アルカディア学報
国立大学は「私学化」するか―国立大学がこだわった2つの論点
法人化に際して国立大学側がかなりこだわった点が二つある。法人化しても、「設置者は国とする」ことと、「教学と経営の不分離」である。この2点は国立大学の伝統と体質に深く関わっていると同時に、国立大学改革の焦点となっている論点にも関係するだけに、これらの論点をめぐる議論を辿ることは過去の経緯への興味だけでなく、法人化の狙いが今後どのように実質化していくかを占う上においても重要な示唆を与えるものと思う。
政府の行政改革会議等において、国立大学の民営化あるいは独立行政法人化が論議されるようになると、国立大学協会では、これに強く反対する態度表明を行ってきたが、平成11年4月には、定員削減問題との絡みもあって、独立行政法人化の方向で検討することが閣議決定されることとなった。国立大学協会では、法人化の方向は避け得ないとしても、独立行政法人の通則法は適用せず、大学に相応しい個別法によるべきだとするとともに、国立大学法人の具体的なあり方について、総会や関係委員会の活動を通じて意見表明を続けてきた。その中で特に注目したいのが上記2つの論点の成り行きである。
1、設置者は国とする
周知のことながら、学校教育法第五条では「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、(略)その学校の経費を負担する」としている。つまり国立大学は、国が必要な経費を負担することを国の法律上の義務として保障されていたわけである。構造改革推進論者からすれば、これこそ護送船団方式であり、国立大学の自己改革力を弱めた元凶であるから、すべからく民営化し自己責任の体制にすべきだと言う議論になる。これに対し国立大学協会では、高等教育の水準維持は国の責任であり、国立という形態は不可欠であるとし、法人化した場合でも設置者は国とすることを求めてきた。自主性・自立性という響きのよい法人化の趣旨には賛同できても、国による経費の保障という法的地位を失うわけにはいかない。やはり国立大学は、自己責任よりは護送船団を求めていたのである。
この点については、国立大学法人のあり方を審議した文部科学省の調査検討会議でも認められて、その最終報告では、法人に固有の組織を設けないことを前提にして、「学校教育法上は国を設置者とする」とした。ところがこれで最終決着にはならず、この最終報告をもととした立法化の段階でこの点は結局覆ることとなった。
昨年7月に成立した国立大学法人法では、法人の目的は「国立大学を設置すること」としており、設置者は国ではなくなった。設置者とは、土地、建物等を所有して学校を直接運営するものを指すのであって、法令上は法人を設置者とせざるを得ないという技術的な理由からこうなったようである。文部科学省の説明では、法人化後も必要な財源措置を行い、国を設置者とするとした調査検討会議の報告の趣旨は実現されているとしている。しかし、法人化後の財源措置の根拠になっているのは、国立大学法人法で準用される独立行政法人通則法第46条であるが、この規定は「政府は、予算の範囲内において(略)その業務の財源に当てるために必要な金額の全部または一部に相当する金額を交付することができる」としているのであって、国の負担義務とは法的に本質的な違いがある。
2、教学と経営の不分離
第2の論点は、国立大学の伝統と体質そのものに関わる。教学と経営の不分離とは、言葉を変えれば、大学の管理運営の全てについて教授会、評議会の意思が優先すべきだという思想である。これは学問の自由、大学の自治の理念から導かれる考えであって、高等教育機関の一部であり、学術の中心であるとされた旧制度の大学についてはそれなりの意味を持っていた。しかし戦後は旧制度の各種の高等教育機関が一律に大学として再編成された際に、職業的な性格の強い専門学校等も含めて全ての高等教育機関が、大学と言う名とともに旧制度の大学を見習ってその運営方式を取り入れてしまった。このことは、その後の高等教育の大衆化に伴う多様化の要請に大学が対応できないという問題を残すことになった。このため国立大学批判の多くは教授会中心の運営方式に向けられており、構造改革の基本方針を定めた平成十三年の閣議決定(骨太の方針)でも、国立大学は法人化するとともに、「民営化を含め、民間的発想の経営手法を導入し…」とされたのである。
国立大学協会では早い時期から教学と経営の不分離を打ち出しており(平成11年第一常置委員会中間報告等)、基本的には現在の運営体制の維持を主張していた。また教学と経営の不分離は、同時に法人と設置大学の運営組織の一体という主張、更に一法人一大学と言う意見につながることとなった。
前記調査検討会議の最終報告では、法人独自の運営組織は設けない、一法人一大学とするとしており、この点では国立大学協会の意向が取り入れられたかたちだが、教学と経営については、学長と役員会のもとに教学面の審議機関と経営面の審議機関を並列に置くという分離方式をとった。国立大学協会の現状維持の意向は退けられたわけだが、国立大学改革に対する各界の期待からして避け得ないことであったろう。
3、国立大学改革の成否は?
今の構造改革の流れの中で国立大学に求められていたのは、自主性・自立性を高めるとともに自己責任を明確にすることと、教授会中心主義を排してトップマネジメントを強化するとともに、民間的発想の経営方式を確立することであり、これを可能にするようなシステムを導入することが改革の目標であった。これはいわば国立大学の私学化である。こうして国立大学は法人化されたが、これでこの改革目標は達成されたといえるだろうか。実態の推移は未知数であるが、制度としては疑問点が多い。
まず、護送船団は自己責任へと変化したか。確かに設置者としての国の経費負担義務は無くなったが、政府は従来の実績を踏まえて必要な額を確保すると度々明言しているし、法人化初年度の平成16年度では、新しい運営交付金によって15年度と実質同水準以上が確保されたと聞いている。予算執行上の自主性は拡大されても、財政的な存立基盤が自己努力にかかっているということはなく、私学と同じ意味での自己責任の意識が育つ基盤は存在しない。
民間的経営方式はどうなるだろうか。私学の場合、学校法人は設置大学と組織として分離して経営を担当し、その理事会は設置者として大学の教学組織の上位にある。一方、国立大学法人の経営協議会は大学の中で教育研究評議会と横に並んでいる。教授会中心の伝統が支配的な一つの組織の中で、経営協議会がどこまで力を発揮できるか不安である。本来、大学の経営とは、教育研究は勿論、財務・雇用等も含め、大学全体をトータルに視野に置き、その最適な運営を図るものであり、財務的な問題に限定されるものではない。教学が分野ごとに分散的になりやすいのに対し、経営は全体の立場に立つものとして教学の上位に位置づけるのが当然である。
すでに発足した国立大学法人制度には疑問点も多い。しかし国立大学の意識はずいぶん変わってきた。この意識改革が定着し、新しい制度をうまく活用して行けるかどうか、改革の成否はそこにかかっているということであろう。