アルカディア学報
第三者評価の意義を問う―自己点検報告書作成が“目的”ではない
学校教育法の改正に伴い、わが国の国公私立大学ならびに短大は、来年4月から第三者評価を受けることが法で定められた。日本私立大学協会(以下、私大協という)も独自の評価機関の設立に向けて詰めの作業に入っていると聞く。しかし、私学高等教育研究所の喜多村和之主幹が指摘(4月23日付・5月7日付本欄)しているように、評価機関の組織、システム、評価員等の人材、運営体制、財政措置など実施に向けて解決すべき課題は山積している。あと半年余りに迫っているというのに、このままで果たして"評価元年"を迎えることができるのであろうか。
一方、評価機関に関わる問題とは別に、最も気にかかるのは第三者評価に対する大学側の認識と対応である。「税金で運営されている国立大学が、法律で定められた評価を受けるのは当然だが、独自性の高い私立大学に適用するのは大きなお世話だ」という過激な意見がある。また「評価を受けるとしたら、早く受けた方が得か、しばらく待った方が得か?」という"損得論"や、「どこの評価機関が通り易いか?」といった"駆け込み寺論"まで出ている。第三者評価の理念を置き去りにした議論を聞くにつけ、このままでは、義務化されたものの十分に機能しなかった「自己点検・評価」の二の舞いになりはしないか、と心配するのである。
〈手段と目的の逆転現象〉
本来、自己点検と第三者評価は表裏一体のものである。個々の大学が、教育の質の維持・向上を目標に現状を分析し、将来に向けて力強く前進するための手段として自発的、自律的に行う活動が自己点検であり、その結果の客観性を担保するために行われるのが第三者評価である。つまり、第三者評価が機能するかどうかは、自己点検の完成度にかかっている。
ところが、現在各大学が作成している自己点検報告書は「教育の質を高め、建学の精神を成就させるための"手段"として取り組む」という崇高な理念を離れ、報告書を作成することが"目的"となっているような気がしてならない。多くは、自己点検というよりも現状報告の域を出ておらず、電話帳のように分厚い体裁の割には、内容は薄いと言わざるを得ない。
ところが、文部科学省は「大学の90%以上が実施、70%が外部に公表しており自己点検・評価は定着している」と成果を誇っている。いったい文科省の担当官は、たとえ全体の一部でも大学が作成した自己点検報告書に目を通したのだろうか。突っ返された、という話を聞かないところを見ると文科省自身が、内容よりも作成することを重視する「形式主義」に陥っているとしか思えない。許認可権限をもつ監督官庁が法律や省令で新たな規則を定めれば、該当する業界はその意向に沿って行動する。しかも、内容が問われなければ、とりあえず形式を整えようとするのは世の常である。
わが国の高等教育の質的向上を図る手段として義務化したならば、文科省は自己点検の理念と方法について大学側の理解を深めるための責任があったのではないか。「大学側の責任で...」と突き放した中途半端な義務化が、機能しない事態を招いた要因の一つと思えてならない。いくら良質の食材があっても、基本的なレシピが示されなければ、バラバラの料理となって食材の良さが引き出せないのと同じだ。調理人の責任は、調理法や味付け、盛り付けを工夫することによって質を高めることで問われることになるわけだ。
もっとも、自己点検が機能しなかった責任という観点から言えば、大学側の責任はもっと重い。本来、自己点検は文科省のためや外部の圧力で行われるものではない。自らの大学のために、大学自身の意志で取り組む作業である。しかし、現状は形を取り繕うことが目的となり、意義が生かされない結果となっている。この体質を変えない限り、新たに実施される第三者評価が機能しないであろうし、またわが国の高等教育の質の向上は図れないと言っても過言ではない。
〈第三者評価の意義〉
私大協が設立を計画している評価機関の特徴は、私学の特性に配慮した評価システムを形成することである。同じ規格のリンゴを作ることを目的に評価をするのではなく、色も形も重さも異なる「不揃いのリンゴたち」の個性に焦点を当てようというのである。したがって、私大協の総会等で示されている評価基準案は、一元的、定量的な評価基準ではなく、私立大学の多様性を尊重した定性的な基準となっている。
この評価機関が国の認証を受けるかどうかについては、現在検討されているところであるが、いずれにしても第三者評価の意義は、個々の大学が教育の質を維持・向上させるために勇気を持って挑戦していることを、評価機関の客観的な判断を通して社会に示すことにある。そのための第一歩が、各大学の行う自己点検である。点検の結果について分析し、強みを伸ばし、弱みを改善する方策を明らかにすることである。評価機関の役割は、基本的には大学の発展をサポートすることであるが、社会の信頼を得るためには、時には容赦のない決断を迫られることもあろう。
今、わが国の大学に求められているのは、この自己点検と第三者評価の意義と目的を構成員全体が理解することである。自らの大学を永続的に発展させるために行う格調高い作業であることの確認である。自己点検も第三者評価も7年に一回のイベントではなく、日常的に継続して行う不断の努力にかかっているからである。そのために各大学が取り組むべき緊急の課題は、
①理事長や学長といったトップが、意義と目的を理解し、教職員の意識を高めるためにリーダーシップを発揮すること。
②自己点検の完成度が高ければ、第三者評価を恐れる必要はない。そのために現状の自己点検報告書を見直すこと。
③自己点検の作業は、一部の委員に押し付けるのではなく、多くの構成員が参加する体制を取ること。
――等である。一方、私大協には、評価機関のスタートを待たずに、
①自己点検と第三者評価の意義と目的を加盟校が十分認識するよう、きめ細かな研修会を開催すること。
②評価員養成のためのセミナー等を積極的に開催し、人材養成に取り組むこと。
③評価機関が活動を開始するまでの間、大学からの相談や問い合わせに対応するため、私大協内に相談窓口を開設し、アドバイザーを配置すること。
――等を要望したい。
また、文科省には、
①評価機関の独自性、自律性を尊重し、介入は最低限にとどめること。
②わが国の高等教育の質的向上を目指して互いに信頼し、協力する姿勢を示すこと。
③第三者評価を機能させるため、評価機関代表者や有識者を加えた研究会を発足させること。
――等を提案したい。