特集・連載
高等教育の明日 われら大学人
<47>翻訳家、版画家、詩人で活躍 杏林大学外国語学部客員教授
ピーターJマクミランさん
翻訳家、版画家、詩人、そしてアーティストとして多彩に活躍する異能な大学人である。ピーターJマクミランさんは、1987年にアイルランドから来日以来、日本で暮らす。翻訳家として、2008年、これまでもたびたび英訳されてきた「小倉百人一首」の新訳を米国コロンビア大学出版局から刊行。ドナルド・キーン日本文化センター日本文学翻訳特別賞、日本翻訳家協会の日本翻訳文化特別賞を受賞。版画家としては葛飾北斎の富嶽三十六景にならい、「西斎」の雅号で「新富嶽三十六景」を制作、各地で版画展を開催している。富士山を愛し、製作拠点は山中湖の別荘にしている。流暢な日本語を操り「素晴らしい日本の精神や文化を世界に伝えていきたい」、「学生、若い人は、一瞬一瞬を大切にしてほしい。今というときは二度と戻ってこない」と日本と若者に熱いエールを送る。
日本の精神、文化を世界に 「小倉百人一首」を英訳
「必至に学び、とことん遊べ」
生まれ育ったアイルランドはどういう国ですか?「私が育ったのは首都のダブリン近くなのですが、まさに、ど田舎。小説『嵐が丘』のイメージ、石造りの家で冬は寒かった。8人兄妹の4番目に生まれました」
どんな子どもでした?「家の回りは牧場と畑でお店なんか全くありません。夏は白夜で夜11時ぐらいまで明るいので、夜遅くまでポニーに乗ったり、ウサギや犬、猫と遊んでいました」
父母のDNA引き継ぐ
父は、西洋絵画のコレクターで絵を売買して生計を立て、母は子ども向けの小説を書いていたという。自宅には、たくさんの絵画が飾ってあった。この両親のDNAが、いまのマクミランさんの生き方に引き継がれたようだ。「父は、もともとは馬の訓練をしたり、乗馬を教えたりしていました。その後、17~19世紀のオールドマスターの絵画を収集、とくに馬の絵を集めていました。母の書く児童小説には、私たち8人の子どもが登場していました」
地元の小中高に学び、アイルランド国立大学に進む。「哲学と文学を学びました。その後は、哲学で修士号を、文学で博士号を取得しました。哲学について一晩中寝ないで仲間と話し合ったり、試験が始まる1ヶ月くらい前は1日14時間勉強しました」
1980年、アイルランド国立大学を首席で卒業、同大助手になった。85年、アメリカへ渡る。「南カロライナ州立大学とメリーランド大学で助手や講師を務めながら英米文学などの勉強をしました」
87年に日本に来た。「米メリーランド大にいるとき、杏林大学から教員の紹介があり、採用されました」。1988年から杏林大学外国語学部助教授となった。
どんな講義を?「私は、文学、翻訳、美術を専門としているため、講義では芸術と文学の世界をひとつにまとめられるようにしています。ゼミでは学生たちに日本の美術と詩の視覚世界について教えています。『百人一首』を教える際には、その中に描きこまれている人物像も同時に教えるようにしています」
1996年から1998年の2年間、日本の文部省(当時)から研究資金援助を受け、米国のプリンストン大学、コロンビア大学、英国のオックスフォード大学の客員研究員として研究を重ねた。
どんな研究を?「専門分野は芸術、文学、翻訳です。その中でも芸術と詩が一つになった世界というものに興味があります。芸術と詩が共存する世界は、エクフラシス(造形芸術作品描写)と呼ばれ、具体的には、絵画などの芸術作品に関して書かれた詩のことを指します」
こうした研究が、「小倉百人一首」の新訳につながったのだろうか。「小倉百人一首」との出会いを語った。「コロンビア大学で、ドナルド・キーン先生に日本の古典文学を学びました。このときに『小倉百人一首』と出会い、日本人の感性が凝縮された、この詩集に強く惹かれました」
「小倉百人一首」の新訳をコロンビア大学出版局から出版したさい、ドナルド・キーン博士は、次のような序文を寄せた。
〈ピーター・マクミランによる小倉百人一首の英訳は、『端正』の一言で片付けられてしまうことが多かったこの歌集に、本来の価値と美を回復してくれた。これまでの小倉百人一首の英訳の中でも、最も卓越した名訳である。〉
2009年、"One Hundred Poets, One Poem Each"の日本語版「英訳詩・百人一首 香りたつやまとごころ」が集英社新書として刊行され、2014年1月に重版された。
続いて、版画の「新富嶽三十六景」を発表。「私の版画のテーマの一つは持続可能な地球です。消費社会になっている現代とのギャップを描いています」
最近、「伊勢物語」の英訳が完成した。「そこには、美しい世界があります。日本文化を世界に発信しようと思って翻訳しました」。同著は、ペンギンブックスが出版、世界100カ国で読まれる。
このように、日本の古典などを翻訳するだけではない。「日本人の優れた精神性や文化などは意外と世界に知られていません。現代日本で活躍する日本人のことを翻訳して、世界に伝えています」
大震災復興にエール
東日本大震災では心を傷めた。「大震災が起きた時、このまま日本に残るのであれば、社会貢献したいという思いを持ちました」。2012年には、東京・銀座のソニービルの壁面を「日・月・富士」と題したアートワークで彩った。「東北地域の復興を願って創作しました」。また、「新富嶽三十六景」を出版したさい、日本のイギリス大使公邸で行ったチャリティーでの売り上げを全て被災者らに寄付した。
学生ら若者に言いたいことは?「学生時代というのは人生の中でも、かけがえのない時間です。大人になって自由な時間というのは、この時期しかありません。必死に学ぶということと、とことん遊ぶということを両立してやってほしい。」
「私の祖父は『知識を持ち歩くにはスーツケースは必要ないのだ』とよく口にしていました。知識はたくさんあってもかさばらず、人生で成功を収め、豊かで幸せな人生を送るために、強力な武器となるのです」
優れた美意識広めよ
日本に言いたいことは?「日本人は、優れた精神性を持ち、物の考え方が違った思考を持っています。相手が悪いのではなく、相手に悪いだとか、そういった考え、コミュニケーションが優れています。この優れた振る舞いや素晴らしい美意識を世界に広めれば、重要な貢献になると確信しています」苦笑いしながら、付け加えた。「残念なことに、日本はいま古典とはほとんど縁のない社会になっています。私の英訳を通じて、日本人が日本の古典と出会うのも面白いのではないでしょうか」
ご自身のこれから?「日本文化と出会って、自分自身の文化を見直すことにもなっています。芸術と詩を学ぶことを通して、自分の感性に磨きをかけたいと思います。日本文化の中にも芸術や絵画について書かれている詩が多くあります。ライフワークでもあるエクフラシスの例をもっと見出していきたい」。
最後は、これ以上はないという笑顔で、こう語った「2020年の東京五輪開催もあり、世界の目が日本に向きます。これからも、日本のために日本文化を世界に向けて発信していきたい」。