アルカディア学報
IT化の3つの次元―大学のIT化は進んでいるのか?
「eラーニング」という言葉は、大学関係者の間ではすっかり日常用語になってしまったようだ。18歳人口の減少や国立大学法人化で、大学が本気で経営を考えなくてはならなくなった今、ときにはこのeラーニングやITが生き残りの道具になるかのように思われているフシすらある。それはとりもなおさず、実態が把握されないまま、言葉だけ独り歩きしている証左ではないだろか。
その手がかりとしてわが国の大学はどこまでIT化を進めているのか、その実態を鳥瞰しよう。ITを大学教育へ利用するという意味でIT化の諸相を考えると、大きく3つの次元に分けることができる。第1は、大学教育を支える諸活動にITを用いるものである。第2は、授業の一部にITを利用するものであり、第3は、授業そのものをITで配信するものである。
第1から第3の次元へは半径を小さくしつつ同心円状に重なっており、円が小さくなるにつれて、利用対象や範囲は限定され、しかも、利用可能にする技術は高度化し、さらに、円が小さくなるほど利用開始時期は遅くなるという関係がある。
もう少し、具体的に述べよう。電子メールで事務連絡をしたり、メールを授業のレポート提出や質問に利用したりすることなどは第一の次元である。授業のシラバスや予定をウェブに掲載するというのも該当するだろう。第2は、授業で利用した教材を電子化してウェブに掲載してダウンロードを可能にしたり、研究会の議論をIT上で実施したりなど、教授・学習過程における利用を指していう。第三は、授業そのものをITで配信するものであり、究極の形態がそうした授業が単位認定されている場合だろう。このうちeラーニングは、第二の「教育のIT化」をいう場合も、第三の「授業のIT化」をいう場合もあって一義的には決まっていない。
この3つの次元に基づき、わが国大学におけるIT利用はどのように推移してきたかをみることにするが、依拠するデータは筆者が従事してきた「マルチメディア利用実態調査」である。全高等教育機関を対象とし、1999年よりほぼ同じ質問を用いて毎年実施しているこのアンケート調査は、すでに5年間の変化を論じられるまでの蓄積となった。概要や毎年の比較はウェブにも掲載しており (http://www.nime.ac.jp/~mana/project/Multimedia-Utilization/report_index.html)、興味を持たれた方はそれにも目を通していただきたい。
まず、インターネットといえば電子メールとブラウザであるが、その第一の次元での利用の変化を1999年と2003年の5年間の比較でみると、「電子メールによる事務連絡」を行っている大学は65%から93%まで、「シラバスなどのウェブ掲載」も32%から62%まで大きく伸びている。電話やファックスよりもメールで、必要な情報は紙媒体だけでなくウェブへ掲載という行動パタンが、ここ5年間だけとっても急速に一般化し定着してきていることは、われわれの日常を見回しても納得できるだろう。それ以外にも、電子メールを利用した授業のレポート提出や、授業への質問に利用する大学も大きく増加している。
こうしたIT化を示す興味深いもう一つのデータを紹介しよう。少し前は、プレゼンテーションに多く利用されていたOHPは徐々に減少し、代わって増加しているのはパワーポイントなどを利用したパソコンによるプレゼンテーションであり、2002年度からはOHPを凌駕するに至っている。他に利用が減少しているものに、録画ビデオやオーディオ・カセットがあり、IT化はオールド・メディアと代替する形態で進んでいることがわかる。
さらにいえば、これらのIT化は、1999年には利用率が低かったセクター、たとえば、私立大学や文系学部の伸びによってもたらされているのである。IT化をリードしていた国立や理系学部の伸びを上回る私立大学や文系学部の伸びという5年間の傾向は、技術利用一般に妥当なことなのか、インターネットの特性によるものなのか、十分に比較検討するデータを持ち合わせてはいないが、後者によるところは否定できないと思われる。
というのは、第2の次元として検討する「教育のIT化」では、インターネットの利用の上昇に対して、衛星通信や地上系通信の利用が減少傾向を示しており、かつ、インターネットの利用は、設置者や学部の専門領域に関わらずどのセクターでも増加しているのに対し、衛星通信や地上系通信の利用を減少させているのは、私立大学や文系学部だからである。
この点、もう少し補足しよう。技術を教育へ利用するのは、結果としての効率と効果を求めてのことだが、その前提としてコストとスキルの問題があることを忘れてはならない。大掛かりな装置とそれを動かすためのスキルをもった人間が必要な衛星通信や地上系通信と比較して、誰でもが比較的容易に利用できるインターネットの簡便性やオールド・メディアの機能をデジタル化して利用できるITの効率性といった技術的特性が、オールド・メディアからITへ、衛星通信や地上系通信からインターネットへという転換を促進し、それは、それまで各種の技術の利用度が低かったセクターをも巻き込んで進展しているのである。
ところが、第3の次元である「授業のIT化」をみると、ほとんど伸びがみられない。大学設置基準上は2001年より124単位という卒業要件のうち60単位まで「遠隔授業」というカテゴリーで、非同期双方向のインターネットによる授業を単位認定することを可能にしたが、単位認定した授業をもっている大学は、2003年で4%、2001年の2%からほとんど増加していない。単位認定していなくても何らかの授業をインターネットで配信している大学は17%、2001年から5ポイントしか増加していない。授業配信についての出足の遅さは、これらの形態の授業に関する計画をもっていない機関が減少していないことからも確認できる。すなわち、当初計画を持っていた大学のうちごくわずかが実施に移しただけであって、新たに関心をもち計画を立てようとする大学は増加していないのである。
第1の次元でみたIT利用の急速な伸び、第2の次元におけるインターネットへのシフトでみたわが国の大学の着実なIT化と、第3の次元でみたITによる授業の配信が進まないこととのギャップは大きい。
このギャップは何に起因するのだろう。その1つとして、インターネットで配信される授業を対面授業と比較した場合、「対面式の授業との組み合わせが必要」、「授業以外の学習支援が必要」など教授学習過程に手厚い支援が必要だとする意見、「教材の制作が容易ではない」といった課題を指摘する意見、そして、つまるところ、「学生の学習の継続が困難」というより直截な問題点が指摘されている。授業のIT化から効率や効果を得るためには、これらの点を克服してはじめて可能になるのだが、それにかかるコストやスキル(たとえば、教材製作など)は、結果に見合うものとはなっていないのである。eラーニングに取り組むためには、周到な計画や準備が必要なのである。
ただ、逆説的ではあるが、こうした意見が指摘されることに日本のeラーニングの特殊性をみるようである。というのは、日本のeラーニングは教室で対面授業に出席可能な学生を対象としているからこそ、前述のような意見がでるのだが、アメリカを中心とする英語圏のeラーニングの主たる対象は、キャンパスへフルタイムで通えない学生を念頭においているのである。常に対面授業との比較でしか捉えていない日本と、対面授業とは別種のものと考えているアメリカ。第3の次元とそれ以外とのギャップの理由の1つはこんなところにもあるのかもしれない。