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高等教育の明日 われら大学人

<75>次世代バイオ固形燃料を開発
近畿大学バイオコークス研究所  
井田 民男教授

エネルギーの自立できる世界を
スタバと連携 地球温暖化や省エネ対策推進

 地球温暖化や省エネルギー対策の推進が世界的課題で、化石資源から再生可能なエネルギーへの転換が叫ばれている。井田民男近畿大学教授(近畿大学バイオコークス研究所所長)は、脱化石資源、特に石炭コークスの代替燃料としてバイオコークスを開発。次世代バイオ固形燃料として、「持続可能な再生可能エネルギーの創出」と「エネルギー争奪のない世界の実現」を目指す。現在、国内・海外のバイオコークス事業の普及拡大の促進とともに、この分野の次の担い手を育てている。大手コーヒーチェーン「スターバックスコーヒージャパン株式会社」と連携し、スターバックス店舗から排出される廃棄物をバイオ燃料化するプロジェクトにも取り組む。「産官学連携、異分野研究、国際連携を推進しながら、複合領域での革新的な研究と教育に取り組んでいきたい」と話す井田さんに、これまでの歩み、現在の取り組み、これからを聞いた。

 最初に、バイオマスとバイオコークスについて尋ねた。「バイオマスは、稲わら、もみがら、間伐林、お茶かす、コーヒー豆かす及びジャガイモの皮、ミカンの皮や茶滓など台所から出る植物性廃棄物の残さなど再生可能な、生物由来の有機性資源のことです。
 バイオコークスは、バイオマスを原料として製造する固形燃料です。光合成を行う植物資源等を100%原料にしているため、環境にやさしい(Co2排出量ゼロ)次世代エネルギーとして期待されています。極めて高いポテンシャルを持っています」
 3.11東日本大震災後、バイオコークスは、「がれき」や「放射性汚染物質」の容積を減少させる技術に応用でき、長期保存が可能なことが判明。「がれき」のバイオコークス化で、エネルギーと環境問題を同時に解決できる可能性が出てきた。福島県川俣町でのバイオコークス実証事業を行い、その有効性を実証した。
 井田さんは、1962年、大阪市城東区鴫野に生まれる。「京橋や大阪城の近くで、カネボウの社宅などがある住宅街でした。おとなしくて、ちょっと暗いこどもでした。小学校時代は、土曜日はサッカースクール、日曜は野球という毎日でした」
 「野球は、ジュニアでは4番でキャッチャーを務め、強いチームでした。野球の名門高校へ行ったメンバーもいました。中学2年まで続けたのですが、体が悪くなってやめました。勉強は、真面目にやっていたけどテストの成績は伸びなかった」
 府立淀川工業高校へ進む。「父親が造船業界で旋盤工をやっていたこともあって、機械科に入りました。高校に入ってから勉強がおもしろくなりました。数学が特に力が伸び、他の機械設計や機械製図など専門科目も楽しくなって...」
 高校3年の時、大阪府立工業高等専門学校に編入学した。「高校に入るころは、卒業して松下電器に入ろうかと考えていましたが、卒業を前にして航空機の整備士に憧れました。そこで、もう少し勉強しようと高専に進みました」
 「僕は、編入学人生なんです」というように、府立工業高専から、豊橋技術科学大学に編入学、エネルギー工学を専攻した。「石油、石炭から電気をつくるエネルギー屋になろうと思った」
 豊橋技術科学大学では、故・大竹一友研究室で燃焼工学に関する研究を行い、マイクロフレーム(超小型の火炎)の研究に勤しんだ。「マイクロフレーム研究は、髪の毛ぐらいのパイプを使い、火はどのように燃えているか、を調べていましたが、直ぐに社会に役に立つ研究とは言えませんでした」
 豊橋技術科学大の大学院に進み、1987年、同大学院工学研究科修士課程エネルギー工学専攻修了。2年間教務職員を務めた後、三重県にある近畿大学の熊野工業高等専門学校(現近畿大学高専)の教員となり、機械工学を教えた。
 95年、豊橋技術科学大学で博士(工学)取得。2000年、近畿大学理工学部に移り講師となる。当時、日本では、「バイオ」がブームになろうとしていた。バイオマス・ニッポンが閣議決定され、バイオ研究が大学や研究機関で花盛りに。
