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研究成果等の刊行

No.4(2001.03)

「新時代を迎えるアメリカ高等教育最新現地報告」 ―カリフォルニアの公・私大と大学評価競争

問題提起者:羽田 積男、喜多村 和之

はじめに

私学高等教育研究所 主幹 喜多村 和之

 空前の経済繁栄と若年人口の増加のなかでも、2000年秋のアメリカの大学はますます厳しい競争と変革にせまられています。第3回公開研究会では、カリフォルニアに新しく設置された州立大学と私立大学との緊張関係と、ますます熾烈になる大学評価とランキング競争の影響について、アメリカ高等教育の専門化2人から、平成12年10月の訪米報告を兼ねてアメリカと日本との比較に関する問題提起をしていただきました。
 この報告書は、当研究所主催第3回公開研究会で行われた発表、討論、問題点等を記録としてまとめたものです。私学関係者のみならず多くの高等教育関係者がこの問題を考えるうえで参考になれば幸いに存じます。

I . 問題提起(1) 羽田 積男
  米国の大学事情 -18歳人口への対応(問題提起要旨)

カリフォルニアの大学はいま


 この夏、2回のアメリカ旅行の機会にめぐまれた。最初は東部へ、2回目はカリフォルニアへの旅であった。
 旅先の大学で、多くの大学首脳にインタビュ-をし、さまざまなことを伺った。なかでも印象に残っているのはジョンズ・ホプキンズ大学の経営学・教育学大学院の初代学部長が語った、メリ-ランド州をはじめとする多くの州において学校教員が著しく不足しており、新学期が心配であるという切実な話。カリフォルニア州の中等後教育委員会(CPEC)では、同州の高等教育の明るい展望を幹部から聞いた。18歳人口の増大や、経済の繁栄を基盤にした高等教育の確実な展望である。あるいは、公立学校のクラス定員を20人以下にするという州の決断を聞き、日本の現状を憂いつつ、他方でカリフォルニア大学の10番目のキャンパス創造など、それこそ感動をもって多くを聞いたのである。
 旅の間に、ふと眼にした9月1日の読売新聞は、「加州の白人比率五割切る」という囲み記事を掲載していた。1860年に調査を開始してからはじめて白人の人口比率が50%を割ったというのである。記事の出所は、8月30日発表のアメリカ人口統計局の調査結果であるという。
 カリフォルニア州に関する調査結果では、白人49.85%、黒人7.5%、ヒスパニック31.55%、アジア系12.18%という比率であったという。ヒスパニックとアジア系の伸び率が高いが、両者ともベトナム戦争後の移民によるところが多く、ヒスパニックでは多産の傾向もあるという分析が南カリフォルニア大学の教授によってなされたともいう。
 もともとメキシコなどからの移民の多いカリフォルニア州では、このような人口比率になることは時間の問題とされてきた。今後、半世紀の内に、アメリカではヒスパニックをはじめとするマイノリティが多数派になるものと推計されているのである。このような人種・エスニシイティ別の人口比率の変化は、人口の増大によってもたらされた変化である。当然のこと、人口の増加は18歳人口の増加をもたらし、大学入学希望者の増加をもたらし、また成人学生の増大をも意味しよう。
 専門紙「高等教育クロニクル」の年鑑号によると、カリフォルニアでは2000年から2010年の10年間に、高卒者が22%増加するだろうと推算している。加えて、高校の中退率は約10%で、年々減少の傾向にある。1988年の中退者率は34%にも達していたことを思えば、まさに隔世の感がある。

