特集・連載
地方私大からの政策提言
「地方私大の役割を活かす」
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大学経験の浅い私にこの執筆依頼があったのは、前職のせいだろう。私事ながら私の経歴は、日銀25年、知事12年、国立大学特任教授3年、私大学長5年である。教育者としては素人の域。
全国でも前職知事という学長は極めて少ないと思うが、それは一般的には政治家が教育者には向かないからだろう。だから学長就任要請があった時は大いに自問したし、今もその日々である。
ただ、この経歴の順番には満足している。大学で「地域経営論」という授業を行っているが、人生最後の仕事が教育者というのは、それまでの経験を踏まえ若者に伝えたいことを語れる喜びがある。今回の私の提言も知事体験を踏まえたものが期待されているだろうから、その観点から述べてみたい。
知事就任直後から大学問題に関わった。戦後米国による民主化は、為政者である知事が「警察」と「教育」に予算以外の面でタッチすることを禁じている。しかし当時新潟県の大学進学率が全国下から2番目という状況を見て、これは放っておけないと思い、新潟県における高等教育のあり方を検討してもらう委員会を設けた。次男以下や女性の高等教育は不要という考えや、伝統的実学思考の強さ、財政的負担力など、種々問題指摘が出されたが、そのひとつに「県内に高等教育機関が少ない」という指摘があった。
そこで、大学新設に対する県の支援制度を創設することとした。結果として七つの大学が新設(実は現在学長を務めている大学もその一つ)され、進学率も向上していった。これをきっかけに県内大学と「産官学」の連携に注力した。とくに理工系大学との共同研究等による技術および商品開発、地場産業の活性化やベンチャー企業育成、研究型企業の誘致などの産業政策を推進した。
こうした経験から気づいたことを申しあげたい。
現在中教審をはじめ高等教育機関のあり方が種々議論されているが、その背景にある「時代変化」(パラダイムシフト)からの改革要請という認識は正しいと思う。それは、対外的にはグローバル化の進展であり、国内的には進学率の向上と少子化による全入時代の到来であろう。前者は国際競争に打ち勝つ大学、あるいは人材養成(質の保証)を要求をしているし、後者も質の保証と地域の求める多様な人材育成ニーズへの対応や、高齢化に対応した生涯学習や社会活動における地域貢献などを求めている。
これら課題にどう応えるか考える時、近年の大学改革議論のベースにある競争原理の導入による解決という国のスタンスに違和感を覚えている。小泉政権以来の教育分野への競争原理導入の背景には、大学に対する不信があるようだ。だから競争させて効率化を促そうというのだ。
法人化された国立大学は運営費交付金をカットされ続け、体力を弱めながら世界でのランキング競争を強いられている。高等教育機関として世界に通用する優れた教育・研究レベルを目指すことは当然である。
しかし、今回のアベノミクスの成長戦略に見られるように国が大学に国際競争に打ち勝つこと、ランクアップを目標に掲げさせることは正しいのだろうか。私には、それよりも学生が大学で学びたいと思っていることに十分応え、また大学として学んで欲しいことを的確に提供し、「自立し思考力に富んだ人間性豊かなひと」に育てること、より高いレベルでそれを達成することの方が重要だと思っている。大学で人格形成を図り、何かを掴みたいと思っている学生自身のニーズにまず応えたい。そして学ぶことの意味を自覚した学生が、自身の人生設計の中で選んだ出口に適切な選択先として地域企業等があることを願っている。
大学教育の原点は国際競争に勝つことではなく、より高いレベルで個々の能力を伸ばす教育を行うことだろう。それは私大の原点でもある。地域で生きる若者と企業を単に結びつける仲介業が大学の役割ではない。大学で才能を磨いた若者が、地域でその夢を少しでも実現できる場を作り上げていくのが大学も含む地域の役割でなければ、いつか若者は去ってゆく。そのためには、交付金(と授業料)に大きな差をつけたまま国立と私立を並べ監督し競争させる今のやり方は、正直私大にとっては「自然死行政」である。財政支援で差をつけるなら、私大に対してはより多くの自由を与えるべきである。
高等教育を受ける機会の地理的平等に一定の配慮をするならば、定員を割ったら支援カットするのではなく、人口減に苦しむ地域でも高等教育を受けられるようにすべきである。競争に負け、人口減などで定員割れしていく大学は、教員削減による人件費圧縮でしか対応出来ず、いずれ限界に来てしまう。それをどう生き延びさせるか、例えば非常勤講師派遣支援などの施策を講ずるべきだろう。定員割れの大学を抱えた地域は強い危機感を抱いている。
私の知事時代に出来た大学も半分は定員割れである。その中で長岡造形大は公立大化で切り抜けようと市に要望している。こんな対応は皆に通用しないし、それでは私大がなくなってしまう。早急に国立と私立の役割、地方私大の意義を時代ニーズに照らして見直し、定員バランスと予算配分を改善すべきである。これこそ重要なパラダイムシフトではないか。そうしないと地域から私大は消え、若者もいなくなる。教育は競争によって淘汰されてよい産業ではない。
地方私大が地域で必要な役割を果たすには、改善しなくてはならないことが沢山ある。地方自治体に大学の監督権限はないので、私大でも通常国の方を向いていて、地域に対する関心は薄い。加えて県の行う産官学事業は税金のため手続きが煩雑で、大学はあまり使いたがらない。それに通常大学人は政治に一定の警戒感を持っているし、教育と研究で忙しいので、ボランティアのような地域貢献に時間を割くことはしたがらない。だから大学人が一番の知識人として期待が高いにも拘らず、地域で貢献する体制は出来ない。
もちろん大学側もこうした意識を改め、大学として地方自治体とのトータルな連携体制を作るべきであるが、「地域貢献」を大学の役割とするなら、国も地域から私大が消滅するような施策は改め、両者の総合的な連携を担保できるような施策を実施すべきである。