特集・連載
高等教育の明日 われら大学人
<87>大学入試志願者数日本一の仕掛人の近畿大学総務部長
世耕石弘さん
個性的でインパクトある広告
改革は止めない 「大学の序列の壁壊したい」
躍進には、広報戦略が大きく影響している。私立大学入試の志願者数で近畿大学(細井美彦学長、東大阪市)は、今年も全国1位となり6連覇を達成。仕掛人は、同大総務部長の世耕石弘さん(50)。2007年に民間企業の広報担当から近大に転進、同大広報担当として学生募集の広報・広告を改革。17年の元日の新聞広告で「早慶近」と早稲田大と慶應大に近畿大を並べたコピーで世間を驚かせた。個性的でインパクトのある広告を出し続けている「関西では、『関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)』『産近甲龍(京都産業、近畿、甲南、龍谷)』と呼ばれる大学の序列が長年固定され、入れ替え戦なきリーグ戦が続いています。この壁を壊すためにさまざまな戦略を行ってきた」と語る。大学創設者の世耕弘一氏の孫で、兄の弘成氏(現・経済産業大臣)も4代目理事長を務めた。「創立者一族だから、できる」なんて外野の声に「人に言えない創立者一族ならではの苦労もある。そんなこと言っているから、何もできないんだ」と意に介さない。
1969年、奈良市に生まれた。地元の小学校に進む。どういう子供でしたか。「勉強嫌いで、宿題を忘れて怒られたり...。ただ、親から塾に行かされて、みんなと遊びたくても遊べなかったという思い出があります」
同志社香里中学・高校に進学。「中学時代は、高校受験の心配がないので勉強せず、陸上競技やバレーボールに熱中しました。高校でもやはり勉強はしなかった。3年間、少林寺拳法部に入って汗を流しました」
同志社大学文学部に進む。「歴史が好きで、当初、考古学を専攻しようと思いました。しかし、考古学マニアばかりで、これでは通用しないと文化史学科の日本史専攻にしました」。卒論は、体育会の日本拳法部にいたこともあり新撰組。
「新撰組の戦いの強さを解析しました。新撰組の幹部のほとんどが、天然理心流という剣術の流派でした。突きを多用する剣法で、京都においては、室内のゲリラ戦が多く、それで力を発揮できたとまとめました」
92年、同志社大学卒業後、近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)に入社。「字が上手でないので、体を動かす仕事がいいとホテル部門を志望、2年間の現場実習の後、大阪やロサンゼルスの系列ホテルで7年間勤めました」
そのあと、近畿日本鉄道の広報担当に。「事故対応の広報で、きらびやかな広報ではなかった。会社立て直しの時期で、近鉄バファローズの統合では、ファンから抗議が殺到、対応に追われた。でも、スポーツは人を感動させ、失望させ、怒らせるコンテンツだと知ったことは、のちの大学広報で役に立ちました」
07年、近畿大学に転職。「近大へ行くという意識はなかった。あんな恐ろしい父の下で働くつもりはなかった」が、近大関係者から誘われた。「たまたま入試広報担当のベテラン職員が定年を迎え、広報の専門家を探していたんです」
しばらく悩んだ。「近鉄の広報担当課長として、子会社の整理や施設の閉鎖など後ろ向きな記者発表が続き、精神的にも疲れていました。最後は、『世耕の名を背負っている以上は逃げられんやろう。覚悟を決めたらどうや』と口説かれ決断しました」
近大でのポストは、入学センター入試広報課長。「学生募集が中心の広報で、私は大学入試の経験がないので知らないことばかり。共通入試やセンター試験も知らず部下に笑われる始末」。入試の募集ポスターや大学案内作りから入った。
「大学案内は文字だらけでわかりにくく、ポスターは、近大に限らず、どこの大学も個性がなく大学名を隠すと、どこの大学かわからなかった。このへんから変えようと高校や予備校を回るなどして、大学入試の仕組みや応募状況などを聞き回って、頭に叩き込みました」
11年の新聞の正月広告は、大きなマグロの写真と『世界がそうくるなら、近大は完全養殖でいく』のコピー。マグロの漁獲制限する世界に対して世界初のクロマグロの完全養殖に成功させた近大が「異議申し立て」するような広告だった。
「この広告がフジサンケイ広告大賞を取り、少し自信がつきました」。これ以降、『近大には願書請求しないでください』、『近大をぶっ壊す』、『マグロ大学って言ってるヤツ、誰や?』、そして『早慶近』と次々に新聞各社の広告大賞を受賞。
