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特集・連載

教育改革

<上>インターンシップとキャリア教育上
―量的拡大は内容の質的高度化をもたらす―

日本インターンシップ学会常任理事・関東支部長・帝京平成大学教授 太田和男

 長期化・早期化する就職・採用活動を背景に、大学と企業との接続の在り方が問われている。ミスマッチの回避や学生の就業体験など、インターシップに期待が寄せられている。インターンシップの展開などについて、日本インターンシップ学会関東支部長の太田和男氏に寄稿いただいた。上下2回。

一、キャリア教育の一環としてのインターンシップ
 キャリア教育を職業指導・進路指導としてとらえれば、戦後、多様な形態で実施されてきているが、ここでは、総合的・体系的キャリア教育を対象として考えることにする。総合的・体系的キャリア教育とインターンシップとの関係について取り組んだ先行研究は、最近にいたるまであまり多くはない。その理由としては、インターンシップが米国で1900年代初頭から実施されてきたのに対し、総合的・体系的なキャリア教育は、米・日ともに近年、注目されるに至った概念であり、その定義が容易に定まらなかったこと、キャリア教育が広範囲な概念のため、伝統的な座学とは異なる新しい教育形態であるインターンシップとの比較が困難だったことなどがあげられよう。ちなみに、米国でインターンシップは1906年に初めて実施されたのに対し、キャリア教育の概念や言葉が登場したのは、1971年からである。一方、わが国でインターンシップが工場実習として実施されたのは1960年代であるが、総合的・体系的キャリア教育への取り組みが本格化したのは、文教大学の仙崎武名誉教授によれば、平成11年(1999年)の中央教育審議会答申以降であるといわれる。
 さて、立命館大学の加藤敏明教授「キャリア教育の現場から」によれば、米国でインターンシップがキャリア教育の一環として初めて位置づけられるのは、現在のキャリア教育の根幹をなす1989年全米職業情報整備委員会の「全米キャリア発達ガイドライン」においてである。
 一方、わが国では、2011年1月の中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(答申)が、『一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育が「キャリア教育」である。それは、特定の活動や指導方法に限定されるものではなく、(中略)また、キャリア教育の実施に当たっては、社会や職業に関わる様々な現場における体験的な学習活動の機会を設け、それらの体験を通して、子供・若者に自己と社会の双方についての多様な気付きや発見を得させることが重要である』としている。この文言の後段は、インターンシップをキャリア教育の一環として勧奨していると解される。以上から、日米において近年、公的にもインターンシップはキャリア教育の一環として、明らかに教学上推奨されてきているといえる。
二、産業構造変動の加速化がインターンシップを発展させる
 わが国では、1955~1973年の高度成長期において重化学工業化を牽引した技術革新に対応するため、工学院大学の横山修一教授によれば1960年代には、東洋大学、日本大学、玉川大学の各工学部が工場実習(インターンシップ)を開始した。さらに、1997年には、文部省、労働省、通産省の3省が主催した研究会で、インターンシップ全体の推進を明確にした。就業者数をみると、1992年に第2次産業はピークをつけ減少に転じたのに対し、第3次産業では急増した。1992年~2010年までの就業者数をみると、第2次産業は624万人も減少したが、医療・介護、ITなどが急伸した第3次産業は548万人の大幅増加である。ベルリンの壁崩壊後の新興国市場の急成長、グローバル化の進展に伴う国際競争の激化、IT化、高齢化などの環境変動により、製造業の雇用は海外に流出し、国内では産業構造のサービス化が、90年代後半以降には事実上、金融引き締め政策の継続によるデフレ経済の定着と相まって進行した。産業構造など経済環境の大変動は、企業の革新的な業務内容や自己の適性を知らないで進路を選択するケースを増やすため、1996年には新規学卒就職者の3年以内の離職率が中卒で7割強、高卒で5割弱、大卒で3割強に達した。また2003年にフリーターは217万人、若年無業者は64万人に達した。こうした就業環境の不安定化は、インターンシップ導入の必要度を高めた。
 インターンシップ先進国の米国でも状況は同様である。1900年代初頭、リーハイ大学に勤務していたハーマン・シュナイダー氏は、工学系学生にとって伝統的な授業は不十分であると感じていた。彼は、就職や就職先で成功している卒業生が学生時代に勤務経験があることをインタビューを通して知り、1901年にコーオプ教育を考案した。1903年にシンシナティ大学に移籍し、1906年に工学部長に就任した際、インターンシップという革新的教育形態を初めて導入した。それは重工業化に伴う技術革新への対応に教育が遅れ、学生の就職困難に対応するためであった。
 1960年代以後、米国において、文系のインターンシップも急速な発展をとげ、現在ではほとんどの学生が経験しているといわれる。その背景にある要因は都市化や、日独などにおける製造業の急激な台頭、情報化によりサービス経済化が急テンポで進行したことなどである。こうした歴史的視点からすれば、インターンシップは環境激動の時代が要請し、時代の産業構造変動に対応して発展する教育の一形態といえよう。
三、インターンシップの量的増加は飛躍的な質的向上をもたらす
 日米とも、インターンシップはイノベーションなどによる産業構造変動の影響を真っ先にうける工学系学部で開発・導入されてきた。今後、我が国では、グローバル化、新興市場の急成長、TPPの導入、技術革新、IT化、高齢化、サービス経済化等が、産業構造の変動を一段と加速する見通しである。そうしたトレンドは、革新的かつ秀逸なインターンシップへのニーズを強めよう。インターンシップを導入する機関や体験学生の増加は、競合教育機関より高い効果を上げるための、インターンシップ・プログラムの内容やカリキュラム内におけるインターンシップの効果的位置づけをめぐる競争を激化させる。近年の国際・PBL(課題解決学習)・地域活性化型など理論実践型や一般就業体験型におけるプログラム内容が革新的で秀逸なインターンシップの登場は、その量的拡大が質的向上を引き起こしていることを示す。秀逸なインターンップには、国際インターンシップや、国内において、地域振興、観光地振興、ものづくりなどを目的に、国際性を備え、ネットを活用し、地域・産業・大学・官庁間を連携・融合させ、商品・サービス開発・就業体験などの持続的推進を目指すケースもあろう。量的拡大に伴う質的向上への転換は、同時に、企業には従業員の離職率低下による生産性向上を、国家には成長による所得増加などをもたらそう。