アルカディア学報
フィリピン・マレーシアの大学戦略
躍進するアジアの私立高等教育機関
経済発展が著しいアジア諸国の首都を旅すると、高層建築が立ち並び、車の氾濫とショッピングモールに溢れる商品の多さと人々の熱気に驚かされる。高等教育関係者でなくともこのような経済発展を支える人材の育成はどのようになされているか、不思議に思うはずである。我が国は、明治時代に国家予算の半分近くを教育に当てたからアジアで最初の近代国家に成れたのだ、経済発展のためには教育投資が大前提である、という説を教育経済学者達が主張しているが、アジア諸国では高等教育への信仰、あるいは強い信頼と期待に満ち溢れていることは容易に感じ取ることができる。より高い学歴や専門的な教育訓練が、より高い収入と社会的地位を保証するという考え方が若者達に信じられているのだ。
このような期待に応えるべく各国政府は高等教育の拡大・拡張に努力し、1970年代以降、アジア諸国における高等教育は爆発的に量的拡大がなされた。国によって国家予算に占める高等教育予算枠は大きく異なるが、近年の動向は日本、韓国、フィリピンでのように私立の高等教育機関を中心として拡充してきた国々に加え、これまで国公立中心に進められてきた国々、例えば中国、マレーシア、シンガポールにおいても私立高等教育機関が急速に進展し始めている。
この春、フィリピンへはUMAP単位互換システム研修会、マレーシアには私立大学基準認定実施状況視察に出かける機会があったので、両国の私立高等教育機関の動向をお伝えする。
〈フィリピン〉
フィリピンの高等教育機関は、スペイン統治下に設立されたカトリック系のサンカルロス大学やサントマス大学は400年以上の歴史を有しているように、伝統的に私立大学が優勢を占めており、共和国設立以降も小学校は公立が90%だが、中等教育及び高等教育の過半数は私立学校である。また、フィリピン女性の社会的地位や教育水準の高さも東南アジア随一の高さを誇っている。しかし、そのような教育の普及率の高さに較べ、経済的な発展は国民一人当たりのGDP比で日本の30分の1、飛躍が著しいタイの半分の1000ドルに過ぎない。産業振興と人材育成のための高等教育機関の整備は、1950年に国公私立大学の基準認可機関としてPACU(フィリピン大学基準協会)を立ち上げ、さらに1994年には当時のラモス大統領が高等教育機関の質向上と国際的な競争力を持った人材育成を狙ってCHED(高等教育委員会)を設置し、かつて「アジアの病人」と言われたフィリピン経済の回復を目指した。
最近開発され注目されている人材育成分野に「ケアギバー」と呼ばれる介護士の海外派遣プログラムがある。これまでその多くが専門学校レベルでなされてきたが、大学レベルでも積極的に展開する動きが見られ、これまで医師や看護士を数多く海外に派遣してきた実績もあり、またIMF/Gatsが推進するサービス産業の自由化政策にも対応する形で、各国政府との協力体制も進められている。
フィリピンはメキシコ、インドに次いで、年間800万人以上を海外に労働者を送り出す世界第3位の海外出稼ぎ労働者派遣大国で、彼等の本国への送金額はGDPの10%を占めるほどである。派遣労働者の60%は女性であり、彼等の多くはこれまで家事労働や子供の世話といった単純労働に集中していたが、世界的にその需要が見込まれる専門的な介護士を養成し海外に派遣するプログラムが増設されている。
事例としては、カナダ政府との協力により、必要とされる介護カリキュラム内容はもとより、現地での生活習慣や料理実習を含む訓練をフィリピン国内で行った後に送り出すプログラムで、カナダ政府は彼等が2年以上働いた場合には優先的にカナダへの移民受けいれを認めるというインセンティブを与え、単なる派遣労働者プログラムとは異なった方式を採用している。フィリピンの大学や専門学校だけでカナダに本部がある企業や教育機関もフィリピン各地に訓練教育施設を開設し、医療・老人・福祉介護人材養成の国境を超えた取り組みが展開されている。
世界で最も早く老人大国になると予測されている我が国では、このような介護士の受け入れや看護士の受け入れを認めてはいないが、近年急増した看護福祉系大学の卒業生の就職環境が改善されなければ、専門的な知識や技術を生かせるうえに、生活の保障と将来の身分安定も確保されるならば海外に就職先を求めるという結果になるのではないだろうか。ヨーロッパ諸国も同様のプログラムをアフリカやアジアの国々で展開しており、派遣国での介護や医療の水準が下がって先進諸国だけが得をするのではないかとの批判があるが、国境を超えた高等教育の姿を垣間見る思いだった。
