特集・連載
大学改革
-3-天災は忘れたころにそのとき我々は何ができるか
日本私立大学協会(大沼 淳会長)では平成十八年十月十八日から二十日まで、静岡県浜松市において平成十八年度事務局長相当者研修会を開催した。当日は二二五大学から三〇〇余名が参加し、「私立大学の社会的責任とマネジメント」をメインテーマに講演、報告、班別研修等が行われた。本紙ではそれらの中から、「天災は忘れたころに そのとき我々は何ができるか~阪神・淡路大震災の体験をもとに~」と題して、宮本善弘神戸学院大学理事長補佐からご講演いただいたものを数回に分けて掲載する。
大学だけがダメージを受けているのではなくて、学生や、下宿もかなりダメージを受けていますから、学生達をどうするか。また、新たに新入生を迎える下宿をどうするか。幸いにも企業の寮が空いていました。それで、その寮を大学で一括契約して下宿の確保をいたしました。
それから私どもは、教職員に見舞い金を出しました。貸付金も無利子で行いました。みなさんそれぞれに大変な思いをしたということで、見舞金の対象者以外の人たちには、一万円を支給いたしました。
また、情報は共有しなくてはなりません。そこで一月十七日に震災を受けてその三日後に「神戸学院大学の皆様へ」ということで連絡事項を新聞五紙に掲載しました。教育後援会、同窓会などにも同じようなことで連絡し、その約一週間後にもう少し詳しいお知らせをやはり新聞六紙に掲載しました。
また、二月八日には新聞以外にご父兄宛に学長名で文書を送付いたしました。一方で今度は学生達に各学部や各部署からの連絡や学事についての変更などについて通知文を送りました。あとは、私どもが毎月発行している学内報を約一か月後に臨時号として被災写真やいろいろな記録、学事の変更、各対応事例などを掲載して文部科学省とか内部の人たちに全部情報を共有しようということで配布いたしました。
3、その後の整備
(1)補助金関係
実は、先ほど被害状況の写真を撮ったというのはここに影響してきます。土地建物設備等の復旧費など激甚災害に対する法律の対応として、かなり詳細な申請書をつくらされます。そのときに証拠写真があったので説明するのに助かりました。調査に来られたのが文部科学省から依頼を受けた国立大学で私どもには東北大学工学部の方と、文科省の人とが一緒に来まして、証拠写真を全部チェックしていきます。そのときに証拠写真が残っていると説明が非常に楽です。慌ててすぐに改修してしまったら、後でその証拠写真が出てきません。
これは非常に重要なことでして、約一二億円の出費に対して六億円の補助金をいただいたという結果です。
(2)復旧事業
これは、やはりライフラインというのが命でございます。そこで電気・水道・LANなどにつきまして震災後に二メートル×二メートル、一メートル八〇センチメートル×一メートル八〇センチメートル、一メートル五〇センチメートル×一メートル五〇センチメートルの共同溝をつくりました。これは補助金の対象外です。
井戸の修理もしました。井戸につきましては私ども以前から大学の井戸を飲料水で使っていましたが、たまたま壊れていて、修理をしていませんでした。その後修理をいたしまして、いまは散水用に使っております。耐震補強もやりました。
参考までですが、神戸市内の電話が完全に復旧したのが一月三十日、電気は一月二十三日、これは非常に早かったです。水道、工業用水、ガスは四月中旬、下水道は五月下旬と、全部復旧するのには時間がかかりました。次は鉄道ですが、私どもに影響があるJR東海山陽本線の普及が四月一日、神戸市営地下鉄が三月三十一日でした。これで東からの学生は大学に来ることができました。四月からの学事がそのまま順調に行えたということです。鉄道被害は、全国どこの大学も大きな影響が出ると思います。道路は、ほとんど壊滅の状態ですから、全面復旧は、かなり遅くなりました。
(3)規程・マニュアルの整備
これは、その後の対応として何をしなくてはいけないかということです。規程の整備とマニュアルの整備について、重要なポイントだけを申し上げます。このフローチャートは学生手帳に全部入っております。災害発生の状況で安全確保をベースにおいた考え方です。
安全確保には個人の動きと大学の動きがあります。まず個人の動きでは授業中、通勤通学中、夜間休日があります。一番大きいのは授業中です。大学の中で情報をキャッチして学生を帰宅させるか、避難所に残すかその都度確認をしながら一次避難、二次避難をして、最終的に安全確保で下校計画を考えるというものをつくっております。もちろん学生や教職員は大学に来る途中だったら自分で状況を判断してから大学に来るか、家に帰るかを確認しなさいということです。
