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アルカディア学報

No.166

ブラウン裁判から50年―アメリカ高等教育と多様性 (下)

私学高等教育研究所研究員 森 利枝((独)大学評価・学位授与機構助教授)

 ここにひとつのエピソードがある。アメリカのある大学の「女性学入門」の授業で、女性の教員が「アメリカの伝統的な家庭は、機能不全に陥った家庭の特徴を示している」ということを断言した。それに対して自分の家庭は機能していると反論する学生が出たが、かれらはその教員が雇ったティーチング・アシスタントによって発言を封じられた。
 この教員が別の機会に、国内の統計によれば結婚した男女のカップルよりもレズビアンの女性のほうが子育てに成功している、ということを述べた。その授業が終わったあとである男子学生がその統計の出典がどのようなものか質問したところ、教員は彼に対して「異議を唱えるつもりですか、出て行きなさい、放っておいてください」と答えるのみでデータの出拠は示されなかった。その男子学生はデータに関する質問をしただけで、異議を唱えるつもりはなかったと後に語っている。しかし、彼はその教員に近しい学生のグループからも、封建的男性優位主義者と罵られるに至って引っ込まざるを得なかった。そしてこの出来事があった翌日、彼が同じ授業に出ようとすると、教員は2人の守衛を連れてきており、彼は待ち構えていた守衛によって教室から連れ出されてしまったのである。男子学生はこの件について事務所に抗議を行ったが、しばらくの間いかなる措置もとられなかった。数週間後、彼は授業に復帰することを認められたが、結局、副学部長の進言を受けいれてその授業を自発的に落とすことにしたという。
 このエピソードは、ワシントン州のワシントン大学シアトル校で1987―88年度の冬学期に起きたこととして、1988年4月にニューヨーク・タイムズ紙によって報道され、その後大学における人種と性差の問題を扱った書物であるディネシュ・デ・ソウザの「イリベラル・エデュケーション」に収録されている。1991年に発行された本書は、「リベラル・エデュケーション」をもじったタイトルの新奇さもさることながら、高等教育におけるマイノリティ問題を広汎に渉猟した「勇気ある」(ワシントン・ポスト紙書評欄)内容が耳目を集め、高等教育界に限らず広く読まれ、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストに掲載されたこともある。
 同書からエピソードをもうひとつ紹介したい。これは1989年度にハーバード大学に在学した女子学生の話である。彼女はヒスパニック系の学生で、名前をマリーといった。しかし学内にあるメキシコ・ラテン系学生の団体であるRAZAのメンバーは、彼女のことを「ヒスパニックらしく」聞こえるようにマリアと呼んでおり、それはとても不愉快だというのが彼女の訴えであった。
 彼女の友人に、やはりヒスパニック系のアレックスという男子学生がいたが、RAZAのメンバーは彼のこともアレヤンドロと呼んでいて、「アレックスはそんな風に呼んでほしくないのに」とマリーは憤慨している。高等教育における大学の多様化に関する1990年の研究の中で、アストンとヌネスは白人以外の(つまり有色人種の)学生について、かれらはひとつのグループとして捉えられがちだが、その中には更にアフリカ系、ヒスパニック系、アジア系、ネイティブアメリカンなどの多様性があり、人種や言語や文化などの背景がそれぞれ異なっているということに注意を喚起している。
 そのうえ、このマリアならぬマリーとアレヤンドロならぬアレックスの例を見ると、同じ民族グループに属していても、多様性の問題に対する態度は、個人のレベルですでに大きく異なっているということにも気づかされる。また冒頭の女性学の授業の例からは、この問題について誰が被害者になり誰が加害者になるのかも実は一定していないということも知れる。この様な状況下で、多様化を目指した大学運営を行うのは容易ではないだろう。アメリカの高等教育関係者が、多様性の問題は重要で複雑で困難で巨大で微妙であると口をそろえるのも頷ける。
 ところで2004年の現在、くだんのハーバード大学にあるRAZAのインターネット上のウェブサイトを見ると、そのページの管理者の名前はアレックス某氏とある。アレヤンドロではない。この団体の態度も、15年前から変化しているらしい。
 そのハーバード大学の、学士課程の学生に占める白人アメリカ人の割合は60%である。ハーバード大学と同じマサチューセッツ州にあるバークリー音楽大学ではこの割合は58%、マサチューセッツ工科大学では45%と半数以上が有色人種か留学生である(統計データはすべてUSニューズ・アンド・ワールドリポート「アメリカズ・ベスト・カレッジズ2004年版」による)。この数字は、マサチューセッツ州内の人口に占める白人の割合(2000年の人口統計で84.5%)と比較すると際立って低い。つまり、これらアメリカを代表するような、強力な個性を持つ大学は、さまざまな背景を持つ学生をひきつけやすく、したがって学生母体の多様性も大きくなるのである。
 それに比して、学生の多様化を実現しにくいのがリベラルアーツ・カレッジである。マサチューセッツ州内の中堅のリベラルアーツ・カレッジの学生に占める白人アメリカ人の割合は、多くの場合80%前後である。
 この、リベラルアーツ・カレッジの多様化の問題について、ミネソタ州マカレスター・カレッジの多文化推進委員会委員長のグードマン博士が、ミッション・ステートメントに関する分析調査を行っている。この調査は2000年に行われたもので、調査の対象となったのは「USニューズ・アンド・ワールド・レポート」の大学ランキング(2000年版)において上位25位までにランクされた延べ二8校である。その分析結果によれば、これら有力リベラルアーツ・カレッジのミッション・ステートメントにおいてもっとも頻繁に言及されているのが「知的達成」(92.9%)、次いで「社会への貢献」(78.6%)、「自覚と人間的成長」(53.6%)であり、ミッション・ステートメントにおいて「多様性に基づく視座の獲得」に言及している大学はちょうど五0.0%の14校であった。グードマン博士は、競争率の高いリベラルアーツ・カレッジは、白人以外の学生を入学させることを緊要な課題と考えてはいるが、実際には、差異を越えた充分な対話が可能になるほど多様化した学生集団を擁している大学はまだ少ない、と指摘している。
 しかも高等教育機関の側にとって、学生の多様性を推進するということは容易な作業ではない。学内で、学生の多様化のための枢要な機能を果たしているのはアドミッション・オフィスであるが、単に成績だけに基づいて選抜を行うよりも人種を考慮した選抜を行うほうが手間も時間もかかる。
 たとえば州立のマサチューセッツ大学は、アファーマティブ・アクションの精神に則って、入学者選抜において人種に基づく傾斜配点制を維持している機関のひとつであるが、同大学のアドミッション・オフィスの責任者によれば、スタッフは残業と週末返上を繰り返して、入学願書を詳細に読んでいるという。同大学ではまた、全学的な予算カットの中にあって、最近アドミッション・オフィスのスタッフの増強を図っている。さらに前回紹介したミシガン大学では、裁判の判決を受けてやはり新たにスタッフを雇い入れ、さらに選抜の手続きを見直すために180万ドルの特別予算が手当てされている。
 さて、本稿を脱稿しようとした6月21日に、フロリダ州裁判所が、アファーマティブ・アクションを廃止したブッシュ知事および州立大学に反対する有色人種団体(ブラウン裁判を提訴した団体でもある)による訴えを却下したというニュースが報道された。ブラウン裁判から50年を経て、アメリカの大学の多様性の問題はアメリカ社会全体が抱える問題と通底して、いまだに大きな争点であることを実感させられる。(おわり)