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アルカディア学報

No.151

特別連載 高等教育改革―国大と私大との関係をめぐって―4―

私学高等教育研究所主幹 喜多村 和之

 また、第三者評価を資源配分に利用するか否かについて、文部科学大臣は「しない」という明確な言質を与えているわけでもない。前述のように、この法案で私立学校法の第五条の削除が同時に提案されたのは、それまでの私学に対する所轄庁の権限を限定列挙した項目は、「法律による以外はこれ以外の監督権限を付することができないもの」とされていたものである。すなわち、私学に対する新たな権限である是正措置や罰則を定めるためには、政府は法改正を不可欠としていたのである。
 このようにして日本の高等教育の将来に極めて重大な影響を及ぼすであろう法律は成立した。しかし当事者たる大学関係者からは一部を除いて明確な反対運動も展開されなかった。私見によれば、この一連の法改正は当時のマスメディアや大学関係者が切実な関心を示した「21世紀COEプログラム」の採否の問題や私大助成費の増額や国立大学法人法の成立などよりもはるかに基本的で影響力のある重要問題である。つまり全体としては、この学校教育法の改正は実質的には国民も大学も学生もマスメディアの意見表明が、ほとんど不在の真空地帯の中で成立したのである。そして日本の大学の多くは、すでに自分たちが法の名のもとに縛られていて、それ以外の合法的な選択が許されていないことを、やがて発見することになるだろう。

《私学政策時代の到来》
 学校教育法改正と国立大学法人法の成立によって、文科省は小泉内閣の「構造改革」路線への協力姿勢を示し、産業界の大学活性化要求に部分的に応じながら、大学の「大胆な再編統合」によって、国立大学批判の世論の反発をかわそうとしているのではないだろうか。と、同時に国立大学の「縮小」の断行は、護送船団政策の放棄であり、ましてや経営破綻に陥る私大を救う意図はないとの文科省の従来の路線を再確認するという、私学に対するメッセージとも読める。
 国立大学の法人化論の問題点は、日本の私学を含めた高等教育システムの中でどう位置付けられるのかという全体構想が不在のままに、国立大学だけを視野に入れた制度設計上のテクニカルな議論ばかりで展開されてきたことではないだろうか。つまり、複数の要素ないし部分が不可欠な機能を持つものとして、相互に関連して全体を成すという教育システムという発想からみれば、日本の高等教育政策は、中枢神経の回路が不明のままに手足や内臓を手術する医療行為になぞらえられる。こうした議論を深めるためには、日本の高等教育システム全体の一貫した構造が必要になる。だからこそ、現在の中教審の重要な課題は、「グランドデザイン」の構築とされているのであろう。
 国立大学の法人化は、高等教育の全体的視野から議論されるべきであり、日本の高等教育の圧倒的規模を占めている私大をどうとらえるのかも明確にならなければ、国公私立を含めた高等教育のグランドデザインなるものは描きようがない。つまり私大とは何か、ひるがえって公と私とはいかなる関係にあるのか、国公立の設置形態の違いの意味とは何かという、古くて新しい基本的な問いに対する議論をどうしても先送りできなくなったということになるだろう。
 国立大学の法人化が持つ今一つの重要な意味は、これがやがて私学の設置形態の見直しの可能性にまで波及するのではないかということである。法人化によって、国は国立大学法人に対して従来とは異なる関係に立つことになるとすれば、私大に対してはどのような関係に立つことになるのだろうか。また、国立大学法人は、学校法人によって運営される私立学校とは設置形態が異なる。つまり、国立大学は大学自身が国という設置者から独立した固有の法人格を持つことになるとすれば、私立大学自体は設置者である学校法人には法人格があるが、各個別の学校は法人格を持たないことになる。この違いを制度的に整合させる必要があるのか、あるとすればどのように制度化されるべきなのかという問題も、今後出ないとも限らない。果たして現在、私立学校法や学校法人の再検討が立法的課題にされている。
 また法人化された大学に対する国の行政的・財政的スタンスにも何らかの違いが出てくるであろう。例えば、国が国立大学に対する国の財政措置を運営費交付金という形で行うのであれば、学校法人に対して国はどのような関係に立つことになるのだろうか。従来と変わらず既存の経常費助成方式を維持することでよいのか。そうだとすれば国の国立大学に対する財政措置との差異をどう考えるのかという問題も出てくることになろう。そうなると、さらに進んでまず現行の学校法人という制度には問題はないのか、50年以上を経た制度を新たに見直すべきではないのかなどという議論も出てくるだろう。学校法人の制度が日本の私学の振興に大きな役割を果たしてきたことは明らかだが、株式会社の教育界参入などその制度の根幹を揺るがすような問題も生じているのが現状である。
 学校法人制度については、監事が十分機能していないとか、財務情報公開が不十分であるなど、いわゆるガバナンス機能の不十分さが指摘されており、学校法人の内部監査や機能の強化や財務の透明性の確保のための方策について検討するために、大学設置・学校法人審議会学校法人制度改善検討小委員会で検討が始まっている。
 一方、私学経営では学生募集の定員割れが大学で約3割、短大で約5割の学校で起こっているという報道がなされている。事実、大学の閉鎖や学生募集停止は、従来は短大において見られたが、ついに4年制大学にまで現れ出している。まさに私学は政策面から学生募集の面、経営の面に至るまで、四面楚歌の状況を迎えているのである。
 これまで政府は、確固とした私学政策を持っていたというよりも、私学の自由を尊重し、干渉を控えるというタテマエから、財政面で各種の公費援助や助成措置を講ずるという形で、いわば間接的なスタンスで臨んできたように思われる。それは、私大等経常費助成という画一的な助成と、特色や卓越性に基づく私大強化という路線との組み合わせ方式である。しかし財政逼迫と経済不況の長引く現状において、私大の経営危機は待ったなしである。
 国立大学に対しては護送船団方式を放棄し、私学に対しては経営の自己努力や自己責任を強調してきた政府が、私大の経営破綻に際して、銀行のように公費を注いで救済する政策を取るだろうか。学生を集められない大学には私大等経常費補助金をうち切るという形で、すでに政府はその意思がないことを表明してきた。
 しかし問題は学校や教職員の救済はともあれ、学生のセーフティネットをどうするかということである。政府は日本の高等教育の圧倒的多数のシェアを占め、その質の底上げなくしては高等教育の質の保証が不可能である巨大な私大部門をどう考えるのか。競争力をもつと判断した私学は可能な範囲で支援するが、それ以外の私学については社会的淘汰にゆだねる(つまり救済しない)のか、それとも高等教育全体の底上げを目的とした新しい政策を提示するのか。
(つづく)