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特集・連載

地方私大からの政策提言

「地方私大の個性活かす施策を」

茨城キリスト教大学学長   東海林 宏司

冒頭から私事で恐縮だが、東京オリンピック開催の1964(昭和39)年生まれの私は、高度成長期に幼少期を過ごした。その後オイルショックに見舞われながらも、いわゆるバブル崩壊までは安定成長期が続き、私は「1億総中流」と言われる時代に学生時代を過ごした。中1の時に父を病気で亡くし、我が家は経済的な柱を失った。幸い高校は公立高校に合格できたが、それでも授業料減免措置に頼らざるを得なかった。その後国立大学受験に失敗、私大に進学することとなったが、大学独自の貸与奨学金、そして日本育英会(現在の日本学生支援機構)の奨学金制度の恩恵に与り、アルバイトもしながら何とか学業を続けることができた。国立の大学院受験にも失敗してしまい、奨学金にはどれほど助けられたか知れない。当時の育英会奨学金は無利子が当たり前で、教職に就くことで返還が免除される制度もあった。幸い、大学院修了後に非常勤講師の口もあり、職歴にブランクがなかったため、私は無利子とは言え大きな借金を背負わずに済んだ。
現代の高等教育には「新自由主義」の嵐が吹き荒れている。「教育又は研究の職に係る返還免除」の制度も廃止されて久しい。経済的理由により退学を余儀なくされる学生は後を絶たないし、多額の有利子奨学金を背負って卒業し、返還に苦しむ者も増え続けている。ようやく制度化された給付型奨学金も、極めて「狭き門」であるのが現状で、格差是正に十分に役立っているとはとても言えないだろう。新自由主義の「本家」米国でも、状況は深刻のようだ。「学生ローン」問題が米国民を苦しめている。我々日本人が「有利子奨学金」と呼ぶものである(日本でも特に有利子の学生への貸付金を「奨学金」と呼ぶのをやめたらどうだろうか)。
このような状況がこれ以上続けば、高等教育は「特権階級」のものとなり、社会の分断はますます進み、いわゆる「子どもの貧困」などの問題が連鎖的に拡大していくことになるだろう。そもそも子どもを持たないという選択も進行し、少子化にも歯止めがかからず、特に地方の人口減少の問題がいっそう顕在化するだろう。さすがに与野党を問わず、政治家もこの問題に目を向け始めており、「高等教育の無償化」という大変耳あたりの良いフレーズも聞かれる。自民党は教育の無償化を改憲項目として検討。これに『日本経済新聞』6月8日付社説では異を唱えたが、その理由の一つとして、「一律の無償化は進学意欲の高い高所得世帯に、より大きな恩恵をもたらす可能性」があることを指摘している。確かに、富裕層は浮いたお金を塾や予備校、習い事などに費やすことも考えられ、結局は更なる格差拡大をもたらす可能性がある。安易に一律無償化を考えるのではなく、「経済的に恵まれない学生向けの「給付型奨学金」の拡充など、まずは教育を受ける機会の均等に向けた現実的な政策の積み重ね」を求める同社説の主張に賛成である。時には増税という痛みを伴うことも視野に入れ、財源の問題を含めた高等教育費支援のための国民的議論が必要である。
日本の大学の運営が学生(家庭)からの納付金に大きく依存しているのは、国や地方自治体からの公財政支出の割合が低いことが一因である。「日本私立大学団体連合会 平成29年度私立大学関係政府予算に関する要望【データ編】」では、2012年度のデータに基づき、次のような指摘をしている。
「日本における大学生1人当たりの公財政支出額は年間69万円で、OECD各国平均の99万円を大きく下回ります。ただし、公財政支出を国立・私立で比較した場合、国立大学は218万円で、OECD各国で最も高い水準となります。一方、私立大学はわずか17万円で、国立大学の約13分の1であり、OECD各国の中で最下位です。国私間の格差を是正した上で、公財政支出の水準を高める必要があります」
ここで指摘されているように、国私間の格差を「是正」することには賛成である。しかしながら、格差「ゼロ」にまですることは果たして良いのか。私立大学の建学の精神に基づいた独自性を担保するためには、公財政支出増加を背景にした公の私への介入は最小限にすべきだという立場からは、ある程度の国私間格差は許容せざるを得ないかもしれない。
現実には、私立大学に対する国の補助金についても、近年は新自由主義的傾向が強まっているように思われる。特に地方の中小規模の私立大学にとっては、一律の指標が示された「改革」は、限られた人的・財政的資源の中で取り組むには負担が大きく、「改革疲れ」という言葉もあちこちで聞かれる。経済成長時代に日本の大学がある種の「ぬるま湯」に浸かってきたことは否定できないが、昨今は本学に限らず、本来の学生を成長させる教育・研究に割ける時間が減少しているという悲鳴にも似た声も聞こえてくる。
特に地方の中小規模の大学に求められている役割は、それぞれの建学の精神に基づき、いわゆる地域の「中間層」の教育を着実に進めていくことであると信じる。限られた人的・財政的資源の中で目指す方向は何かをしっかりと見定め、そのための施策を立て、実行していくことは、トップをはじめとした大学執行部に課せられた大きな責任である。
本学を設置する茨城キリスト教学園が創立されてから70年、本学が設立されてからちょうど半世紀が経過した。これを機に、学園・大学全体で、建学の精神(キリスト教精神の「隣人愛」)に立ち返り、学園・大学の「個性」とは何かを問い直す試みが続いている。国立大学の関係者と話していると、私立大学は建学の精神を語ることができるのが羨ましいとの声を聞くことがある。地方の中小規模の私立大学には、オールマイティーな総合大学はほとんど存在しない。学部構成にしても、教育研究内容にしても、建学の精神を基盤とした「特色」をベースとしているところが大半を占めるであろう。公財政支出、すなわち補助金行政については、それぞれの私立大学の「特色」すなわち「個性」を強化できるようなスキームを望むところである。地域の各私立大学が個性を強化することで、相補的に連携し合いながら地域貢献ができると信じるからである。

しょうじ・ひろし

1987年早稲田大学教育学部英語英文学科卒、1990年同大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。
1992年シオン短期大学英語科講師、2004年茨城キリスト教大学文学部現代英語学科准教授、2008年同教授、2010年同大学文学部長。
2014年同大学学長就任。