コミュニティー・カレッジ

 こうした人口の推移は、カリフォルニアでの大学の学生収容能力を大幅に不足し、州の高等教育マスタープランがほ ご反故同然になってしまう危機が迫ってきたのである。
 カリフォルニアの高等教育の幅広い基盤ともいえるコミュニティー・カレッジ(CC)は、ながく107校体制が続いているが、詳細に個々のカレッジを見れば、やはりセンターを設立し、やがて分校に格上げして学生の受入れに努力を重ねてきた。これらの分校やセンターは現在45ヵ所にも達し、そのなかのいくつかはやがて独立し、新しいコミュニティー・カレッジとして立ち上がるに違いない。州内で最も古いジュニア・カレッジのひとつ、サンタ・ローザ・ジュニア・カレッジは、同市の南、ペタルマ市にセンターを設立し、いまや7,000名の学生を抱えるほどになっている。州内で最大級のサンフランシスコ・シティ・カレッジは、チャイナタウンなど9ヵ所に、サイトと呼ばれる施設を使って実に9万4,000人の正規学生・パートタイム学生を教えているという。州当局が、コミュニティー・カレッジに力を入れているのは、その予算処置でも明白であろう。

州立大学群

 カリフォルニアにおける4年制大学の中核は、州立大学(CSU)である。1995年には、はやくもカリフォルニア州立大学のひとつサンディエゴ州立大学の分校を、サンマルコス校として分離独立させ、さらに同じ州立大学のひとつとして、モントレー湾の入口に位置する地に新しいキャンパスを開校した。新しいデタントの時代の到来で不要になったフォート・オードの旧軍事基地の一部を譲り受け、サンノゼ州立大学のセンターをモントレー・ベイ校として立ち上げたのである。まだ軍事基地特有のバラックが立ち並ぶキャンパスは、理想のキャンパスにはほど遠い。あと5年でキャンパスは一変すると財政担当の副学長は語っていた。
 また、ロスアンジェルス市の北西の郊外、ヴェンチュラ郡のチャネル・アイランドにノースリッジ州立大学の分校がある。いまこの分校を新しい大学、チャネル・アイランド州立大学として新設することになった。こちらは巨大な州立病院の跡地と施設を引き継いで生まれる24番目の州立大学である。
 マリタイム・アカデミーを新たに組み込み、点在する州立大学のセンターを本格的に独立した大学に昇格させることで、カリフォルニア州立大学は、ここ5年間に4大学を新たに設けたことになる。大学院博士課程をもてないなど個々の州立大学に不満はあるが、少なくとも州民に対する大学教育の機会は拡大し、増える高等教育の需要に応じようとしているのである。

カリフォルニア大学

 州の高等教育の頂点に立つ、カリフォルニア大学(UC)の門戸の拡大は、州民の切なる願いであった。しかし、ながいこと州の財政難などでその具体的な検討はなされず、州民の願いは先のばしされてきた。ところが、州の財政は経済的な好況のなかで大幅に改善し、また連邦政府の財政も好転した。つまり、新しいカリフォルニア大学の建設が大いに可能となり、ついに実現できる見通しとなったのである。
カリフォルニア大学は、周知のように本校と呼ばれるバークレー校の他にUCLAなど8ヵ所のキャンパスを擁するアメリカでも最大級の大学であり、しかも博士課程までを擁する世界でもトップクラスの研究大学である。その10番目のキャンパスは、有名な国立公園ヨセミテへの主要な交通路のあるマーセッド市の郊外へ設立されることが決まったのである。カリフォルニアの主要産業、農業地帯の中心地であるサン・ホアキン・ヴァレーへの本格的な研究大学の進出となった。
 カリフォルニア大学は、特にアジアにとって重要な玄関口的な大学である。1868年の創立であるから、日本の古い私立大学などとはあまり違わない歴史をもっている。州の発展とともに拡大を続け、大学の大衆化が進んだ1960年代の前半に、サンディエゴ校、サンタクルツ校などのキャンパスが立ち上がっており、もっとも最近のキャンパスができたのは、アーバイン校で1965年のことであった。つまり、新たなマーセッド校は実に35年ぶりの新しいキャンパスの創造ということになる。 カリフォルニアの人口の増加は、特に内陸部に大きいわけではない。もともとマーセッドの地が選択されたのは、フレズノ市を中核とする内陸部に大学が構想されてきたことによる。フレズノ市は、カリフォルニア州で6番目の人口42万の大都市であり、農業労働者などを多く送りだしているヒスパニックの人口も多く、その意味では、人口動態を勘案しての大学立地の選択であったといえよう。しかし、すでにフレズノには2万の学生を擁する州立大学があり、都市化の進んだ地に広大な緑のキャンパスの候補地を探すのは難しい。そこでフレズノ市の北、約70キロのマーセッドの地が選定されたのである。 ヨセミテ湖を抱き込むようにキャンパスは設計され、その敷地の面積は、広大なスタンフォード大学の約1.2倍、約1万300エーカーが用意されている。しかもこの敷地は、立木一本もない草原につぐ草原である。まさに白紙のキャンバスにキャンパスを描くのである。2005年、開学の暁には、2万5,000人の学生と6,600人の教授陣、キャンパスを囲むコミュニティーには3万以上の人々が住み、8,500の就職先を提供するというのが、いま見ることができる青写真である。 「21世紀最初の研究大学の誕生」、というのがもっぱらの宣伝文句であるが、この壮大な大学づくりの実験、今後とも見守っていきたいと思っている。

