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アルカディア学報

No.144

クラーク・カー博士を偲んで―高等教育界の「巨人」の偉業に学ぶ

早稲田大学非常勤講師 杉谷 祐美子

 アメリカ高等教育界きっての「巨人」との異名を取るクラーク・カー(Clark Kerr)博士がこのほど亡くなられた。
 元カリフォルニア大学の総長で、かの有名なカリフォルニア高等教育マスタープランの策定、実行にあたられた博士は、カーネギー高等教育審議会の会長としても名高い。高等教育の拡大成長期であった1960年代、総長として、学生活動家たちとわたりあい、さらには、後の大統領となったレーガン州知事と意見衝突し罷免された経験もあわせもつ。華やかかつ激しい半生ではあったろうが、今月1日、最期はご自宅で眠りにつくように静かに92歳の生涯を終えられたとのことである。謹んでご冥福をお祈りしたい。
 専門の産業関係論はいうまでもないが、卓見した大学論を披露されたのは『大学の効用』である。時代の中で移り行く大学像を冷徹にとらえた本書は、日本でも大学の管理運営や自治が問われた大学紛争期に特に注目された。その後も追記を加え、版を重ねていったことからは、本書がすでに40年も前に、現代に通ずる大学の根本的な問題をどれほど扱っていたかがうかがい知れよう。
 カー博士の偉業はとどまるところを知らず、80歳代の高齢にあって、1990年代には高等教育の過去、現在、未来に関する著作を立て続けに刊行されている。つい2年前には、50年代、60年代の体験を綴った、大部の追想録を2冊も出版された。齢90を超えても、明晰な知性を失わず、精力的に発言、執筆活動を続け、頑健さとともにその天才・鬼才ぶりを発揮されてきたわけである。
 では、かかる「巨人」の追悼の辞を、なぜ筆者ごとき浅学な者が今回、書かせていただく機会に恵まれたのか。私事で恐縮だが、10年程前、筆者が早稲田大学大学院に入った当初、博士の著作をゼミで翻訳することになった。私学高等教育研究所の主幹であり、指導教員の喜多村和之教授はカー博士と親交も厚く、ゼミ生全員で94年に刊行された2冊を翻訳することを勧めてくださったのである。
 英文自体は明快だが、深い教養と学識に裏打ちされた文章は、初学者の筆者にとって、専門用語や比喩、米国の時代状況、高等教育制度など、何冊もの辞書や専門書と首っ引きでなければ解釈できないものであった。しかし、その折の経験は今でも大変勉強になっている。一文一文に込められた意味を類推し、誤訳の点検が楽しくさえなったことは、カー博士の著作に学んだおかげと思う。
 そして、もう一つ。博士とのご縁は、この翻訳に関する質問のために喜多村教授に率いられ、ゼミ生数名で米国を訪問したことに由来する。1995年夏のことである。著作や経歴からは、巨大なカリフォルニア大学を統括する質実剛健な印象を想像していたが、実際の博士は80歳代半ばとは思えぬほど背筋の伸びた、静かで穏やかな紳士であった。しかし、眼光の鋭さと漂う威厳には、総長の風格がありありと感じられた。
 驚きとともに大変感激したのは、博士の心遣いとあたたかさである。学生のために、わざわざ玄関の前で出迎えてくださったり、事前に学生の氏名・研究内容・キャリアを知らせてほしいと御連絡をくださったり、多忙で著名な博士がそこまでしてくださるとは思いもよらないことだった。また、拙い英語で質問をするわれわれに対して、必ず「良い質問ですね」と一言添えてくださる心配りがとても印象的であった。2時間余りのインタビューを経て、ファカルティ・クラブで昼食をご馳走になったとき、錚錚たる教授陣を前にしても不思議と居心地よく感じられたのは、博士の笑顔と学生に対する真摯な対応によるものであったと思われる。『大学の効用』において、大学総長の責務として真っ先に「学生には友達で」あることを求めている博士は自ら学生を大切に思い、まさにその通りに実践してこられたのであろう。
 後にも先にも博士にお目に掛かれたのはこのとき限りである。実は昨春に再びゼミでバークレイを訪問した折、お目に掛かる予定であったが、急遽お具合が悪くなったということで残念ながらそれは叶わなかった。しかし、帰国後、博士が喜多村教授に宛てた手紙のなかには、ゼミ生で用意したお見舞い状とお土産にまでお礼の言葉を書き添えてくださっていた。ここにも、お人柄のほどが偲ばれる。
 翻訳までさせていただきながらお恥ずかしい話だが、当時は、博士の著作を理解するだけで精一杯だったように思う。今改めて読み返してみて、まさに現代日本の高等教育にとって意義深い指摘を行う、博士の洞察力の深さに敬服する。
 とりわけ、『大学の効用』では、大学は単一の目的のもとに統合された学徒の共同体たる「ユニバーシティ」ではなく、教育・研究・サービスの多機能をもち、学生、納税者、政府、企業など多様な存在に奉仕する、利害関係を異にした矛盾だらけの寄り合い所帯「マルチバーシティ」に変質したと述べられている。そして、それにふさわしい総長は、様々な役割を担いつつも、自身が体現されたように、多様な利害関係を調整する「調停者」としての役割が最も重要だとする。社会の多様なニーズに対応した大学改革と学長のリーダーシップの発揮が求められる昨今、マルチバーシティ論を再読する意義は少なくない。
 また同書は、政府の資金援助に大学が依存することにより、政府の統制が強まる危険性をも指摘している。21世紀COE、特色ある大学教育支援プログラムなどの競争的資金、大学評価と資源配分の結びつきに翻弄されるままの今の日本の大学のあり方をとらえ返す契機となるだろう。
 2年制のコミュニティカレッジ、4年制大学、威信のある大学院をもつ研究大学の三層に分け、大学進学を万人に保障し、能力さえあれば転学も可能とする公立高等教育システムを構築したマスタープランは諸外国でも注目され、日本でも今日、高等教育のグランドデザインを検討している中央教育審議会で参照されている。また、民間財団の主導によるカーネギー高等教育審議会が膨大な報告書を刊行し、政策形成に影響を与えた功績もカー博士の手腕によるところが大きい。
 高等教育界にとってかけがえのない人物を失ったことの重みを痛感するとともに、せめても残されたわれわれにできることは、博士の偉業を語り、読み継ぎ、そしてそこから学んでいくことではないかと思われる。

 《カー博士高等教育関係邦訳文献》※( )内は原著の出版年
 茅誠司監訳『大学の効用』東京大学出版、1966(1963)
 箕輪成男・鈴木一郎訳『大学経営と社会環境:大学の効用』(原著増補第三版)玉川大学出版部、1994(1983)
 小原芳明ほか訳『アメリカ高等教育の大変貌:1960―1980年』玉川大学出版部、1996(1991)
 喜多村和之監訳『アメリカ高等教育試練の時代:1990―2010年』玉川大学出版部、1998(1994)
 喜多村和之監訳『アメリカ高等教育の歴史と未来:二十一世紀への展望』玉川大学出版部、1998(1994)