加盟大学専用サイト

特集・連載

大学改革

-4-天災は忘れたころにそのとき我々は何ができるか

神戸学院大学理事長補佐 宮本善弘

日本私立大学協会(大沼 淳会長)では平成十八年十月十八日から二十日まで、静岡県浜松市において平成十八年度事務局長相当者研修会を開催した。当日は二二五大学から三〇〇余名が参加し、「私立大学の社会的責任とマネジメント」をメインテーマに講演、報告、班別研修等が行われた。本紙ではそれらの中から、「天災は忘れたころに そのとき我々は何ができるか~阪神・淡路大震災の体験をもとに~」と題して、宮本善弘神戸学院大学理事長補佐からご講演いただいたものを数回に分けて掲載してきましたが今回が最終回。

 二年生から四年生までは防災社会貢献に特化した授業だけをやります。既設学部の法学部・経済学部・経営学部・人文学部の一年生から募集をして選考します。かなりの人気です。それで、どれだけ意欲があるかということを面接審査しながら五〇名に絞り込み、本当に防災社会貢献のユニットを勉強したい学生をピックアップします。実際に消防訓練や建物、瓦礫の中から人を探したりする訓練をします。また、海外にも出かけて訓練を行います。
 これは、現代GPに採択されたのですが、日本初の非常にユニークなシステムです。学生に教えるだけではなく、機構の教員が中心になって、地域、家庭の防災や、巨大災害にも備えるということで、神戸国際会議場を借りて防災教育をやっております。十月十四日には、私どもの機構の教員が中心になって、社会貢献としてどうあるべきかというシンポジウムを同じ神戸国際会議場で地域の人、市民と一緒に開催しました。そこで、ボランティア活動が育成されるということは非常に重要なことです。現に阪神・淡路大震災のときに理事長は学長に権限を委譲しました。当事、理事長は医者ですが、自宅近くの本山小学校というところでリーダーとして一か月以上その支援活動をしておりました。個人的にかなりの金銭的支援をされたように聞いております。
 学生団体もたくさん支援活動を行いました。その中のSSW(人形劇)は私が顧問をしておりますが、避難所を訪問して、子供たちに人形劇や紙芝居を見せたり、ゲームをしたりしてきました。しかし、人形劇や紙芝居は、見せるだけで子供たちの心を和ますことはできなかったようです。子供たちが一緒になってゲームをしたり、歌を歌ったり、遊んだり、話したり、踊ったりして、やっと心に溶け込むことができたようです。これは非常に有効的だったということです。
 その後、学生ボランティアはいろいろな支援をずっと続けています。こういう学生達に、学長が学内でお昼をごちそうしたりして慰労しています。また、ボランティア活動支援室をつくり、阪神・淡路大震災のNPO事務局で次長をしていた人が中心になって学生の相談や啓発とかリーダーの育成をしています。ボランティア・ネットワークをどのように推進していくかなどを学生達にいろいろと教えていただいています。
 (2)大震災、そのとき大学トップや教職員は何ができるか
 震災を振り返りますと、教員一名、留学生二名が亡くなりましたし、多くの教職員や保証人など大学関係者の自宅が被害をうけました。大学関係では、栄養・薬学部の試料がダメになったり、学生が下宿を変えたりいろんなことがありました。神戸の企業はかなり壊滅し、就職内定取り消しも出ました。非常にかわいそうな思いもしました。
 学長も学部長も私ども教職員もみな全くの素人です。その素人があの時を振り返って、何ができたのか。私は運が良かったというふうに思っております。一つは私が恐らく消防署に着くのが一〇分遅れていたら、消防車が出払っていたでしょう。大学の建物の多くが燃えていたでしょう。これは本当に運が良かったなと思っております。それと、当時の学長がほとんど被害のなかった加古川市にいて、全権の指揮がとれたこと。学長がもし大きな怪我でもされていたらどうしていたでしょうか。これもかなり私はうろたえたと思っております。さらに、理事長の決済日が火曜日と金曜日です。その日がたまたま火曜日だったので、運転手が早朝に理事長を迎えにいったのです。それで理事長から神戸市内の被害情報を得ることができ、すみやかに理事長から学長へ権限移譲もできたということです。