 「当時、バイオエネルギー研究では、バイオマスを液体化したり、ガス化して電気を起こしたりが主流でしたが、私は、バイオマスは元々、固体なので固形化にして、固体エネルギーらしく利用する研究にのめり込みました。周囲からは、あまり注目されませんでしたが、BCDF研究会を作って仲間とバイオ研究を始めました。その仲間が今のバイオコークス研究所の礎を作っています」
 地道で困難な研究が実り、05年頃に開発に成功、バイオ固体から新しいバイオ固形の燃料が出来た。「うれしかったが、何が起こったのか、わからなかった。なんて、不思議な燃料なのかと思いました。バイオコークスと名付けました」
 07年にバイオコークスプロジェクトがスタート。「バイオコークスの基礎研究だけでなく、バイオコークス量産装置や専燃ボイラーの開発、溶解実証試験を実証。バイオコークスの普及活動や再生可能エネルギーに関わる教育活動にも取り組んでいます」
 08年、近畿大学理工学部准教授、13年、近畿大学バイオコークス研究所所長となった。この間、全国各地でバイオコークス技術が実用化されるようになった。
 「青森県では、リンゴの搾りかすからバイオマスを、秋田県では、森林資源からバイオコークスを製造。長野県や和歌山県では、キノコからバイオコークスを製造しています。新潟県の蕎麦屋さんは、製粉した際に破棄されるそば殻からバイオコークスを生産しています」
 スターバックスの排出される廃棄物をバイオ燃料化するプロジェクト。神戸市、スターバックス、近畿大学の産官学が一体となり、ごみ処理量の削減による"環境貢献都市KOBE"を実現するのがねらい。
 「神戸市内のスタバの店舗から排出されるコーヒー豆かす、カップ等のすべての店舗廃棄物ならびに市内の剪定枝等を原料として、近畿大学開発の植物性廃棄物から製造できる次世代型固形燃料のバイオコークスを製造します」
 神戸市は、食品廃棄物等について、既存の再生処理事業者に一般廃棄物処分業の許可を行い、肥料化、飼料化等による資源化を図ってきました。今後、市内で発生するバイオマス等の地域資源を循環させるモデルの構築を目指している。
 現在、実証実験を行っている。「バイオマスを地域資源として循環する取組みの実現可能性を検討し、将来的にごみ処理量やCO2排出量の削減を実現するだけでなく、地域資源循環モデルを"見える化"することで、市民の環境意識の醸成を図っていきたい」
 14年、近畿大学理工学部教授となる。いまの学生について、どう思っているのか。大学のHPには、こうあった。「幅広い視野から物事を観る眼を養い、自然現象を解き、導き、社会に貢献できる実学を勉強してください」。改めて尋ねた。
 「勉強することが多過ぎるのか、余裕がないような気がする。もう少し、余裕をもって、自分の興味あることを探し、のめり込んで勉強や研究をしたらどうかと思う」若い研究者について、聞いた。
 「かつては理化学研究所で、最近では京大のIPS細胞研究所で、若い研究者の不祥事があった。いい研究をして認めてもらいたいというのはわかるが、ゆとりがないみたい。論文の質はもちろんだが、論文数などの業績主義の風潮は,気の毒で、やりたい研究におもしろさを見つけて、どっぷり取り組んだらどうかと思う」
 これからを問うと。「化石資源から再生可能なエネルギーへの転換は、各国共通のバイオ資源の有効活用に係っています。バイオコークス研究所所長として、これに真正面から向き合い、環境とエネルギー問題を同時に解決しながら、エネルギーの自立ができる世界を目指したい」
 最後に、こう語った。「バイオコークスは、まだまだ火力発電では、もの足りないところがあり、石炭性能に届いていません。この革新的な技術を発展させるために基礎研究に立ち返り、鉄鋼分野でもさらに、かつ電力分野へも利用できるようなバイオエネルギーを生み出したい」
 夢が現実となる日も近いかもしれない。

いだ たみお

近畿大学バイオコークス研究所所長(教授)、所属・専攻は、メカニックス系工学。1962年、大阪府生まれ。豊橋技術科学大学卒。同大学院修士課程修了。熊野工業高等専門学校(現・近畿大学工業高等専門学校)勤務を経て、2000年、近畿大学理工学部に移る。05年、アメリカの州立ケンタッキー大学にて在外研究。08年から現職。11年、新エネ大賞 資源エネルギー庁長官賞、12年 地球温暖化防止活動環境大臣賞、15年 日本鋳造工学会 豊田賞を受賞。趣味は、バイクツーリング、ヨットセーリング、スキー、家族旅行。