もし、今回のような大きな災害が発生したら、大学は対策本部を設置して今回行ったような対応をしますということです。ここで言いたかったのは、安全確保とともに、大学に来られなくても、個々の家でじっとしていなさいというのではありません。教員、職員、学生は自分の住んでいるところ、またその周辺地域において各自で安全確保をしたうえで災害援助活動をしてくださいということです。社会貢献をやりなさいということで学生や教職員全員に訴えております。
また防火防災マニュアルも何十ページにわたって作成してありますが、現実に直面した場合は、私は全く役に立たないと思います。規程上、消防署に出しただけの話。大事なのは、緊急時での各部署のチェックリストです。各学部や各部署の部屋にぶら下げております。起こったときは自分のところは何をすれば良いか。チェックしていくものです。マニュアルは規則です。チェックリストは実務です。このように私どもは考えております。
(4)平常時の訓練と震災モニュメントの設置
一番大事なのは、防火防災訓練。以前から毎年二月二十二日に行っています。消防署から二名来ていただきます。何をするかというと、もちろん避難訓練、避難誘導全部やりますが、一番は消火器の使い方です。消火器は見ていても使えません。実際使わないと頭で覚えてもできません。私どもは毎年三〇本使います。入れ替える費用は一本約五〇〇〇円です。三〇本使用すると一五万円。一五万円で学生の命や財産を守る事ができれば安いものです。それともう一点は消火栓です。みなさんはどこに消火栓があるか知っていますか。消火栓も使ってみないと使えと言っても使えません。使えば簡単です。消火器で消せるのは天井に炎が上がる前、天井に炎が上がったらもう消火器では無理です。消火栓を使わなければいけません。消火栓も使わなかったら、なかなか使えません。神戸西消防署と明石署、これは行政区が違うところが大学で消防訓練を行いました。こういうことは稀です。一〇年たって、行政も防災に対する認識が変わりました。行政間の争いの時期でないとはっきりおっしゃいました。
次は、明石市立天文科学館大時計についてです。この時計は二代目で震災を受けて故障しました。私どもの大学のすぐ横に子午線一三五度線が走っております。私どもの大学祭は一三五度祭というふうにうたっており、本学には馴染み深いものです。そのくらい身近なものです。それを地域の共有財産として震災復興の願いとして風化させないという思いを込めて引き取りました。直径六・二メートル、重さ四トンです。明石天文科学館三代目大時計と同じ形の二代目は本学でちゃんと動いております
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4、震災一〇年を迎えての新たな活動(学生が中心となり企画)
震災一〇周年を迎えて新たな活動としては、学生が中心となった企画でした。もちろん大学はバックアップしましたが、学生を表面に出し、その学生達が、震災一〇周年事業を行いました。震災後にプロゴルファーになった古市忠夫さんや、京都大学防災研究所河田所長を呼んで地域の方々にも参加してもらい、防災シンポジウムを開催しました。また、実際に瓦礫に埋もれた人を助ける訓練もプロを呼んで、学生達を参加させて行っています。
一〇年たったら実際に自分たちが、いわゆる被災を受けた学生達も、避難所は知らない、非常用の袋、いやそんなものはない、と忘れさられてしまう。風化してしまう。危機意識が薄れてはいけないということで、学生達がシンポジウムを開いたということです。また、神戸市は、一〇年たったらいろいろな資料を処分します。いわゆる自治体では、文書規程がそうなっているようです。そこで、震災関係資料について、保存して欲しいということで、私どもの人文学部地域研究センターが受け取りました。今後の研究や地域のために供してくださいということでした。
(1)学際教育機構(防災・社会貢献ユニット)の設置
学際教育機構というものを開設しました。これはどういうものかといいますと、神戸学院大学は阪神淡路大震災を受けた大学です。防災社会貢献を十分考えていこうという新たなシステムをつくろうというのが起こりです。新しい学部だ、学科だと思っていただいたらよいのですが、それを通常の学則変更の手続きとして行います。(つづく)