特集・連載
高校進路指導室の扉―新しい高大連携・接続に向けて―
コロナ禍の進路指導
よりよい制度構築への試金石
大学入学共通テスト 初回の変則的実施を招いたもの
入学者選抜に最も必要とされる公平性・公正性。これが損なわれるとして再考を求める声が上がっていたにも関わらず、来年1月実施の大学入学共通テスト初回は、本試験を2回(第1日程・第2日程)実施するという異様な形態で行われる。7月の「予備調査」を経た段階では3万人程度が見込まれた第2日程受験者は、10月上旬に集計された最終的な出願では798人に留まり、当初危惧された大混乱は回避されそうだが、だからといってこの異常さを不問に付してはならない。
この事態は、「失われた1ケ月」によってもたらされたことを明記しておく。「失われた1ケ月」とは、「9月入学・9月始業導入の是非」を論じていた期間のことだ。
結果的に見送られはしたが、万が一導入の方向で舵が切られていたら、この夏から秋にかけての新型コロナウイルスの感染状況下では、想像を絶する状況が生じていたはずだ。
高校生の切実な声に乗じる形で、収束の兆しは全く見通せていなかったにも関わらず、議論を俎上に載せようとした全国知事会の節操のなさ、さらに安倍前首相の「前広」発言の定見のなさは、改めて記しておきたい。
これによって空費された5月の1ケ月間がなかったならば、導入初年度の共通テストの「汚点」のいくつかは解消された可能性もあった。
結果的に受理されないという、これも未聞の事態となった全国高校長協会の「入試日程全体を遅らせてほしい」旨の要望は、例えば2週間の後ろ倒しであれば、妥協案として実現可能性の高い発案だった。関係当局に突っぱねられた要因は、それを論じるための時間が残されていなかったからではなかったか。繰り言になるが、「9月入学・始業」を論じていた1ケ月が悔やまれる。全国高校長協会には無力感が残り、関係諸団体間の(例えば、私立中学高校連合会との)断絶さえ顕在化してしまった。
また、今回特例追試験という名称で行う一斉試験は、緊急対応用に備えられていた大学入試センター試験の問題だと聞く。本来であれば、共通テストそのものに、本試験用・追試験用に加え緊急対応用の3セットの問題群が備わってからでなければ、その導入はあってはならなかったはずだ。結果的に「間に合わなかったテスト」という印象を与えてしまった汚点も容易には拭い去れない。
責任ある立場にいる者が、半ば感情論に端を発した議論に首を突っ込むことこそ厳に慎むべきであろうが、それを突っぱねる気概も専門家集団には必要であろう。 同じ轍は踏まぬよう、今後に備えたい。
入試新制度?コロナ禍?「混乱」要因の見極めをしっかり
いささか暴言めき、かつ不謹慎でもあるが、声高に改革を訴え、新制度の拙速な導入を叫んでいた一部の関係者のなかには、本格的な受験シーズンが迫っても一向に収束の気配を見せないこの「コロナ禍」を幸運に思っている輩もいるに違いない。責任逃れができる。格好の言い訳になる。しかし、それを許すわけにはいかない。
共通テスト初回の混乱は必至だ。本来なら、大規模一斉選抜試験として30年以上にわたって継続され高い評価も得ていた大学入試センター試験に代わって導入されるのだから、念には念を入れて作問されなければならなかったはずだ。そこへコロナ禍の直撃、である。
まず多くの受験者を抱える英語・数学・国語の主要教科で混乱の可能性が高い。英語では、4技能のうちライティング力とスピーキング力は新たに組み入れる民間試験で測定しようと目論んでいたにも関わらず、肝心の民間試験が頓挫。導入を見越して変更された問題構成及び配点比は再検討されなければならないはずだが、その動きもなく当初の発表のまま、リーディングとリスニングのみの100:100。選抜で扱う各大学の配点比はバラバラだ。数学・国語の両教科は記述式問題の導入を先送りしたにも関わらず、改めてプレテスト(試行調査)を行うことなく本番を迎える。試験時間が70分のままの数学の問題構成は不透明。記述式問題の導入と同時に試験時間も延長され「実用的な文章」を含んだ3題構成を採るとしていた現代文は、大問が減ぜられ2題構成となった。時間はセンター試験と同じく80分に「短縮」されたが、2題にどのように「実用的な文章」を搦めてくるのかも不明のまま。これらの教科・科目の出題には、そもそもの制度設計に無理がある。
