立すると同時に、私立大学にも州政府から土地の提供を受けることが出来る様になった。マサチューセッツ州が、科学技術教育と一般教養教育を融合し、産業発展と人類福祉に寄与することを目的とする大学として土地を提供して1865年に作られた私立の総合大学が、日本名では理系のイメージが先行しているマサチューセッツ工科大学である。
このような経緯ゆえ、わが国の制度とは正反対の性格を有している。教育事業の展開は、州政府による教育目的の非営利法人資格さえ得ることが出来れば、誰でも何時でも大学を設置運営することができる。ただし、州を越えて学生募集やプログラムの提供や資金移動を行った場合にのみ、連邦政府が介入する権利を有しているので、ディグリー・ミルと呼ばれる不正学位発行機関がFBIの捜査対象になるのはそのためである。しかし、スーパーマーケットの片隅で秘書養成講座を提供している学校がスーパー大学と名乗り、学位を発行することは全く自由であるゆえ、後述する地区別大学基準協会には認められていない高等教育機関は数え切れないほど存在する。彼らは自分達の仲間を集って独自の基準協会をも設立運営しており、それらの大学が地区別基準協会の基準に合致すればメンバーとして受け入れられるという、わが国では考えられないような状況がアメリカには存在する。
《仲間同士の相互査察・評価制度の歴史性》
州政府が教育権を有しているとはいえ、個々の教育機関がその存在意義を主張・実行できる制度の下では、連邦政府も州政府も直接的に介入することは許されず、具体的には選挙で選ばれる州の教育委員長を通じて行われる。その全国組織がコロラド州デンバーにあるECS(全国教育委員会会議)で、コナン元ハーバード大学学長が提唱し初代議長を務めた。幼稚園から大学院までのあらゆる教育機関についての情報収集と政策提言を行っている。そのひとつが第二次大戦後に導入されたGI・Bill:今日まで続く軍務服役者に対する奨学金制度である。この制度がアメリカ高等教育の普及と発展にどれほど寄与したか、モリル法と並ぶ一大法案である。
学校設立がある意味で自由放任制をとっているアメリカでは、その質と学校間関係が歴史的な課題であった。特に大学教育の普及と共に大学入学者を輩出する高等学校と大学との関係が顕著になり、高等学校の課程と大学への入学資格及び大学の教育課程との関係を調整するために始められ、現在では州立・私立の幼稚園から大学院まで全ての教育機関を対象として様々な基準認定団体が活動している。政府によらない基準認定の伝統は、教育だけでなくアメリカのあらゆる業界において自己規制と同業者による相互査察質的保証を確保している。例えば、大都市とそれに隣接する空港で、タクシー運転手の質はどこの国でも頭痛の種であるが、アメリカではタクシー業界とその運転手の質保証を確保するための認証団体がある。
大学に係わる基準団体はおおよそ60ほど存在し、それらを総合的に調整する団体としてCHEA(高等教育基準認定協議会)がワシントンDCにあるが、大学に係わる最大かつ最も伝統と権威があるのが、6つの地区別大学基準協会である。その中でも最も古い伝統を持つ、その地区に世界的に知られる有名私立大学が点在するのが1885年設立のニューイングランド地区大学基準協会(NEASC)であり、最も新しいのが1962年設立のカリフォルニア州とハワイ州を担当する西部地区基準協会(WASC)である。本年2月末に行われた、(財)日本高等教育評価機構主催の米国現地評価活動視察に際し、NEASCと2番目に新しい1917年設立の北西地区大学基準協会(NWCCU)であったので、次に2つの団体における評価活動の差異について述べることにする。
《大学評価の地域性・文化性》
6つの地区別基準協会の概要比較を表化すると下表のようになる。
北西地区(NWCCU)は担当する州の数は少ないが、アラスカ州からネバダ州まで最も広い領域をカバーしなければならず、評価員は出身大学が存在する同一州内の大学訪問調査には参加できないので、遠距離の移動を余儀なくされる一方、ニューイングランド地区は狭い領域に大学がひしめき合っているので、移動は比較的容易である。
基準項目数の違いは本質的なものではなく、セルフスタディでは全国同一の基準内容について報告するよう指導されている。各基準間の関連をどのように判断するかに各基準協会における特色が見られる。
基準協会を形成し、最終的な評価判断をする専門委員の選出にも両協会には違いが見られる。NWCCUでは担当州における大学規模に比例した人数の専門委員が選ばれ、全て評価員としての経験がある学長もしくは学長経験者であるが、NEASCでは学外の弁護士や実業家も専門委員として評価活動に参加している。
両基準協会の最大の違いは評価員と派遣される大学との関係である。北西地区では州立大出身の評価員が私立大に派遣されることはなく、4年制大学の評価員が短大の評価には出かけないし、当然その逆もない。ところがNEASCでは、確かにハーバード大学への訪問調査に短大の評価員が出かけることは、その方が大学院もある総合大学出身の学長のような場合を除いて実際ないが原則可能であり、同一州内大学訪問禁止事項もない。この違いはもっぱら地区の地域性によるものではあるが、私学が圧倒的に優位校であるNEASCの歴史性、州立大学が優位性をもつNWCCUの違いにもよる。
しかしNWCCUで懸念されるのは株式会社立でインターネットを使った州域だけでなく国境を越えた新しいタイプの大学が加盟を申請したとき、私立大学の中から適切かつ専門的な評価員を見つけ出せるかということで、筆者の質問にエルマン基準協会事務局長は、「これまでにも株式会社立の私立大学を基準認定しており、大学という基準に合致してさえいれば、我々の仲間なのだから、適切な評価を行える評価員を私立大学の中に見つけるのは簡単だし、そのような人が必要になったら訓練して育てるのが協会の使命である」と笑顔で答えられたのは印象的であった。