アルカディア学報
No.19
韓国の私学高等教育(上)
ユニバーサル化への牽引車
客員研究員 馬越 徹
筆者は昨年4月から1年間の予定でソウル大学で客員教授を務めている。大学院生としてソウル大学に滞在したのは1970年前後であるので、実に30年ぶりの韓国ということになる。その間、韓国の高等教育は世界のどの国(地域)も経験したことがないほどの変貌を遂げ、既存の理論では説明がつかないほどの発展をみせている。以下、私学高等教育を中心に、最近の韓国高等教育事情を2回に分けて紹介する。
上昇し続ける進学率
韓国の大学進学率が50%の大台を超えたのは1995年のことである。韓国はアジアで最初に、高等教育の「ユニバーサル・アクセス」段階に突入した国となった。その後、国難といわれた1997年末の金融危機(別名「IMF危機」)に際しても進学率は落ちず、今世紀最後の2000年度(平成12年4月現在)の大学進学率は、ついに68%を記録した。ここでいう大学進学率とは、同年の高校卒業者のうち、いわゆる4年制大学と専門大学(2-3年制の短期高等教育機関)へ進学した者の比率であるが、韓国の高校在学率は90年代の半ば以後99.5%を維持しているので、68%という進学率は同年齢比(18歳人口)在学率とみなすことができる。この数値には浪人(韓国では「再修生」)や兵役終了後の入学者が含まれていないので、実質的な大学進学率は70%を大きく超えているといわれている。
数年後には韓国でも18歳人口が減少に転じ、志願者と入学定員が接近してくるので、大学進学率もこのあたりで頭打ちになると予想する向きもあるが、女子の進学率が男子に近づけば、さらに上昇することも大いに考えられる。いずれにしても、このように大学進学率を異常なまでに押し上げてきた背景には、過去30年間、国・公・私立一律にとられてきた「高校平準化」政策がある。つまり韓国ではほとんどすべての者が、選抜試験なしに高校まで進学してくるのである。もともと教育(学歴)を通じての社会的上昇志向の強い国民であるだけに、高校を卒業する18歳時点で大学を目指しての「競争」が一気に爆発する仕組みになっているのである。このような制度要因と国民の高い教育熱が相乗作用して、高進学率をもたらしていると筆者はみている。
受け皿となった私立大学
最近、地方都市を訪れるたびに、聞きなれない名前の大学の表示板(プレート)が目につく。筆者がソウル大の学生であった1970年時点で、大学と称する機関は全国に71校(国立14、公立1、私立56)しかなかった。しかもその半数以上がソウルに集中していたので、大学名称と所在地はほとんど頭の中に入っていた。ところが2000年時点の大学数は、4年制大学だけでも161校、それに1979年に専門学校から昇格した専門大学158校を加えると、大学数は実に319校になる。この30年間に8.7倍増、248校の大学が新設されたことになる。特に80年代以後、ソウル首都圏での大学新設が抑制されてきたため、新設大学のほとんどは地方に、また首都圏の巨大私学のブランチキャンパスも地方都市に競って進出したため、30年前の大学が脳裏に刻まれている筆者などは、韓国全土が大学で埋めつくされているような印象さえ受ける。特にそれに輪をかけているのが、近年の規制緩和による大学名称(呼称)の「自由化」措置である。1997年の「高等教育法」制定以来、それまでは「専門大学」の呼称しか許されていなかった短期高等教育機関が、最近では一斉に「○○大学」の呼称を使いはじめたため、大学が一挙に倍増した感じがするのは否めない。
いずれにしても同年齢人口の68%を収容する高等教育システムを支えているのは、ほかならぬ私学高等教育であることは間違いない。放送通信大学(国立:36万名)を除く4年制大学の学生総数に占める私学の比率は約78%、短期高等教育機関として高等教育総人口の約30%を占めるまでに成長した専門大学にいたっては96%の学生が私学に在籍しているのである。それに対し、過去30年間に新設された国立大学はわずか10校、公立大学にいたっては1校のみである。
ところがその間、政府の私学への対応は、一言で言えば「助成なき統制」でしかなかった。入学定員や入学者選抜(入試)を国公立大学とまったく同じレベルで規制(操作)することを通じて、高等教育機会の拡大の相当部分を私立大学に依存する政策をとってきたのである。このような悪条件にもかかわらず、数多くの私立大学が設立され、かつその品質管理にある程度成功してきた秘密はどこにあるのであろうか。
伝統としての「私学教育帝国」
東アジア教育の比較分析をしたW・カミングスによれば、東アジア各国は歴史的に「私学教育帝国(private educational empires)」を形成してきたと述べているが、これは韓国にもあてはまる。儒教的伝統を有する国では、公職を引退した知識人が小規模の私学(プライベート・アカデミー)を作る伝統があり、韓国の場合、近世における書堂や書院がそれにあたる。また、近代になると国公立学校への対抗勢力として、土着の企業家や団体が私学を数多く設立してきた。キリスト教や仏教等の宗教団体が学校設立に大きな役割を果たしてきたのは周知の通りである。特に韓国の場合、19世紀後半から20世紀初頭にかけて日本の植民地統治下におかれたため、本来なら国公立学校の設立に向かうエネルギーが、すべて私学設立に向けられた歴史的経緯がある。この意味では、韓国の近代私学は歴史的に「公的」な使命をおびて出発したといえるのである。このような伝統は現在でも生きており、現代(蔚山大学)、浦項製鉄(浦項工科大)、大韓航空(仁荷大学)等、韓国を代表する大企業の多くは大学を経営している。また一代で財を成した中小企業主も大学をもちたがる。事実、専門大学の設立者はそうした中小企業主が多い。最近では病院経営者が、資金力にものをいわせて医学部設置を条件に大学を買収するケースも増えている。このように私学(特に大学)設立へのエネルギーが韓国社会には常にマグマのように存在し、それが社会的に一定の評価を得ているのである。したがって過去20年近くの国会議員選挙や地方知事選挙の公約には、必ずといってよいほど「大学誘致」を掲げ、かなりの部分は実現されてきたのである。
これだけ多くの大学が設立されてきたにもかかわらず、このところの規制緩和政策により、1996年から「準則主義」に基づき大学設立が自由化されたため、過去4年間に28校もの私立大学が新設されたのである。それらのなかには、設立早々に資金繰りがつかず、また学生募集の見込みが立たなくなった大学も少なくない。それでも大学設立熱が一向に衰えないのは、韓国ならではの現象と言えようか。いずれにしても、大学進学率68%という巨大な教育エネルギーの大半を吸収しているのは、「私学教育帝国」の中核をなす私立大学であり、「ユニバーサル・アクセス」時代の高等教育の牽引車となっているのである。
(本稿は、ソウル滞在中の馬越氏に現地から寄稿していただいたものです)