私立大学の挑戦

 それでは、18歳人口の急増という好機に、カリフォルニアの私立大学はどう対応をしているのであろうか。州内には、400校にのぼる公私立大学・短大があり、うち147の私立4年制大学が存在する。しかし、これらが擁している学生数は、わずか25万人に満たない。1私立大学あたりに平均すれば約1,700名に過ぎないのである。こうした小規模な大学がいくら背伸びをして学生の増員を図っても、それは州内の態勢に大きな影響を与えるほどにはならない。州内の190万人学生の7分の1を私立大学は担当しているだけであり、自ずから限界があろう。
 事実、カリフォルニアには1万人を超える学部学生を有する大学は、約20ほどであるが、そのうち私立大学は2校。最大手の私立大学、南カリフォルニア大学でも1年生への入学者は3,500人ほどであり、スタンフォード大学ではその半数程度である。つまり、私立大学のセクターは、18歳人口の急増といっても、ほとんど受入れ体制は整っていないし、やはり独自な教育理想を追求したいというのが本音であろう。中等後教育委員会の調整はあるものの、私立大学の規模を拡大したり、入学者を水増しするという方策はあまり期待できないのである。
 カトリック系の総合大学セントメリーズ大学の副学長は、18歳人口の増加、経済の好転は大学にとってこの上もないチャンスであると語ったが、よい学生を獲得する競争はますます激しさを増しているとも述べた。大学はマーケットを調査し、見込みのある地域には、大学のセンターなどを設けて学生を獲得する戦略に熱心である。
 セントメリーズ大学は、85万人の大都市サンノゼにセンターを設けているし、同じく私立のサンフランシスコ大学は、リージョナル・キャンパスと呼ばれる小キャンパスをオークランド市や州都サクラメント市など六カ所に設けている。大学から約1時間のサンタローザにはノース・ベイ・キャンパスという施設をもっている。サンタローザには前にもふれたコミュニティー・カレッジはあるが、本格的な4年制大学は、郊外にソノマ州立大学だけしかないのである。コミュニティー・カレッジや州立大学にはない、独自な教育機会を提供することが私立大学の戦略なのであろう。
 ロスアンジェルスの南郊外オレンジ市に本部キャンパスをもつチャップマン大学は、ワシントン州に4ヵ所、アリゾナ州に2ヵ所、カリフォルニア州内にはなんと32ヵ所のキャンパスをもっている。多くはオフィス・ビルのなかに教室などの施設をもち、成人学生を集めているが、訪問した施設の豪華さには驚いたものである。チャップマンは、空軍基地のなかにもキャンパスをもっているという。オレンジ市のキャンパスは伝統的な大学であるが、成人学生のマーケットもまた高等教育の一大マーケットであると教えている。
 18歳の争奪であれ、成人学生の獲得であれ、こうした激しい学生の獲得競争は、営利主義を掲げる大学、例えばフェニックス大学などの挑戦を受けている。州都サクラメント郊外には巨大なガラス張りのビルのなかにフェニックス大学が施設をもっている。これらの営利主義を掲げる大学がすべてうまくいっているようには見えなかったが、皮肉なことに、これらの大学の授業料は、いまや私立大学はいうに及ばず、州立大学より安くなっているのである。伸びつづける成人学生の動向を支配しそうな気配は確かに感じた。
 学生の獲得競争といっても、すべての大学やコミュニティー・カレッジが、18歳の若者を奪い合っているわけでは決してない。カリフォルニア大学バークレー校は、高校出の英才を集めているが、州立大学(CSU)では学生の平均的な年齢は、すでに24~27歳くらいになっているという。あるいはコミュニティー・カレッジではこの年齢はさらに高くなっているであろう。つまり大学は、それぞれ独自のマーケットをもっており、そのマーケットのなかで激しく競っているのである。しかし、それでもマーケットは重なり合い、また複雑に絡み合っている。
 カリフォルニア中等後教育委員会によれば、1998年を起点とすれば、2010年までにコミュニティー・カレッジの学生を53万人、州立大学の学生を13万人、カリフォルニア大学の学生を5万6,000人増やさねば「ニーズ」に応じられないという。州全体で35.8%の学生増加となる。教育の質を落とさず、州の高等教育マスタープランを守っていくためには、なお一層の前進が公立大学のセクターに求められているようである。
 それでは私立大学はどうか。同委員会は、1998年に32万人の短大を含む私立大学生は、2010年には異なる2つの見通しをもっている。ひとつは、40万人程度であろうという推計。もうひとつは45万人の推計である。その増加数を最大に見積もれば、13万人の増。24の州立大学とほぼ同じ学生を受け入れることができるという。
 カリフォルニアは、再び高等教育の黄金時代あるいは大学教育爆発の時代を迎えようとしている。少子化時代を生き延びる日本の大学は、アメリカの、あるいはカリフォルニアの大学の動向から眼をそらしてはなるまい。なぜなら、そこには苦しい時代を生き延びてきた大学人の智恵が潜んでいるかも知れないからである。

