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高校進路指導室の扉―新しい高大連携・接続に向けて―

英語教育で大切にしたいこと
―変化する大学入試にどう向き合うべきか(下)
鹿児島県立鶴丸高等学校教諭  大倉 秀心

九州本土最南端に位置する鹿児島県。東京で生まれ育った私に縁あって鹿児島県の高校教諭になってから26年が経過した。これまで四校の県内公立進学校で勤務してきた中で、鹿児島県の公立高校の特徴的な姿を、学生時代までを過ごした東京と比較しながら紹介してみたい。
赴任した当初にまず驚いたのは、生徒の通塾率の低さだ。私の高校生時代の東京では公立・私立問わず、大学入試を意識した生徒が塾や予備校に通うことはごく普通のことであった。しかし、鹿児島では高校入学と同時に塾・予備校に通う生徒はほぼ皆無であった。正確に言えば、高校生が通える塾・予備校がそれほど存在しなかったと言ってもよいのかもしれない。つまり、私が当初受けた印象は、鹿児島においては塾や予備校の役割まで全て公立の高校でカバーできているというものだった。長期休業中の課外や補講はもちろん、添削指導や放課後の自習体制など、学校だけで完結する進路指導で生徒達はそれぞれの進路志望を実現させていた。
しかし近年、グローバル化の波に呑まれ、世界の国々の文化や人々の生活が、特徴のない平板なものになりつつあるかのごとく、鹿児島の高校生の学習スタイルも私の高校生時代の東京のものと変わらないものになってしまいつつあるという印象を持っている。私の赴任当時と比べれば、鹿児島にも高校生対象の塾・予備校がかなり増えた。部活動や学校行事にも懸命に取り組みながら、学校の授業と自学だけで最難関大学にも進学していた状況が少しずつ変化していることは、学校の指導だけで生徒を進学させてきたという自負のある者としては複雑である。
もちろん、塾や予備校そのものを非難しているのではない。私も高校生時代、必要に応じて必要な時期に通ったことはある。学校の授業ではカバーできないと自分が感じた部分を補ってもらう意味では、課外授業などがなかった高校に通っていた私にとっては貴重な存在であった。しかし鹿児島の進学校の場合、これまでの卒業生の受験データや使用した教材などがしっかりと保管・活用され、現役生に手厚く指導できる環境が整っている。にもかかわらず、生徒達が自分の成績不振や受験に対する不安から塾や予備校に通ってしまうその気持ちの弱さに、以前の生徒達が持っていたタフさが感じられないことに危機感を感じるのである。
このように、生徒を取り巻く状況が変化していく中で、平成20年4月、県内の公立高校(普通科・総合学科系)進路主任の任意の研修会として「鹿児島県高等学校進学指導ステップアップ研究会」を私の先輩にあたる世代の先生方が発足させた。この研究会の設立に至った背景は以下の通りである。

  1. 本県はセンター試験の全教科受験率が他県に比べ高いとはいえ、センター試験の県平均点が近年は全国の下位に低迷している状況が否めない。
  2. 近年、県内公立高校の東大・京大等の難関大学に合格する高校が少ないため、難関大学に合格させるためのノウハウが、今後徐々に喪失されていくのではないかという懸念がある。
  3. 団塊世代のベテラン教員の退職や職員の年齢構成の若年化により、進学校の中でも精度の高い有益な進路検討会ができにくい学校も出てきた。
  4. パソコンの導入・車社会等の環境変化により、先輩・後輩あるいは同僚間の対話時間等が減少し、各学校で先輩教員から後輩教員を指導する機会が減少しつつある。
  5. 県内公立高校の進学実績の低迷状況打開に向けて、教員の相互研修を推進し、県内の高校生を県下で育成するプロジェクトが、今こそ必要ではないか。

また、本研究会が果たすべき役割として次の三点を挙げた。

  1. 生徒の学力向上のために、学習セミナーで生徒に知的好奇心を与え、精神的スタミナを向上させる。
  2. 教員の進路指導・教科指導技術等の向上を図る。
  3. 県外・全国の進路情報を収集し、本県の進路指導の活性化に役立てる。