理科、地歴公民の各選択科目も例外なく混乱が予想される。なにしろ作問現場は「3密」状態の典型だ。作問作業が思うに任せない状況であることは想像に難くない。一説には、問題の点検作業は例年までの半分程度しか行えていないとも伝え聞く。準備不足は深刻だ。
改めて整理すると、英語・数学・国語で起こりそうな混乱は、制度の不備に由来する。さらに他の教科・科目でも起こりそうな混乱は、コロナ禍による作問作業の遅れに由来する。年度が改まり、令和3年度入試を総括するにあたっては、起こるべくして起こるであろう混乱の原因について、この両者の見極めを怠ってはならない。「新制度入試元年だったから仕方がない」とか、「コロナ禍の影響で仕方がない」とか、一方に安易に押しつけて済ませてはならない。大学入学者選抜は、この先も続く。両者の見極めを蔑ろにしたまま、課題を先送りしては、必ず二の舞を演じる。逆に、この総括がきちんと行われれば、令和3年度入試がよりよい制度構築に向けたターニングポイントになる可能性もある。ピンチをチャンスにする気構えが、何より求められている。各大学には、新年度入試の混乱事例を包み隠さず公表し、分析した上で、次年度以降に活かす姿勢を求めたい。
いかなる状況下でも「受験生保護の大原則」を貫け
不安材料が多いとはいえ、多くの大学が感染症対策に伴う対応・配慮のため、共通テストに依存せざるを得ない状況にあることもまた確かなことである。全国の大学のなかで、最も思い切った策を講じたのは、横浜国立大学に違いない。
一般選抜の前期日程・後期日程ともに個別試験を行わないという決断は、「受験生の皆様が安心して入学試験に臨み、培った学力を発揮できる安全な場をどのようにして確保するか」(出典:令和2年7月31日発出の長谷部勇一学長メッセージ「受験生の皆様へ」)を慎重に検討した結果だと言う。当初は、他から抜きんでた措置に疑問を感じたことも事実だが、時間が経つにつれ、この決断こそ「受験生保護の大原則」(倉元直樹東北大学教授の言)に則ったものであるとの意を強くした。
一方で、「失われた1ケ月」の後、6月初旬に開かれた「大学入試のあり方に関する検討会議」では、会議委員の有力私大学長から「2年前告知」のルールを盾に、「今後示される6月中の(新年度大学入試の対応策)発表に、従来からの大きな変更があっては混乱を招く」との発言があった。「2年前告知」のルールが、「入学志願者保護の観点」から設けられたことが明らか(文部科学省・「『高大接続改革』に係る質問と回答」3―4―4)であるにも関わらず、事実誤認に基づく発言が公然とされたことは残念だった。委員の発言のなかにある「混乱」は、多くはもっぱら大学側の日程調整や会場確保といった入試準備に伴う「混乱」を指しているのみで、その眼に、長引く休校措置の間、学業の遅れに不安を抱いていた現高校3年生の姿は映っていなかったようにも思える。
皮肉なことにコロナ禍は、現時点でさえ来春の大学入学志望者(とその家族)だけでなく、近未来の大学入学志願者(とその家族)にとっても、「大学を見る眼」を養う環境になってしまった。これからの姿勢にも、これまで以上の多くの労苦が求められることは想像に難くないが、各大学の誠意ある対応は、必ず関係者の記憶に留まり、将来の志願者獲得にもつながるはずである。
まだまだ予断を許さない状況が続くなかで入試シーズンが本格化することになるが、そうでなくてさえ新入試制度に翻弄され続けながらも日々机に向かっている現高校3年生が、「受験生保護の大原則」に守られた受験を貫けるよう、各大学には祈りたい気持ちでいる。