II . 問題提起(2) 喜多村 和之
  アメリカの私学高等教育と大学評価(問題提起要旨)

私学高等教育への関心強いアメリカ大学人


 10月なかばの紅葉の美しいアメリカを10日間ほど、1年ぶりに急ぎ足で縦断してきた。
 まずニューヨーク大学で全米教育アカデミー(NAE)の年次集会が開催され、セミナーを傍聴した。元来は初等・中等教育関係のテーマが多いのだが、今年は学問の府(アカデミア)に押し寄せる商業主義(コマーシャリズム)や営利機関(For Profit Organizations)の教育界への参入の問題に大学としてどう対応するかとか、学業についてこられない学生(students at risk)の教育をどう解決するかといったテーマが、全米の著名な学者や研究者によって熱い議論の対象になっていた。アカデミーという純学術団体の場でも、当面している現実の問題が取り上げられているのは、いかにもプラグマチズムの国らしい。この会合にはヨーロッパからも比較高等教育で著名な旧知のガイ・ニーブ教授(現在オランダのトゥウェンテ大学教授)も出席しており、日米欧の大学評価の問題についても意見を交換した。
 ボストンでは比較高等教育論のフィリップ・アルトバック教授(ボストン・カレッジ)と私学高等教育に関する国際共同研究の可能性について話し合った。教授はすでに国際的な研究のネットワークづくりに乗り出していて、日本やアジアの私学高等教育研究に、当研究所の協力を求めていた。また、ラテンアメリカの私学研究の権威であるニューヨーク州立大学のダニエル・レヴィ教授からも電話で私学問題の国際比較研究の分担について問い合わせがあった。加えて世界の私学高等教育の比較研究をすでに20年近く前から行っているロジャー・ガイガー教授(ペンシルベニア州立大学)はたまたまバークレイ滞在中で、彼とも今後の研究計画について話し合った。このようにアメリカでは私学高等教育に関心をもつ学者が少なくない。これは公立高等教育のプライバタイゼーションの進行や私学部門の発展の国際的動向とも無関係ではあるまい。
 ボストンでは、アクレディテーションの権威であるニューイングランド基準協会のクック高等教育部事務局長とも、私学の大学評価の在り方と具体的な方法について話し合った。土曜日にもかかわらずオフィスに案内してくれ、政府から独立した大学評価の意義を強調し、日本の私学独自の評価システムを構築することの重要性を指摘するとともに、今後の当研究所の活動を大いに激励し、協力を約束してくれた。
 ワシントンではアメリカで最も強力かつ権威のある全米大学連合(ACE)のグリーン副会長に会った。来年には調査団を結成して私学問題について討議したいとの申し出に対して、われわれも切実な関心をもって研究中のテーマなので、日米双方の研究者同士で議論し合う場をつくりましょうと積極的な意欲を示した。また全米私大協会(CIC)の所長は不在だったが、あとからメールで、「会えなくて残念だったが、次には是非日米の私学事情の意見交換の機会をもちたい」との連絡があった。アメリカの高等教育政策の形成には、こうした専門職団体の意見表明やロビー活動が大きな役割を演じている。