以上のような経緯でスタートした研究会は、本校を含めた鹿児島市内進学校四校で事務局を2年ごとに持ち回って現在も継続している。
ここからは、私が本校進路主任をしていた時期にちょうど担当した本研究会事務局の2年間に行った行事を具体的に振り返ってみる。
なんといっても、本研究会の柱は県下生徒に対して行われる学習セミナー「郷中ゼミ」であろう。「郷中ゼミ」の名称の由来は異年齢集団の子ども同士が教え合い学び会う薩摩藩伝統の教育法からとったものである。県下の生徒達が学校を超えてお互い切磋琢磨しながら学び会う機会にしてほしいというものだ。
年2回行われ、本校を会場に3年生対象に7月、お隣の甲南高校を会場に2年生対象に12月、それぞれ難関大学を志望している生徒に対して授業が行われている。セミナーの講師を担当する教師は、各教科とも県内の公立高校へ事務局から依頼する。参加生徒の中には、県内トップの進学校を会場に、様々な学校から生徒が参加するこのセミナーに刺激を求めてやってくる生徒が多数いる。そのような生徒は参加するにあたり、予習や事前準備がしっかりとなされており、授業への関わりも積極的だ。今盛んに叫ばれている「アクティブラーニング」が自然と出来上がっているといえる。
担当する講師たちには、このような生徒達の知的好奇心を満足させる問題検討・作成が要求される。講師決定からセミナー当日まで、各教科の担当になった教員たちが学校を超えて問題検討を重ねていく。当日の授業は講師以外の教員も自由に参観でき、当日夜に行われる懇親会においては、授業についての意見交換が盛んになされ、貴重な授業研究の場となっている。
このように、生徒・教師が学校の枠を超えて触れ合う環境を提供できていることが本セミナーの大きなメリットだといえる。種子島や屋久島、奄美大島などの離島からわざわざ参加する生徒も多数おり、ある年には奄美大島から参加した生徒が東大に現役合格し、セミナーに関わった教員みんなで喜び合ったことが印象に残っている。また、このような生徒が地方の進学校から出てくることで、本校のような進学校の生徒が逆に刺激されるという効果も生まれている。
「郷中ゼミ」は、生徒に様々な刺激を与えるために、授業だけでなく講演やパネルディスカッションも取り入れた。本校が事務局のときには、広島大学の教授に講演を依頼したり、立命館アジア太平洋大学の外国人留学生2人にパネルディスカッションをお願いしたりした。これらを通して、生徒達は他校の生徒と活発に意見交換することができ、視野を広げるきっかけとなったという感想も多かった。
教員向けのセミナーも、その時代や時期に合わせてテーマを工夫した。様々な分野でコミュニケーション能力が話題となり、論理的思考の重要性が叫ばれている中、その土台となる「言語技術」を再認識するため、「つくば言語技術教育研究所」の三森ゆりか氏に講演を依頼した。このテーマに関しては中学校にも案内したところ、中学校の教員からの参加も多数あり、校種を超えた意見交換もでき有意義な講演会となった。
岩手県立高田病院前院長である石木幹人氏にも講演を依頼した。東日本大震災から3年(当時)。遠く離れた鹿児島で、震災についての記憶は少しずつ薄れつつあった。現場の医師を招き、震災当時のことや今後の医療・福祉の行方、これからの高校教育に期待することなどをお話しいただいた。この講演を受け、我々教師が鹿児島の子供たちをどのように大きく育むべきか、日頃抱えている悩みや問題点も共有し、意見交換をしながら互いの進路指導力を高める機会とした。同時にベテラン・若手教員の交流の場ともなり、医療関係の進路志望の多い本県の教育現場にとっては、示唆に富むセミナーとなった。
このように、学校単独ではなく、学校を超えた横の繋がりを維持することで、進路指導のノウハウが何とか継承できていることは貴重なことだと思う。
大学入試制度の変更やアクティブラーニングなどの教育方法、ICTの活用や変化する英語教育など、現場の教員は目まぐるしく変化する教育を取り巻く環境に常に対応を迫られている。
しかし、どんなに時代が変化しても、生徒を自立した一人の人間として育てるために必要なことは何なのかを常に考えることが、今の教師には求められていると思う。私が二六年前に赴任した当初、それぞれの学校に存在していた進路指導の地力のようなものを改めて掘り起こし、これからはそれを自校だけの財産にするのではなく、学校の枠を超えて共有・継承していくことがこれからは必要となると思う。
「先進事例」という言葉を無批判に受け入れ、本来あるべき自分たちの姿を見失うのではなく、時代の変化を鋭くキャッチしながら、今自分たちがとるべき教育のスタンスを考えたいと思っている。(つづく)