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アルカディア学報

No.115

学費・奨学金のあり方―第18回公開研究会の議論から

早稲田大学文学部助教授 沖 清豪

 去る4月7日に開催された私学高等教育研究所主催の第18回公開研究会では、濱名 篤研究員と朴澤泰男・白川優治両研究協力者により、「私大経費におけるこれからの学費・奨学金のあり方」との題目で、同研究所の研究プロジェクトの中間報告が行われた。本紙ではすでに濱名研究員によって同研究の概要が紹介されており(4月2日付本欄)、また同研究会における報告の概要も4月9日付本紙一面にて紹介されている。加えて同研究所のホームページにはすでに同中間報告が掲載されている。従って本稿では報告の内容についてはその概要を示すにとどめ、報告後の質疑において出された議論を踏まえつつ、私立大学における今後の学費・奨学金制度の展望と課題について若干の視点を示してみたい。
 まず報告において、特に今後の展望との関連で強調された認識枠組を紹介したい。濱名研究員の報告では、今後の方向性として多様化と個別化を仮定している。多様化とは制度の多様化であり学費や奨学金制度の多様化・充実が図られる可能性が意識されている。一方個別化とは個人のニーズやメリットに応じて学費負担を設定するという意味での個別化であり、成績に応じた奨学金の受給や単位数に応じた学費設定などが想定されている。次に、調査データの分析から明らかになった現在の私立大学における学費減免・奨学金の一般像について、報告では「ごく少数の一般在学生に対してメリット・ベースの採用基準により、学費の一部を給付もしくは減額する」といった形態がとられているとしつつ、実際には大学間の違いが大きくなっているとしている。この点については従来の制度の多様性だけでなく現在進行中の学費・奨学金制度の改革の中でも、多様性が広がっているとされている。特に経営の体力が残っている大学の一部や逆に学生募集が困難になりつつある大学では理由はともかく学費・奨学金制度の改革に取り組むところが増加している一方で、それ以外の大学では学費政策についてしばしば具体的な展望を持ちえていない点が指摘されている。
 こうした状況やアメリカの奨学金制度の特質との比較を踏まえつつ、濱名研究員は今後の展望として戦略性、方向性、透明性の三点を指摘した。戦略性とは学費減免を学生獲得の手段として採用するかどうか、そのリスク(当該大学の社会的威信の低下)を含めて検討する必要があることを示している。方向性とは他大学と同様の制度を維持していくのか、別の選択肢を採用していくのかという生き残り戦略の選択を示している。そして透明性とは学費の妥当性を示すためにも、情報開示の必要性が課題となることを示している。これらの展望の重要性は研究会参加者の多くに共有されるものであったように感じられた。以上、報告の骨子のみ紹介したが、それを踏まえて報告後の議論で焦点となった、あるいは今後の課題として残された論点について紹介しておきたい。
 第1の論点は情報開示の問題である。今回の質疑で繰り返し問題点として出されていたのは、学生や保護者に対する情報開示(ディスクロージャー)の程度と方法であった。例えば、濱名研究員は学費値下げ策をとるにあたっても、なぜ下げることが可能なのか、それまでの学費の算出根拠はどのようなものであったのかについて情報開示する必要性を繰り返し強調している。情報開示しない場合には学費の価格妥当性自体が疑われる可能性も指摘されている。一方で、この情報開示にあたっては算出根拠として金額を下げられる領域を示すことが必要なのであって、現時点で学費がどのように使われているかについてすべての情報を公開することが必ずしも適切であるとはいえないとの認識も示された。
 大学経営の観点からみて、以上のような視点は言うまでもなく首肯されるものである。とりわけ、従来から学生や保護者が大学自体や大学経営について関心が低く、情報に無関心であったことも現実としてあり、以上のような対策によって改善される課題は少なくないであろう。しかし今後大学危機が叫ばれる中で、関心が高まる事態が予測される中では、常に受動的な対策立案をするだけではなく、いかに適切な情報を開示していくか、積極的な政策立案も求められていくようにも思われる。説明責任要請の高まりの中で、大学全体の情報開示、何をどの程度どのように開示していくかは依然として重要な課題の1つであろう。
 もちろん情報開示にあたっては、個々の私立大学において財務面での余力に乏しいという構造的な問題があることは言うまでもない。また情報開示の意義について財務担当者は敏感に感じているが、その認識が必ずしも大学全体で認識されていない状況がある、という濱名研究員の指摘は今後個々の大学だけでは解決しがたい状況が存在していることを示唆している。
 第2の論点は奨学金制度の捉え方の問題である。従来貸与制中心であった日本の奨学金に対する学生・保護者の意識は低く、奨学金への依存を好まない状況が見られたのではないかという喜多村主幹の質問に対して、少なくとも大学側では保護者が奨学金に対して抵抗感を感じていないと認識していることが多いという調査結果が紹介された。この結果をどのように理解し、奨学金制度の改革に結びつけるかが今後の課題となるように思われる。メリットに基づく奨学金制度とニーズに基づく奨学金制度とを同一の場で議論することはもはや困難ではないだろうか。現在問題にすべき状況にあるのはもちろん後者であり、国内の経済状況悪化に伴い、経済的理由での退学者の増加、あるいは学習を維持していくために奨学金受給が必要となる学生の増加はどの大学においても無視できない課題となっている。しかし、特に学内奨学金に関する問題を検討するにあたっては、学生にとって当該奨学金を獲得できたというメリットを対外的に示すという視点が無視できないのではないだろうか。それはとりわけ、メリット・ベースで学内奨学金が運営されている多くの大学において重要な論点だと思われる。
 この問題と関連して、1つの事例を紹介したい。ある大学では学費を滞納している学生に対する学内給付奨学金の交付を認めないというシステムが存在する。その趣旨は給付奨学金とは文字通り「奨学」のために使われるべきものであり、学費は別途用意されるべきものであるというもので、奨学金を学費に流用することは容認できないということであった。この本末転倒とも思える制度の是非はともかく、こうした発想自体、奨学金が学生にとっての威信を示すものである(べきである)という大学側の認識を示している。奨学金問題の根底には給付制と貸与制の問題、あるいは機関補助・個人補助の問題とともに、こうした奨学金に対する認識の問題が根強く残されているようにも思われる。
 最後に、今回の報告の基礎となった調査の方法や対象に対して、質疑でも質問や意見が相次いだ。その多くは大学内部の一部担当者を対象とした意識調査の限界を指摘したもので、その中には余力のある大学とない大学での状況の違いを、より具体的に明らかにしてほしいとの希望が含まれているように感じられた。また今回の報告における分析では、学費が相対的には高くないと認識している回答が過度に強調され、本来大学経営上で深刻な問題として認識されるべき「自分の大学の学費が高いか低いか判断できない」層の存在が十分には議論されなかったように思われる。こうした課題も含めて、今後収集されたデータのさらなる分析が期待される。また学費を負担する側である保護者に対する調査が準備されているとのことであり、その結果から導かれる成果の活用も喫緊の課題となる。同調査が示した課題の重要性は今後とりわけ高まることは間違いないであろう。