 大学評価についての科学的研究機関として高く評価されている全米科学協議会(NRC)では、大学院の教育・研究の質のランキングについての方法論の開発と長期的調査分析を担当しているヴォルトク博士と懇談した。1995年に全米の大学院の質を評価した膨大な成果を出したが、現在は10年後の2005年に発表される予定の分析に携わっているという。ちょうどその隣のビルが、ジャーナリズムの大学ランキングで名高いU.S.News & World Report 社だったので、予約もなしに面会を申し込んだが、大学院や専門職の評価の分析を担当しているギャレット女史が、長時間にわたって親切に説明してくれた。毎年の大学評価ランキングはデータ収集から発表までに半年という突貫作業で、影響力も大きいと同時に大学からの反発や苦情も多いという。10年もかけてじっくり評価できるNRCの仕事振りがうらやましいと、この数学者出身のアナリストは言っていた。大学ランキングの影響力は、インターネットの発展とともに大きくなり、大学団体のなかにはジャーナリズムに対抗して独自の評価法を構築しようとする動きも出ているようだ。アメリカではこのように一方でアカデミックな評価研究の蓄積があり、他方でその蓄積を活用するマーケット評価が存在しているのである。
 カリフォルニア大学では、1年ぶりに高等研究センターを訪問した。前所長のレイマン教授は昨年肺がんで亡くなっており、先年訪問した際に重病にもかかわらず、そのことをおくびにも出さず、夫人とともに夕食会を開いて歓待してくれた。そのことに謝意を表すために、未亡人にお会いした。夫人はその夜のことをよく覚えていて、私の弔意に大変よろこんでくれた。
 バークレイではクラーク・カー・カリフォルニア大学名誉総長と高等教育研究の第一人者のマーチン・トロウ教授とも会談することができた。カー博士は現在89才という高齢だが、血色もよく、頭脳あくまでも明晰で、いつもどおりの温顔かつ静かな口調ながら鋭い意見を表明された。現在カリフォルニア大学回想録という全2巻からなる浩瀚な書物を執筆中で、すでに第1巻は印刷中であるという。また1963年に初版が出た古典的名著『大学の効用』も第五版が出ることになっており、これに付される新しい章のコピーをわざわざ私に進呈してくれた。ダブルスペースで30ページにも及ぶ力作で、この年齢でこれだけのものをどうして書けるのか驚嘆するほかない。2時間にもわたるファカルティクラブでの昼食をはさんでの会合を終えて、カー博士と外に出ると、駐車場にカー夫人が車の中で待っておられたのにびっくりした。「長時間お待たせして申し訳ありません」と言うと、同じ89才の夫人は笑って「おかげで本をたっぷり読めたのでどうぞお気兼ねなく」と分厚い書物を示してみせた。秘書にあとから聞いたところでは、カー博士は足を痛めているので外出のときはいつも夫人が付き添っているのだという。客のために自分の貴重な時間まで割きながら、客には知らせず気をつかわせないようにしている夫妻の人間性にはつよく打たれたのである。