『近大には願書請求しないでください』は、インターネット出願開始時の広告。「大学入試の経験がないので願書のあまりの細かさに驚きました。しかも毎年、用意した13万部の願書の3万部は廃棄していることを知り、おかしいと思った」
ネット出願には、受験者も大学当局も否定的だった。ネット出願すると、3万5千円の受験料が3千円割り引かれる「エコ出願」が受験生をとらえた。14年から「完全ネット出願」に移行、受験増につながり、多くの大学が追随した。「大学入試の未経験者が大学入試を変えたんです」と笑った。
伝説の「早慶近」の広告。「世界の大学の研究や教育の状況を調査した『世界大学ランキング2016―2017』で、総合私大の部類で入ったのは、早慶近の3校だけ。それを伝える広告でしたが、なぜ、この3校を並べるのか、という反発もありました」
インターネットでも話題になった。広告費が限られているなか、ネットでの拡散は一石二鳥だった。「まずは注目してもらうことが大事で、狙い通り。こんなことができたのは、お笑いの素地がある大阪という地域性もある。東京はもちろん、関西でも京都や神戸では難しかったでしょう」
現在、広報室の要員は14人。「昔に比べ増えています。少々、大学界の常識を逸脱したとしても目立つ広告を出すことや大学名を隠しても近大の広告であるとわかる広告にすることを心掛けています。クリエイティブでは、広告代理店に丸投げせず、時間をかけて代理店の制作担当と打合せを重ねます」
近大広報の強みは、どこにあるのか。「多くの大学にある広報委員会はなく、広報主導でできます。また、包括予算制で年間予算をまかされており、連合広告を止めて車内吊りに変えるなど予算上の媒体を変えることもできます」
近大のド派手な入学式は有名だ。今年も、卒業生である音楽プロデューサーのつんく♂がプロデュース、パフォーマンスユニットのKINDAIGIRLSがつんく♂^n作詞・作曲の新曲「MYDREAM」を披露す^nるなど賑やかだった。
5月に近大が東京都内で報道関係者懇談会を開催した際、世耕さんは「今年は、東大入学式で上野千鶴子さんの祝辞が話題になった。これと近大入学式を対比させ、近大入学式批判の声が届きました。不本意入学の学生が気持ちを新たに充実した大学生活の第一歩を踏み出せるよう趣向を凝らしているだけです」と述べた。
「正直な人だと思いました」と水を向けると、「不本意入学の学生は、それこそ東大以外、どこにもいるんです。批判は来ましたが、恥ずかしいとは思っていません」
兄の弘成氏について聞いた。「兄とは7つ違うので子供の頃、一緒に遊んだということはなかった。性格ですか?兄も私も『いらち』、気が短くて、^n行列などが駄目で待てないタイプ、せっかちというのかな。でも、社会人になって兄が先に広報を経験したことで、広報面ではお世話になった」
弘成氏は、早稲田大学卒業後、日本電電公社(NTT)に入社、米ボストン大学大学院で企業広報論修士号を取得。NTT広報部担当課長を務めた。
「兄は、NTTがリクルート事件に巻き込まれたときの広報担当で修羅場を経験している。記者と徹底的に付き合い、人間関係を作るのが大事というような広報の基本的なことを学びました」
見てきたように、世耕さんの広報戦略は結果を出し続けてきた。しかし、決して気を緩めてはいない。「志願者数は人気のバロメーターだが、別に中身が日本一になったわけではない。まずは関西の私大で研究や教育、就職などあらゆる面でトップになることが目標です」
こう付け加えた。「最近、近大の改革力が評価されています。(改革が)停滞すると昔の近大に戻ってしまう。これからも斬新な改革を進めていきたい」。日本拳法で鍛えた闘争心、広報で磨いた不断の改革への意欲は伊達ではない。
せこう いしひろ
1969年6月20日、奈良県生まれ。同志社香里中学・高校から同志社大学文学部に進む。92年、同大学卒業後、近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)に入社。ホテル事業、広報担当などを経て2007年、近畿大学に転職。入学センター入試広報課長、同センター事務長、広報部長を経て17年4月から広報室も統括する総務部長。近大広報担当として学生募集の広報・広告の改革を断行した。私立大学入試の志願者数で近畿大学を6年連続全国1位に導いた仕掛人と目されている。世耕弘成経済産業相は実兄。