特集・連載
高校進路指導室の扉―新しい高大連携・接続に向けて―
コロナ禍の影響
翻弄される高校現場と高校生
今年1月2日、令和初となる新年の一般参賀で、「災害のない安らかな年になることを願っております」という陛下のお言葉。この願いを裏切り、今年が歴史に残る事態になることを、正月に誰が予想しただろうか。このお言葉の翌日の三日、外務省から、中国で正体不明の感染症が流行しているため、香港の駅、空港で感染予防処置が執られていることを旅行者へ注意を促した。これが、新型コロナウイルス感染症に関する国内初の省庁からの公式発表だった。
1月中旬、国内での初の感染者が確認されたが、まだまだ外国での出来事としか捉えていなかった。その頃、最期の大学入試センター試験も大きな混乱もなく終了。そして、1月末、武漢に滞在する日本人を帰国させるためのチャーター機を派遣することを政府が決定した頃から、新型コロナウイルス感染症についてテレビで放送される時間が増え始めた。新型コロナウイルス感染症が指定感染症と定められたため、学校では感染者が出たときの対応を確認する程度だった。卒業式に向けての対応を検討する都道府県もあったが、大幅に簡素化された卒業式になるとは、予想もしていなかった。
2月初旬、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の着岸検疫問題あたりから、テレビのワイドショーは新型コロナウイルス感染症にジャックされるようになる。全国数カ所で集団感染が発生、感染者数が少しずつ増え始め、不安が広がるが、積極的な予防に努める人はまだまだ少なかった。
2月末に、政府から全校一斉休校が通知されるが、まさか長期間休校になろうとは思いもよらず、十分な準備もできぬまま一斉休校に突入することになる。しかも、感染が広まっていない島嶼や山間部まで対応に迫られた。十分な根拠も説明されないまま発せられ一斉休校だったこともあり、当初、2週間程度の休校と楽観視していた人は多かった。しかし、事態は急変する。国内の感染者が急増、重篤者、死亡者、ヨーロッパ・アメリカへの感染拡大が報道されるようになる。一斉休校までの間に、様々な対応ができていればと思い返しても、もう後の祭り、限られた範囲で対処する以外に方法はなかった。
2月から3月というのは、年間でも忙しい時期で、学年末考査(問題作成、考査実施、採点、返却)、年間の成績処理、成績に関わる教科会・学年での会議を経て成績会議、成績不審者の指導、その保護者との面談、そして、新入生受け入れに関わる高校入試(会場設営、監督、採点、点検、合否決定)・発表・手続き、新入生への入学準備説明会、制服の採寸、新入生への物品販売、新学年の準備、卒業式に向けての準備、卒業式、大学入試の合否確認と進路先調査、合否結果に伴う進路相談、通知表作成、指導要録の記載、人事評価、分署の引き継ぎ、異動にともなう引き継ぎなど、役割を分担しながら教員はフル稼働の時期になる。しかも、細心の注意を求められる業務が集中する。その一方で、授業も終わっていることもあり、卒業式をはじめ様々な学校行事が行われる時期でもある。予餞会や球技大会、進路説明会、外部講師を招聘した講演会、中には、修学旅行を実施する学校もある。
また、部活動では、卒業する3年生が、3年間の集大成として卒業公演などの催しをおこなったり、吹奏楽部などは定期演奏会を開催したりする。それぞれの部は、三送会を開き、3年生は3年間を振り返り、在校生は別れを惜しみ、活動を継承する決意を固める。在校生は卒業生を、卒業生は在校生を思いやり、感動を演出しサプライズを考えるなど創意工夫をこらす主体的な活動である。在校生は使命感・責任感を高め、卒業生は高校生活への充実感や満足感をかみしめ、ともに成長意欲を高め、人格の形成に大きな影響を及ぼす機会となる。その機会が、今年、突然、失われてしまった。送り出される3年生にしてみれば一生に一度の機会であり、毎年行っている会なので、前々から楽しみに待ち望んでいる。それが、突然、中止になり、心の整理もできぬまま外出自粛となった。その気持ちを紛らわすような機会も持てず、教師は精神的なケアを十分に行えない状況となった。
また、各学校では、3月末か4月初旬に離任式を行う。離任する教師が、生徒に語りかける機会になる。ふだん教師の言葉に耳を傾けない生徒も、この時は、話をよく聴くものだ。生涯、心に残るメッセージとなることだってある。
友人同士でバンドを組んでいる生徒もおり、その生徒たちは学校とは関係なく外部会場を借りて卒業ライブを開いたりしている。そこには、学校の友人が多く参加し、運営スタッフとして友人が手伝ったりしている。日頃、練習し積み上げ努力してきたものを披露し、認め合い、相互に協力しながら、作り上げていく活動は、学校行事と同様、成長の大切な機会である。また、友人同士で卒業旅行を計画していた生徒もいる。学校がフレームを作る修学旅行と違って、自分たちで計画し、準備し、交渉し、寝食を共にする機会は良い思い出になるだけでなく、自立的な行動の機会でもある。コロナ禍によって、卒業ライブも、卒業旅行も消えた。
習い事はできなくなり、NPO団体を始めとする様々な組織が開催するイベントも軒並み中止になり、自発的に個性の伸長を図る機会も失われた。
ニュース報道では、授業や卒業式ができなくなったことが注目されがちだが、この期間は、生徒の成長の機会が、学校の内外にたくさんあり、それが、今回のコロナ禍により、失われてしまった。その影響は計り知れない。子どもたちは様々な体験を通して、他者との信頼関係を築いて困難に挑戦し、共に物事を進めたりする喜びや充実感を体得することによって、社会性や豊かな人間性を高めていく。コロナ禍に見舞われた生徒たちが失った体験の機会をどのように保障するのか、その議論は高まっていない。これは高校だけで対応できるものではなく、高大接続の大きな課題になる。
現高校3年生は、ご存じのように接続改革に翻弄された学年で、大学入学共通テストで予定されていた英語民間試験の活用が見送られ、それに続き、国語と数学への記述式問題導入も見送りとなった。新しい入試に向けて、準備を進めてきたものが、昨年末、突然の見送りの発表。英語民間試験や記述式問題については、昨夏から、問題点が指摘されてきたので、見送りについては概ね受け入れを認める感じだった。気持ちを切り替え、具体的にどにように入学選抜が行われるのか関心が向く中で、コロナ禍が起こった。予定どおりに、事が運ばないことを骨の髄まで痛感させられた子どもたち。学校の予定も、入学試験も、感染の終息もどうなるのか全く見通しもつかないばかりか、急変する家庭の経済状況に直面する生徒もいる。再開した学校は、タイトなスケジュールで授業が進み、感染防止で部活動も集会もこれまでのように行えず、学校生活を彩る学校行事を中止する学校も多い。生徒の「学校」「教育」に対するイメージ、期待は、変わってしまったのではないだろうか。コロナ禍の中、生徒はこれまでと同じ進路選択行動にはならないと予想するが、どのように変わるのかは、不明な点が多い。