特集・連載
教育改革
-5-教育工学とFD
授業料無償は実現可能か
新コンセプトの高等教育機関を提案-下
授業料無償は実現可能か
わが国の教育基本法は、国際的な視点からみると学習権についての認識が不十分であることを指摘した。それでは学習者の視点から見たときに、どのように表現できるだろうか。主語を学習と言い換えてみよう。
学習の目的及び理念
(学習の目的)
第一条 学習は、変動社会において人間の尊厳を尊重しつつ生活を安定させるために、変化する専門的職業に対応してたえず新しい職能を習得することを目的とする。
二 学習は、社会に貢献することを目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を習得することを目的とする。
(学習の目標)
第二条 学習は、その目的を実現するため、人間としての尊厳と学習権を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行う。
一 個人の学習権を尊重し、その能力を伸ばして創造性を発揮し、自主及び自律の精神に基づいて、職業及び生活との関連を重視した専門的知識と技能を習得する。
二 幅広い知識と教養を身に付け、平和と共生を希求する態度を身につけ、職業倫理を尊重するとともに、健康な生活が享受できるように身体を鍛える。
三 公平と責任、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与できる能力を習得する。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与できる態度と能力を習得する。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、国際社会の平和と発展に寄与できる態度と能力を習得する。
(生涯学習の理念)
第三条 国民一人一人が、変動する社会にあって、経済的に安定した人生を送ることができるよう、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる専門的職能習得のための生涯学習社会を実現することを目指して独学協学の普及に努める。
以上のように表現したとき、これを学習基本宣言と呼んでおこう。
学習基本宣言に賛同する人に学習権を認めて、学習の機会を無償で提供することが可能であろうか。
これが研究課題である。このときの学習を開発する方法論を学習工学Learning Technologyの研究に求めることができる。
京都レッツラーン大学校
京都府がNPOを対象に提案型事業を公募したが、それに「セイフティネットとしての京都レッツラーン大学校」として応募したところ採択されたので、現在、その構想の実現に向けて鋭意努力中である。
現在の大学を授業料無償にすることは困難であるので、新しいコンセプトの高等教育機関を開設する必要がある。その点でこの大学校の対象者は、次のような生活困窮者の中で新しい職能を習得することを目指している人財であり、これを新職能人財と定義する。
・失業給付金の受給者とその家族
・生活保護給付金の受給者とその家族
・第1五分位階級(厚生労働省の区分、平成17年度で209万円以下の所得)の家族
・外国人労働者とその家族
・その他上記に相当する生活困窮者
前回に紹介したOECDのグラフについて、この大学校はどの位置にプロットできるのであろうか。
図1の中に日本が今後進むべき方向を矢印で示したが、それには次のような可能性がある。
A:現状のまま
B:授業料は現状のままで奨学金などを充実する
C:奨学金などは現状でもよいが授業料を安くする
D:ゼロからの出発。全く新しい公式外学習(nonformal learning)の高等教育(大学以外)を構想する
E:その他
以上のような方針が挙げられるが、この大学校は新職能人財に対してDに相当する学習の機会を提供することを目指している。
このような構想は全く根拠のないものではない。ヨーロッパで1088年にイタリアのポローニァで大学が始まったときの形態である。ポローニァは当時の交易の中心地として栄えた都市であったが、商取引を扱う法律が不十分であったので、それを整備するためにヨーロッパ各地から法律学者が招かれた。その知識を求めて各地から学生が集まったことがきっかけとなって、一種の共同組合を結成したのがポローニァ大学の始まりといわれている。学長は学生の中から選ばれ、完全な自治組織として出発した。教授は招かれて講義をしたのであるが、知識は神聖なものと考えられていたので、現在の受講料に相当する謝金がお布施として支払われた。
この大学の900周年を記念してヨーロッパの大学の学長が集まったが、そのときに大学大憲章が発表された。実質的には10年後の1999年のポローニァ宣言として現在のヨーロッパの高等教育の改革の基盤となっている。現在進行しているポローニァ計画は、わが国の一流大学に相当する大学を対象としたものではなく、庶民の集まる三流の高等教育機関をも含めた全ての人を対象とした高等教育のユニバーサル化なのである。
わが国で大学進学者が増加して、全入に近い状態の大学も増加したことで、あたかもユニバーサル化が進んでいるかのような議論があるが、全くの誤解である。高等教育のユニバーサル化とは、所得の高い人も低い人も同じ権利で高等教育を受けることができることを意味する。
わが国の高等教育がユニバーサル化するかどうかはまだ疑問の余地があるが、ヨーロッパでICTの活用が活発になっている背景には、以上のような事情があることを見逃せない。
学習開発のパラダイム
学習者の視点からの授業開発では、教育目標を分析して細分化する方法が適用できない。これまでの教育工学での授業設計の方法論では解決しないのである。
そこで私がこれまでに大学教育で経験し修正してきた方法を紹介しよう。
研究の発端は2000年の「教育方法学」の授業で、281名の学生をグループに分けて実施したことから始まった。その後試行錯誤を繰り返し、現在までに三段階で進展している。
第一期 内容系列化方式
2000年-02年、学習すべき内容を15回の授業に細分し、それを学習の進展状況に合わせて修正する方法を採用した。多人数の授業で進度を調整することや早く学習する学生への対応が困難であった。
第二期 PP方式あるいは問題解決・プロジェクト方式
2003年-07年、開発当初は問題解決方式を採用したが、学部学生では問題解決がかなり困難で抽象的であったので、プロジェクト方式で学校を構想する課題にした。チーム内で学力差が極端に大きいときに、その人に過重の負担がかかるという課題が残った。
第三期 学習者成長モデル
2008年以降、参加者一人ひとりが自分の状況を認識して自律学習し、チーム内のメンバーと相互に協働学習しながら自分の成長を確認できる構造にした。この方式を中学校初任者研修で実施して有効に機能することを確認している。この成長モデルを図2に紹介する。さらに具体的な授業設計には図3のMACETOを参照している。
以上、2000年以来の実践的研究から次の仮説を形成することができた。
仮説:授業過程の設計はメタファー、イメージ、モデルおよび命題の集合体として記述できる。
これまでわが国の教育研究ではあまりにも安易に外国の研究を理論と称して紹介することが多かった。しかし、教育は文化的、社会的、歴史的にそれぞれ固有のものであって、地域性こそ重要である。最近、グッド・プラクティスが重視されているが、インターネットが普及して研究のパラダイムは大きく変化した。普遍性よりも優れた実践事例がより役立つ。とくに高等教育のユニバーサル化については新しいパラダイムが求められているので、海外にも紹介できる優れた実践例が期待されている。