大学ランキング時代の到来

 外国の大学事情を観察してひしひしと感じるのは、これからの大学はその教育・研究の質がますます内外から問われる時代、すなわち本当の意味で大学・高等教育の中身が、国内のみならず国際社会にむき出しにさらされる評価の時代になるということである。
 たとえば日本の大学のほとんどは、一部の分野を除いては、これまで直接的には国際競争にさらされずにきた。学生はもっぱら国内需要で調達できていたし、教員も国際市場に開放されずに採用され、外国の大学の日本進出も瀬戸際で食い止められてきた。21世紀までに外国人留学生10万人受け入れ計画は挫折したが、日本ではそれは「先進国」の開発途上国への「国際貢献」と捉えられていたため、大学の存続にかかわるような深刻な問題とは受け取られずにきた。しかし国内の少子化で、ひとりでも学生の欲しい21世紀の多くの日本の大学にとっては、外国人学生は無視しがたい巨大な潜在能力をもつ市場となる。
 学生募集の国際競争がはじまれば、その成否の鍵を握るのは、日本の大学が諸外国の大学に比してどんな魅力があり、違いや個性はどこにあるか、教育研究の質的水準が国際的な競争力をもち、単位や学位の価値は国際互換性をもつかといったことの国際評価であろう。日本の大学はこうした評価についての正確な情報を公開して、世界の学生を惹き付けなければならない。なにしろ隣のアジアだけでも高等教育を求める潜在的留学志望者が何万人もいるのである。地理的にも近く、文化的にも親近性のある日本には、優れた頭脳の若者たちが、条件さえ整えば、大挙して大学をめざしてくる筈である。その目的のために、インターネットは情報開示に強力なメディアとして機能するだろう。
 しかしながら、外国人学生が他国ではなくて、日本の大学を留学ないし進学先として選んでくる決め手とは、何といってもその大学の質であろう。大学の教育・研究上の質を測るということは不可能で、ましてや大学を序列化したり、ランキング化することに対する疑問や不信は根強い。しかしそれにもかかわらず、毎年のようにメディアや各種の評価機関は大学の格付けを発表する。それはなんらかの形で大学の優劣を判断したいという巨大な抑えがたい需要が存在し、それが商売になるからであろう。大学ランキングの本家であるアメリカのみならず、イギリス、ドイツのような公立高等教育中心の国や開発途上国にも例外でなく広まってきている。日本でも情報産業、マスコミ、受験産業、評価機関がさまざまなランキングを出していることは周知の事実である。
 こうしたランキングには内容・方法ともに信頼性が乏しく、専門研究者からは眉唾物と断罪されているものも多い。たとえば「ゴーマンレポート」と言う名の大学評価本は世界約百校のランキングを発表し、そこには日本からは東大だけが入っている。これなどは世界の著名大学をどのようなデータでどのような方法で序列化したのかも根拠が不明な代物だが、いったん世に出ると根拠を問わずに盲信する者がいて、隠然たる影響力を及ぼしている。一部の日本の学者やジャーナリストはことあるごとにこれを引用して日本の大学の質の低下の証明に利用しているのは困った現象である。
 これのアジア版とでもいうべきものとして「アジアウィーク」という週刊誌はアジア諸国の総合大学のランキングを毎年発表しており、2000年版では11校の日本の国立・私立の総合大学がベスト77校のなかに、また5校がベスト39校の科学技術系大学に入っているが、ビジネススクールの分野では全部で50校のベスト校のうち日本の大学が顔を出しているのは5校だけである。
 こうした市場評価の多くは内容・方法ともに信頼性の面で問題が少なくないのだが、いったん発表されれば一人歩きをはじめ、多くの人や団体によって利用される可能性があり、しかもこれを何人もとどめる手立てがない。これまで偏差値という名の大学ランキングが日本中を横行し、単に受験生の入学時の受験学力の表現にすぎないものが、いつの間にか大学の質の評価と受け取られるという弊害をもたらした。偏差値ランキングは受験生にとって、自分の学力がある大学への入学可能性を予想させるという利点があった。しかし入学難易度という基準が次第に意味をもたなくなりつつある今日、これからは新しい評価指標が必要になってこよう。それは大学の入り口だけでなく中身、すなわち質をはかり、その結果を序列化しようという要求である。
 かくして大学評価の新時代が到来する。大学を評価するのは、大学自身だけではなく、学外者や第三者機関が加わってくるだろう。買い手市場の時代の進学先の決定の評価には、金の卵の受験生だけでなく、学費を負担する親も積極的に口をはさんでくるだろう。その学校選択の情報を提供するために、マスメディアや受験産業は、ますます多彩で微細にわたる格付けやランキングの作成に務めるだろう。しかも評価機関は国内のみならず海外からもくるであろう。そして評価情報は単に印刷された雑誌や新聞だけではなく、インターネットにのって全地球を駆け巡るであろう。インターネットショッピングに慣れた青年にとって、大学はもはや国内だけでなく世界も視野に入ってくる可能性が開けるのである。
 こうした事態が到来するとしたら、世界の学生はあり余る評価情報のなかから、どこの国のどの大学を進学先として選ぶのか。日本の青少年は相変わらず日本の大学を優先するのか、それとも広く世界の大学を選ぼうとするのか。いずれにしても大学が優れた学生によって選ばれる道をとろうとするのならば、市場ランキングに対抗し得るような質の向上と世界に信頼されるような評価システムの開発を、大学自らが創造するほかないだろう。

