特集・連載
教育改革
-2-恵泉女学園大学のコミュニティ・サービス・ラーニング
恵泉女学園大学(木村利人学長)の人間社会学部では、日常的かつ継続的に現場を体験する科目として、コミュニティサービスラーニング(CSL)という専門科目を置いている。サービスラーニングは、サービス(貢献)とラーニング(学習)をつなげ、ボランティア活動を学外で行い、その体験を通して学びを獲得することを目指す教育である。地域(コミュニティ)におけるサービスラーニングについて、同大学で取り組みを進めている山本悦子人間社会学部国際社会学科特任教授に寄稿して頂いた。
Ⅲ 活動に参加した学生の声から考察
福祉分野で活動した学生(最も数が多い)のレポートから、学生にどのような変化が生まれたのか、あるいは関わった方々や社会への見方にどのような変化があったのかをご紹介したい。活動開始時、多くの学生は一人で行くことの心細さ、初対面の人との関係作りや会話への不安を抱え、緊張感が強い。徐々に利用者や職員等と打ち解けていくにつれ、心を揺り動かされ、それまでの考え方を再考させられる貴重な体験をしている。(以下「」内は学生のレポートから引用)
1. 自己を含め社会の偏見に気づく
例1. 児童養護施設で活動をしたHさん
「私は関わる根底に“かわいそうな子”という視点があったのだと思う。改めてそういう対象として見てはいけないし、施設で生活している子たちがイコール惨めな子ではないのだと思った。むしろ周りがそう思うから“惨めな子”になるのではないか。親と暮らせずに、知らない子と過ごす。普通の境遇ではないが、“かわいそうな子”にするかしないかは社会全体にかかっていると思う」
「“知る”ことが大切だということを学んだ。事実を知ることで、自分の視点も考え方も変わる。同情も一種の偏見だということに気づかされた。そのことを体験を通してできたことがとても貴重だったと思う」
施設の子どもとの関わりを通して、自己の偏見に気づかされたと同時に、子どもが生活する社会で他者からどのように見られているかが、その子どもにとって重要な意味を持つことを教えられた。しかも、そのことを説明され、諭された訳ではなく、体験を通して気づかされたことについて、Hさんは「体験を通して(理解)できたことがとても貴重」と指摘している。このような“学び方”こそがCSLの真価である。
体験学習の特色は受身の学習ではなく、学生個々の主体的な学習である。しかしその場に居合わせたならば誰でもが自ら気づき、学習効果を生むとは限らない。活動しながら絶えず考え、悩み、感じ、周囲の人々から学び取る姿勢がなければ、せっかくの学びのチャンスを見過ごすこともある。そして受身でなく主体的な学びであるという緊張感を持続させることがCSL活動の難しさでもある。
2. 高齢者へのまなざしと介護への理解
例2. 高齢者施設でCSLⅠの活動をしたIさん
「活動を始める前の老人ホームに対する考えは“生活の大半は職員さんに制限され、暮らすというよりも生きる”というひどいイメージを持っていて、暗い印象でした。ですが、みなさんの“生き生きした表情”や“好きなことをして楽しんでいる時の話し方”や“笑顔”をみていると、活動的で快適に暮らしているという印象を受けました。また、高齢者に対する見方も変わりました。電車や駅の階段や、街で重い荷物を持っている高齢者の方を見ると、気になって仕方がありません。ですから電車の中では声をかけるように努力しています」
例3. 高齢者施設でCSLⅠ、Ⅱの活動をしたMさん
「介護の実態も少しずつ見えてきて、その重要性も感じました。とても身近な問題なのでもっと学生の私達にも出来ることがたくさんあるので関わっていけたらと思いました。他にコミュニケーションの大切さや相手の立場からものを見る大切さも学びました。簡単そうに思っていたことが本当は一番難しかったり、新たな発見がありました。この活動は、教えられて学ぶというよりも、自分がどう感じたか、気づいたかに意味があると思います。一日だけの短い期間より長く続けることで、だんだんと内容が濃くなっていくので、これからも続けられればいいなと思いました。そしてもっとこの活動に興味を持つ学生が増え、たくさんのことを感じて学べば、将来の自分自身の問題だけでなく、社会のいろいろな問題の解決につながるのではないかと思います」
特別養護老人ホームでCSLⅠの活動をしたIさんは、はじめは認知症の方との初めてのかかわりに戸惑い、どのように会話をつなげていけば良いのか悩んでいた。次第に一人ひとりの名前と顔を覚え、職員の助言により会話のコツも解ってきた。その過程で「高齢者に対する見方も変わり」、施設の利用者のみならず街で出会う高齢者にも同じ思いで接するようになった。