〈マレーシア〉
フィリピンとは対照的に国内での工業化に成功を収めつつあるマレーシアでの事例を次に見てみよう。マレーシアでは90年代後半から私立大学設立に向けて様々な法改正が進められ、私立大学の新設及び専門学校レベルの機関を大学へと格上げする事例が拡大している。また、海外大学の分校や提携による協同プログラムも大学として認可運営されている。その背景には当時のマハティール首相が強力に推し進めた産業振興政策と人材育成政策があり、フィリピンとは異なり工業化政策が急速に成功を収めつつある。
特に世界最先端の情報通信産業を誘致し、アメリカのシリコンバレーに倣って、首都クアランプール郊外にアジアにおけるマルチメディアの一大拠点を建設するという「マレーシア・スーパーコリドー計画」に基づき、電脳都市サイバージャーヤとその隣に新首都プトラジャーヤも建設するという壮大な計画が進行中である。
人材育成に関しては、これまでの国立大学中心主義・マレー語及びマレー人優先主義を変更し、大学における英語による授業の強化及び産業界との密接な協力による人材育成機関の拡充が図られている。1996年以降、教育法、私立高等教育機関法、国家高等教育評議会法、大学改正法を続けて設置、私立大学の設置に向けて動き出した。同時に大学教育の質の保証と国際的な連携をスムーズに行うために、97年には国家大学認定協議会法が発効し、国立の高等教育認証組織(LAN)を立ち上げ、これにより新設される私立大学はもとより、全ての大学における学位・プログラムの質的保証と基準認定の道筋を完成させたのである。
このような政策の見本例として、マレーシア政府直轄の電信電話公社、石油公社、電力公社がそれぞれ1996年以降に新設したマルチメディア大学、ペテロナス工科大学、テナガ・ナショナル大学があり、さらに政府の規制緩和を受けて外国の大学も国内で学位授与を認定された分校として活動している。
この結果、大学生総数ではいまだに国立大学生が私立大学生の3倍近くを占めているが、私立のカレッジと呼ばれる高等教育機関で学ぶ学生数を加えれば、高等教育機関生38万人の6割が私立の学生となり、急速な私学化と共に高等教育のマス化からユニバーサル化へと移行しつつある状況である。
これらの動きを日本の過去の状況と較べて見ると、マレーシアでの大学設置形態に大きな特色がある。それは私立高等教育機関が多様な設置者集団によって設立されており、必ずしも日本のように非営利の学校法人ではないことだ。営利を目的とする教育機関は個人、民間企業、先に見た公営企業や政府法人によって設立されているし、非営利の教育機関としては地域社会の要請により財団や慈善団体からの出資によって設立されたものもある。
さらに提供しているプログラムと方法の多様性で、公社立の大学では、従来公社内で行われていた企業内訓練プログラムを継続提供しているし、大学の外にいる人々への遠隔教育や通信・出前教育、外国の大学との協同学位プログラムなど多種多彩にわたり、日本でようやく始まっている多様な活動がマレーシアではごく当たり前のこととして行われているのには目を見張るものがあった。
私立大学が急速に拡大する背景の一つに、これまでマレーシア政府が行なってきたブミプトラ政策の行き詰まりがあるようだ。それはマレー系と非マレー系住民との経済格差を解消するために取られたマレー系住民優遇処置で、これによって中華系マレー人は大学進学に制限を受けていた。中華系マレー人コミュニティの強い要請と資金援助で設立され、初代首相の名前を冠した私立大学がトゥンク・アブデゥール・ラーマン大学(UTAR)である。UTARの前身は私立のカレッジで、全国各地に6キャンパスを持ち、これまでも人種政策に対抗して実力主義による入学政策を導入して国民の幅広い支持を取り付けており、総学生数3万3000人が学ぶマンモス教育機関として活動していたが、2004年から正式な私立大学として再スタートする運びとなった。
我が国の経済規模に較べれば、はるかに及ばないフィリピンとマレーシアでの事例を見ると、アジアの大学は取り囲む社会の変化にすばやく対応し、必要とされる人材育成のために積極的な変革を成し遂げていることが覗える。我が国に欠けている「良いことは、ともかく、まずやってみよう」という挑戦的で、かつ真摯な姿勢を読み取ることができた。しかも、それらを推進しているのが私立の機関であることに日本の私立大学に籍を置くものとして大いなる刺激を受けた。