III . 第3回公開研究会の討論から  鋤柄 光明
  米国大学事情に学ぶ 第3回公開研究会の議論から


 当研究所主催の第3回公開研究会は、「新時代を迎えるアメリカ高等教育最新現地報告―カリフォルニアの公・私大と大学評価競争」と題して、羽田積男研究員(日本大学教授)と喜多村和之主幹(早稲田大学客員教授)がこの夏秋に実施した現地調査の報告が行われた。この報告の一部はすでに教育学術新聞「アルカディア学報11・12・14」の各号で紹介されているが、当日の発表内容を加味した要約とコメントを述べる事とする。
 羽田研究員報告のテーマは「新時代のカリフォルニア高等教育」で、アメリカの好景気と人口動態の変化による18歳人口の増加が、今後急速な勢いで高等教育人口の増加をもたらすという全米的な予測状況下における、カリフォルニア州での対応策を現地での大学訪問調査やインタビュ-結果を織り交ぜた詳細な報告を行った。
 全米的には現在1,500万人いる高等教育人口が、2010年までには1,700万人に増加すると予測され、カリフォルニア州だけでも現在200万人の州立高等教育人口が270万人と、35.7%も増加する。その増加する学生を収容するためには、1万人規模の大学を70校新設するか既存の施設を拡張する必要があり、その対策がすでに始められている。コミュニティ・カレッジ、ステイト大学及びUCシステム大学の各セクターでの新設計画や分校や学習センターの増設事例が紹介されたが、3セクターが等しく増加分を分担するという計画である。USCとスタンフォード以外に大規模大学がない州内の私学は拡張には消極的であるが、学外の学習センターやサテライトキャンパスを展開している例もある。
 1980年代、アメリカでは18歳人口低下により多くの大学が閉鎖されたり統合を余儀なくされ、『大学冬の時代』到来と騒がれた過去はどこに消えてしまったのか。また同時期、日本ではまだ18歳人口が上昇中で、あぶれた学生を獲得するために米大学の日本校を作ってはと数十校が設立されたが、今や跡形もなく消えてしまった経緯を思い起こしたのは評者ひとりではないだろう。
 アメリカでの高等教育再拡張の要因は、人口動態の変化によるところが大きいと考えられるが、同時に90年代以降初等・中等教育の改革が功を奏し、高等学校終了者が増加したが、18歳人口の増加予測はわずか40万人にしか過ぎず、高等教育人口拡大の主要員はIT時代に対応した高度な職業訓練プログラムに参加するパートタイムの成人学生である。これらの学生の需要に応えるために最近、企業立の大学が数多く設立され、これまでの非営利法人だけが大学運営に当たるという考え方が大きく変化している。クロニクル紙も87年以降の大学統計にはFor‐profitの項を設け、大学169校、短大500校が存在していることを示している。
 喜多村主幹のテーマは「インターネット時代の大学評価とランキング競争」で、羽田研究員が報告した高等教育の拡張・拡大傾向の中で個々の大学は大変混乱した状況に陥っているとし、特に大学間の競争が必ずしも良い方向ばかりに進んでいない状況、それを作り出している大学評価及びランキングの功罪について述べた。そして大学評価の構図概要を短く説明した後、アメリカにおける大学評価の一形態としてのランキングを具体的に報告した。すなわち、様々な機関によってなされているランキング評価はその方法が正当であるか不当であるかではなく、結果としてかなり問題のある影響を大学に及ぼしているのである。