 そして、震源地からすぐ近いところにありながら、倒壊した建物が無かったこと、そのため復旧工事が早くできて、入学試験や卒業式や入学式が大きな支障も無くできたこと。成績発表や入学関係のデータが全部入っている情報処理センターのコンピュータ被害が少なかったのも大助かりでした。コンピュータのバックアップ体制に関しては、コストの関係で対応できず、いまだに検討しています。
 例えば私どもの大学と北海道の大学と九州の大学が三角関係でいわゆるデータを保管する。もちろんデータを開けるキーはそれぞれの大学が持っている。そういうことが可能かどうか。これはぜひ文科省や私立大学協会を通じて、コンピュータに大きな被害が出てもどこかにきちんと保管できているという体制を検討していただきたいです。あのような震災が日本全国に一度に起きた場合は、これはどうしようもできませんが、各大学が個々にバックアップをしようとしたら莫大な費用がかかります。これは今後ぜひ検討の課題に残していただきたいと思っております。
 話を戻します。震災が起きた時刻が学生、教職員のいない早朝であったということは幸せだったと思っております。もし授業中でしたら、非常に大きな惨劇となっていたでしょう。また、これが大学入試センター試験の当日だったら大変です。それと、何度も言うようですが、激甚災害に関する法律を知っていた者がいたこと、知っているのと知っていないのではこれはかなり違います。また、調整池がキャンパス内にあることから、万が一の時、トイレの水はなんとかなる。これも安心の一つです。そして、LPガスと都市ガス、併用の建物がたまたまありましたので、一号館のLPガスで暖をとることができました。
 それと、何と言っても一二号館、一三号館は建築工事中だったことからゼネコン業者が常駐していたこと。これは非常に力強く、専門家のもとで安全に作業が進んだことです。また、大学は取引銀行の倒壊がありませんでした。それで、出金関係もうまくできました。それと、春休みを挟んだ関係もありましたので、四月からの授業に大きな支障をきたさなかったこと。全壊建物が無かったことなど、これらが結果として良かったことでした。
 各大学にはそれぞれのご事情があろうかと思いますが、各大学に当てはめてみて、お帰りになったら関係者でお話いただきたいと思っております。
 最後になりますが、やはり緊急時には大学の教職員が先頭に立って対応する。とりわけ事務職員だと思います。一般的に勤務の形態や業務内容の違いで教員へ期待するのはやはり難しいという人もいるでしょう。思い出してください。学園紛争時のとき、誰が表に出たか。バリケードの撤去や学生との話し合いなどは全部事務職員がやっていたのです。私の経験では、このような教員や職員の関係ではもうダメです。やはりいざというときは教員、事務職員が一緒になって頑張らないと大学は動かないということ。これは良い教訓です。
 震災に限らず、社会的責任については、本学人文学部の吉野絹子教授(社会心理学)の防災シンポジウムの講演で、大学でのリスク事例について、学生に関する問題、教育における問題、研究における問題、管理関係問題、入試関係問題など、たくさん挙げています。これらのことは、日頃から認識しておかないとなかなか対応できないのではないかと思っています。
 そこで、そのためには日頃からリスクマネジメント、リスクコミュニケーション、いわゆる予測や発生前の対策です。それと、クライシスマネジメント、クライシスコミュニケーション、発生後の対応については、やはり大学内で組織的に検討しておくことが求められると思っています。確かに今回のような震災は防ぎようがありません。なにをどのようにして良いか分からない。仕方がないといえばその通りです。天災は誰を責めるというものではないし、いつ、どこで、どの程度の規模かは予測することができません。現にこの会場で、平成十二年にこの事務局長相当者研修会の最中に地震が来たのです。いつどこで起こるか分かりません。しかし、私たちの経験から事前に何をすれば良いか。何をしなければならないか、これはぜひお帰りになって、話し合ってください。
 教員と職員が古い固定感や階層的な意識を払拭していただいて、協働関係を築いていただきたいと思っております。少しでも多くの大学が、多くの学生を抱え、多くの命を預かっているという責任をお感じになって、予期せぬ震災や事件や事故に対して、今回の講演を通して一つでも二つでもお役に立てれば講演を引き受けました喜びがございます。ご清聴まことにありがとうございました。(おわり)