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アルカディア学報

No.133

国立大学法人法の読み方―教育研究組織体としての国立大学へ

広島大学高等教育研究開発センター教授 羽田 貴史

 国立大学法人法(2003年7月)の成立で、国立大学は法人格を持つことになった。これは間違いなく日本の大学史の画期的な出来事である。明治初年の学制以来、大学は政府から自立した存在であり、財政資金を得て独立すべきという意見が政府部内において根強くあった。130年目にして課題は果たされたとみることもできよう。
 しかし、この制度が、政府から自立した大学の姿を顕現したかというと、きわめて疑わしい。大学の自己責任を拡大するように見えながら、一方では中期目標・計画に対する文部科学大臣の決定・認可権を明示し、かえって政府の関与を強化しているようにも見え、今後、いずれに決着するか不透明である。この不透明さ・両面性は、法人化の位置づけが政府部内で一元化しておらず、大学の自立性を確保する財源の規模と形態が不明確だからである。この不透明さは法人法にも現れており、統一的な大学像を描くことは難しい。
 たとえば、国立大学の設置者は国であるとするのが昨年3月に出された『新しい「国立大学法人像」について』の基本原則であり、国立大学側はこのことを強く要望していた。
 財政責任が設置者に帰属する原則(学校教育法の設置者負担主義)のもとでは、政府が設置者であるほうが財政関与は明確になる。法律の立案過程で示された国立大学側の意見では、国の財政責任の明確化を最大限重視し、目標・計画に関する政府の権限をその論拠としていた節さえある。しかし、閣議決定した法案は、国立大学法人が国立大学を設置することとし(第2条①)、その思惑は外れた。反面、設置者が法人であることで、管理責任が明確になり(設置者管理主義)、国立大学の自立性は強化されたともいえる。しかし、管理責任を負うのが法人であるなら、なぜ、同法三十条以下で文部科学大臣が中期目標を定め、中期計画の認可を行う事前統制権を持つか不明である。
 関連する政省令や国立大学法人評価委員会など、法人制度の構築はまだ完了していないので、これらの論点を解消する法整備がされていくであろうが、制度設計のアクターが多様で矛盾を含もうとも、解釈と運用は一元的でなければならず、その意味で、国立大学法人法のコンメンタール(注釈)が求められる。
 矛盾の一例を挙げると、この法律で規定する「業務」概念がわからない。第22条は、国立大学法人の業務の範囲を規定し、「1、国立大学を設置し、これを運営すること」、「2、学生に対し、修学、進路選択及び心身の健康等に関する相談その他の援助を行うこと」、「3、当該国立大学法人以外の者から委託を受け、又はこれと共同して行う研究の実施その他の当該国立大学以外の者との連携による教育研究活動を行うこと」など7項目を掲げているが、この中に、国立大学における恒常的な教育研究活動が含まれているとは読めない。第3号にしても、委託研究と当該国立大学以外の組織や個人との連携による教育研究活動を定めているのであり、通常の教育課程に基づく教育活動や、教員が国立大学の財源によって行う基礎的研究活動を業務として規定しているのではない。
 したがって、第30条第1項は、文部科学大臣が国立大学法人に達成すべき業務運営に関する中期目標を定めるとし、第2項で「教育研究の質の向上に関する事項」などの中期目標を定めるとするが、ここにいう教育研究が、文部科学省が提示した「中期目標・中期計画」の項目のように、大学の教育研究活動全体を対象にしているとは、どうしても読めないのである(まさか国立大学の運営が教育研究活動を意味する?)。
 また、「中期目標・計画」に教育上の基本組織として学部・研究所などを記載することになっているのも不思議である。なぜなら、中期目標に関する第30条にも中期計画に関する第31条にもこれらの組織に関する記載を定めておらず、政省令による委任関係もないからである。
 そもそも国立大学法人法は、「国立大学を設置して教育研究を行う国立大学法人の組織及び運営」(第1条)を定める法律であって、教育研究組織としての国立大学の組織を定める法律ではない。同法で定めている業務も、法人の業務であって、教育研究組織である国立大学の活動を直接定めるものではない。私立大学の場合でも、私立学校法は、学校法人についての組織・運営を定めている法律であって、教育研究組織である大学は、学校教育法など関係法令に基づき、各法人が学則によって定め、設置認可を受けることで制度化される。同じように、国立大学法人でも、設置者としての法人と教育研究組織としての国立大学とが分離されている以上、法人法の枠組みが規定するのは、あくまでも法人の運営(経営)についてである。従来、国立学校設置法及び同法施行規則によって、国立大学の設置と学部・研究所・附属施設など教育研究組織と運営(教学)を定めていたが、同法が廃止された以上、当該法人によって定めうるものであり、必要があれば、改めて設置認可作業を行って確定するということになろう。
 つまり、法人の設置作業及び法人による国立大学の設置作業ということになる。法人と国立大学が分離している以上、法人による国立大学の設置作業が手続きとして存在するはずである。その手続きがなく、目標・計画策定が法律の成立以前から先行し、その中で大学の基本組織を定めるやり方は、長期的な視野で運営すべき大学組織を短期的な評価にさらす危険性を孕むことにもなる。学部・研究所という組織は硬直的になりやすい。いったん設置認可されたらよほどのことがない限り変更できない現状も困りものだが、目標と計画に根拠を置くような定め方も良いとは思えない。このように形式的に法文を読むと、現在の中期目標・計画の内容と外れてくるのだが、いったいどのような読み方をすればよいのだろうか。本来は、国会の逐条審議による政府説明が公権解釈のベースとなるが、細かい議論はなされていない。法律学者が出番と喜ぶのか、頭を抱えるのか、どちらであろうか。
 このように考えてくると、法人が設置者となったことの意味が改めて問われているようだ。従来は、「設置権者・監督権者(文部科学省)」―「国立大学」であった国立大学の権限関係が、「監督権者(文部科学省)」―「設置権者(国立大学法人)」―「国立大学」という三層構造となったのであり、新たな構造に対応した行動様式が求められることになる。つまり、国立大学法人は、上向きに政府との関係を考えるだけでなく、設置者として財源確保をはじめ、国立大学の教育研究活動を保障する責任が生じる。経営責任とはそういうものであろう。また、大学内で従来は一体であった大学管理者が法人サイドに移行することで、教育研究組織体としての国立大学というポジションを得る。
 さらに、政府も設置者ではなくなるのだから、従来よりも国立大学に対する距離は遠くなるはずである。試行錯誤はあっても、このような三者の責任関係と分担を明確にすることで、法人制度は実質のあるものとなるのではないだろうか。