 大学のランキング評価自体はアメリカが歴史的に最も古く、1920年代から実施されており、その方式は学問的にも方法論的にも確立しているものである。昨今隆盛を極めているU.S. News & World Report 社のランキングも必ずしもいい加減なものではないが、現在流布しているすべてのランキングが正当なものとも言えない状況があり、それらの結果がメディアにより誰もコントロールできないままに世界中に報道され、それによって大学は褒められもすればけなされることにもなっている。
 一体全体ランキング評価を誰が必要としているのか。例えば現在最も信頼が寄せられている全米研究評議会が行っている大学院ランキングは、研究支援を正当に配分するための目的で、主に博士課程のランキングであり、学部教育のランキングではない。USニュ-ズ社はこの方式を学部教育に当てはめて公表し、幅広い読者層を獲得したが、そのランキングを最も気にしているのは大学自体であり、次に高校の進学指導教官や親たちであって、高校生が直接影響を受けているわけではないようである。
 質疑応答の際、沖 清豪研究員(早稲田大学専任講師)からアメリカの場合は、ジャーナリスティックなものも含めて多様なランキングが公表されているが、イギリスでは学部教育を含めて単一基準によるランキングが行われているのは問題ではないかという質問があり、喜多村主幹はまさにそこが問題で、国立大学独立行政法人化に伴って設立される第三者評価機関はまさにそのようなランキングを行う危険性を指摘、公正な競争が促進されるためには集められた情報の開示、公開が伴わなければならないと警鐘を鳴らした。さらに世界共通の大学ランキング指標というものが存在するのか、数値化できない教育・研究の成果も存在するのではと述べると同時に、流行するランキングのなかに新しい大学像を観る思いがすると述べた。
 他にも参加者から数多くの質問が寄せられ、活発な議論がなされたが、圧巻だったのは土橋信男研究員(北星学園大学教授)から寄せられた世界共通のランキングが流布すれば、日本の大学院も国際的な競争に巻き込まれるのではないかという質問に対して、羽田研究員が日本の学部生数にも等しい大学院生を抱えるアメリカとは初めから勝負にならないと、一刀両断に切り捨てた勇気ある発言である。多くの日本の私立大学大学院では、学部学費より低額に授業料を設定しているにもかかわらず定員割れを起こしており、さらに多くの大学院プログラムが増設されている状況下でどのように質的向上を図り学生を確保するのか。
 日米の大学が置かれた状況とあまりにも異なる現状で、比較高等教育研究の効用が試されていることを示唆する会合であった。と同時に、アメリカの大学が80年代の危機を見事に脱出したように、日本の大学も直面する危機的状況を、自らの努力と知恵によって克服できる時の到来まで怠りなく精進せよと警告を受けた公開研究会であった。

*** 「公開研究会講演録及び関連資料」部分は割愛しました。 ***