アルカディア学報
私立大学のファンディングシステム―第20回公開研究会の議論から
国立大学の法人化や専門職大学院の発足、21世紀COEやGPをはじめとする競争的資源配分の強化、さらには認証評価制度など、大学に対して矢継ぎ早の改革が進められている。大学の側でも、設置認可の簡素化を踏まえて、学部・学科再編をはじめとする内部改革に急である。「大学全入時代」が従来の推計よりも2年早く2007年に到来するとの試算がこの動きに拍車をかけている。浮き足立っていると言ってもよい。我が国の高等教育はどこに向かうのか、次々に打ち出される「改革」は全体として何を目指しているのか。政府や大学関係者でなくても、高等教育のグランドデザインを描きたい、明確に知りたいと考えるところである。
かねてグランドデザインについて審議を重ねてきた中央教育審議会大学分科会は、去る9月6日に「我が国の高等教育の将来像(審議の概要)」を発表した。これをもとに、来年1月頃までには、グランドデザインとロードマップ(中期的な施策の方向性)をまとめるという。「審議の概要」は、これからの社会が知識基盤社会であるという認識のもとに高等教育のあるべき姿を描こうとしている。しかし、将来のあるべき姿を描いて、現場の大学人だけに努力を強いるのではなく、将来社会を支えるためには、大学にどれだけの資源を投入しなければならないかを議論し、資源調達の道筋を示すことが必要である。このことの重要性は、90年代以降、大学改革に真摯に取り組む大学人が多忙化し、教育・研究の時間を奪われ、改革疲れに陥っていることからも明らかであろう。
私学高等教育研究所第20回公開研究会は、このような問題意識から「高等教育の将来像とファンディングシステム」をテーマに去る11月22日に開催された。講師は、丸山文裕国立大学財務・経営センター教授(同研究所研究員)と矢野眞和東京大学教授(同研究所客員研究員)であった。ここでは「ファンディングと私立大学」と題した丸山教授の講演内容を紹介しておきたい。
丸山教授は、中教審「審議の概要」からは、①多元的できめ細かなファンディングシステムへの移行、②機関補助から個人補助への移行、③基盤的経費補助から競争的資金配分への移行、という変化を読み取ることができることをまず指摘した。この中で見落とされている点を議論しようというのが丸山教授の趣旨である。見落とされている点の第1は、我が国は、高等教育へ投入される政府資金が少ないだけでなく、民間からの資金も他の先進諸国と比較すると多くはないということである。これは我が国において私的ファンディング装置が未発達であることを示している。第2に、公的ファンディングについては、たとえば公的奨学金(個人補助)が国立大学と私立大学の間で平等に配分されるだけで平等といえるのかという点が問題になる。国立大学には既に手厚い運営費交付金(機関補助)が与えられているからである。第3に、私的ファンディングと公的ファンディングの接点とも言うべき教育費負担(授業料の構造)の問題がある。この第3の点は、研究会でも議論を呼んだ問題でもあるので、少し立ち入って考えてみたい。
米国の教育経済学者R・G・イーレンバーグの枠組にもとづき、丸山教授が2001年度私立大学(医歯系大学を除く)学生一人当り教育経費(減価償却額を除く消費支出)を算出したところ、97.1万円であった。これに対して大学は、学生一人当り12.1万円の機関助成を受けているにも関わらず、学生一人当り108.7万円の授業料(入学金・施設設備費等を含む)を徴収している。すなわち私立大学は、学生と政府からの収入120.8万円に対して、学生に97.1万円分の教育しか施していないと丸山教授は言う。この落差を埋めるには、大学は、①徴収・助成された金額に見合う教育を施すか、②授業料を下げるか、③奨学金を用意するかしなければならない。あるいは政府が、④私学助成を現状の3倍程度に増やすか、⑤プロジェクト資金を配分するか、⑥奨学金を用意するかしなければならない。丸山教授は、③と⑤にまたがるものとして、奨学COEという、経済的に恵まれない層の学生を積極的に集めて教育している大学を政府が重点的に支援する資金配分方式の可能性も指摘した。
あえて私見を述べると、丸山教授が示した授業料の構造についての算出結果は誤解を生む恐れがある。公開研究会に参集した私学関係者の間では誤解されないと思うが、大学が設定する学生納付金が約109万円、学生一人当たり教育経費が約九七万円という数字が一人歩きすれば、学生一人につき11万円強、機関助成を含めると23万円強を大学がごまかしているか無駄にしているという印象を人々に与えてしまう。
講演後の質疑応答でも、学生一人当り経費の範囲をどう考えるかということが議論されたが、私は、その際に議論された減価償却費だけでなく、基本金組入額も含めて考える方がよいと思う。基本金組入は、一部で誤解されているような、学校法人による内部留保でも、黒字隠しでもない。基本金組入は、現在および将来の私立大学の教育に使用される資産を形成するもので、資金収支計算書における施設設備関係支出にほぼ相当する。減価償却費は、資産を維持・更新するためのものであって、その重要性は、この概念がなかった従来の国立大学において施設・設備の老朽化が著しかったことからも理解できるだろう。私立大学は、これらを何とか調達してきたからこそ、政府による助成や民間からの寄付が十分には期待できないにもかかわらず、教育に必要な施設・設備を整え、維持することができたのである。
私立大学の学生納付金の中に授業料や入学金に加えて施設設備費があるのは、徴収過多であると言われることがある。しかし、これまでの集計データによれば、学生から徴収した施設設備費の総額に、額は多くないものの寄付金を加えると、毎年の私立大学の基本金組入額にほぼ一致する。私立大学は限られた範囲内で、たゆむことなく施設・設備を整えてきたのである。消費的支出を賄うだけの収益を生む強固な運用可能資産を築くことが望ましいとしばしば指摘されるが、多くの私立大学には従来それだけの余裕はなかった。これまでの私立大学は、受験料・授業料・入学金と補助金で消費的支出を、施設設備費と僅かの寄付金で基本金を、それぞれどうにか賄ってきたのである。
丸山教授が用いたものと同じ『今日の私学財政』から、基本金組入額や減価償却額を含めた2001年度私立大学(医歯系大学を除く)学生一人当り教育費を算出すると、129万円となる。これが「学生一人当り教育費用の全体」に相当すると私は考える。教育研究経費から研究費を除く必要はあるだろうが、私立大学の研究費は国立大学に比べると僅かである。教育に必要な資本的支出を含めると学生一人当り年間130万円近くを要することを広く理解してもらった上で、ファンディングを議論する必要がある。もちろん、無駄な支出や過剰投資は省かなければならないし、基本金組入は計画的に実行しなければならない。必要とされる経費の全てを学生(家計)に負担させるわけにもいかない。外部効果を考慮すれば、補助金や寄付金を求めることは正当である。学校と地域の連合という矢野教授の指摘を踏まえると、私立大学が地域の住民・企業から何らかの資源提供を受けるシステムを工夫することも望まれる。それによって充実した施設・設備を活用して、私立大学は地域に貢献する。地域の住民・企業が私立大学の施設・設備を直接に利用することも、大いになされてよい。
いささかテクニカルな事項について述べたが、このようなことを具体的に議論し、実証研究を積み重ねることこそ、高等教育の将来を考える上で不可欠である。なお、民主教育協会の機関誌『IDE』2004年11・12月号が「大学ファンディングの新システム」を特集している。さらに、同誌2003年11月号には、今回の研究会の講演内容と関連の深い両教授の論考が掲載されている。併せて参考にされたい。