MさんはCSLⅠでは高齢者のデイサービス、Ⅱは特別養護老人ホームと続けたことで、特に介護について関心が深められた。介護は他人事ではなく、「とても身近な問題」として捉え、福祉を学んでいなくても出来ることがあると指摘する。Iさん、Mさん(その他の学生も)一様に、高齢者施設のイメージを勝手に暗く停滞した生活と決めつけがちである。しかし、入ってみると予想外の明るさや生活の活動性にまず驚かされ、私にも出来ることがあると身近に捉え直すが、他方介護職員の人数の少なさと忙しさには驚き、介護問題の深刻さを考えさせられている。
特に、MさんがCSLについて「この活動は、教えられて学ぶというよりも、自分がどう感じたか、気づいたかに意味があると思います」、「長く続けることで、だんだんと内容が濃くなっていくので」と二点を指摘していることに注目したい。前者については、前出のHさんからも指摘されているが、後者の“継続することの意味”の指摘は、ボランティアではなくCSLの活動であることの特性にかかわる重要な点である。しかし継続をさらに意味深いものとするには、体験をやりっぱなしではなく記録に記述し、教員とふりかえりを通して言語化し客観化する過程も必要とされる。時には学生は意味ある体験をしていても、その重要性に気づかず通り過ぎてしまうこともある。立ち止まり再考を促すことや、知識不足のために理解が不十分な点を補うことで一層学生の気づきは深まる。
さらにMさんは、「たくさんのことを感じて学べば、将来の自分自身の問題だけでなく、社会のいろいろな問題の解決につながるのではないか」と述べる。まさに「感じて学ぶ」は、知識偏重の教育のなかで現在最も求められていることである。頭でっかちの教育ではなく、身体を動かし心を揺さぶられて学ぶとは体験学習の核心であり、しかも「社会のいろいろな問題の解決」はコミュニティサービスが目指していることでもある。CSLⅠからⅡへ進む過程で自己や周囲の人々だけでなく、Mさんは社会へと視点を広げおぼろげながらも社会の問題意識へと展開させている。
3. 大学のプログラムから自分の生き方へ
例4. 障害児のデイサービスでⅠ~Ⅲを終了したSさん
「初めて行った時は本当に驚きの連続でした。この活動先を選んだ理由は単純に子どもが好きという理由だけでした。障害を持った人も子どもにもほとんど関わったことのなかった私は、障害児という子どもが一体どんな子なのか、どんな受けいれ方をしてくれるのかとても不安でした。(略)とりあえず“大きな声ではきはきと話す”ことが精一杯で毎回朝の会が始まると緊張しっぱなし」と活動開始当時の様子を記録に残した。一、二ヶ月と通ううちに歩行、食事、トイレの介助を教えられ「最初の頃は今以上に失敗を恐れていました。しかし、周りの先生方に優しく教えていただいて、何とか今では一人で介助できるようになりました。やってみれば意外と福祉を専門に勉強していない私にも出来ることというのは沢山あることに気付きました」と意欲的になった。
そして、一ヶ所で一年間じっくり活動したことで、子ども達の成長と親子関係の理解を深め、この団体が行っている他の活動等にも参加し、Sさん自身予期しなかった成果を生んでいる。CSL活動の動機は、人見知りがちな性格を直すために多くの人との出会いを体験しようという個人的なものであった。しかし、活動を続けた結果、一人ひとりの子どもに対応したケアの必要性と方法を習得しただけでなく、子どもを取り囲むさまざまな人間関係へと視野を広げ、子どもの理解について深まりと広がりを見せている。さらに、「家族の方も参加できるプログラムの時は、私達は家族に見せる(子どもの)笑顔を見れたり、家での様子を聞くことも出来て助かります。その代わり私達もなるべく子ども達の家とは違う笑顔を家族の方にお見せできるように努力しなければなりません」と、ケアチームの一員としての責任感ものぞかせている。
活動を続けられた理由の一つとして「沢山の出会いに恵まれました。その中でも、私と同じ年代のボランティアの学生達との出会いはとても支えになりました」と述べている。CSLの活動に参加したどの学生も、多様な人々との出会いが豊かな学びを自分にもたらしていることを実感している。「もしCSLの活動をしていなかったらきっと出会うことはなかった」、「このような生活をしている人達が社会にいることすら気にも留めずにいた」などと、学生は狭く一様な人間関係の中にしかいなかった自分の生き方に驚き、社会の多様性に眼を向け始める。
CSLプログラムの終了後、Sさんは続けてボランティアをしたいと活動先に希望を出し、今はアルバイトとして採用され、いつの間にか必要とされる存在となっている。大学の体験学習として始まった小さな挑戦は、社会に関わっていくことの意欲と自発性を育て、コミュニティサービスの意義を自らの生き方と重ね始めた。CSLがめざすものは、身近には学生個々の学びと成長があるが、そこに留まらず社会の一員として“私はコミュニティに何ができるのか”を考え行動していく市民の育成にあると考える。プログラム終了後、学生時代に“貴重な体験が出来てよかった”で終わってしまわないように、学生個々にとってのCSLの意味の検討が求められる。